第5話 フリー飛ばし

 何度かフリーで来店するのを見かけた気になる客がいた。

 見かけた、というのは私がまいど指名席に拘束されており、その客につけなかったからだ。

 気になる、というのは私とその客との相性がよさそうに思えたからだ。

 オッサンのくせに女性経験が乏しいつけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)は、自分になついた嬢にだけ鼻の下を伸ばして“フリー飛ばし”をする。

 実際はなついたフリをした狡猾な嬢が、ウブなつけまわしを意のままに転がしているだけなのだが……。


“フリー飛ばし”とは指名席についている嬢を新規開拓のためにフリー席につけることだ。

 もちろん、その時点でヘルプ(指名嬢が同伴((買い物や食事などをして、客と嬢が一緒に入店すること))や指名被りの際に手伝いをする嬢)が必要になる。

 指名被り以外でヘルプを使うのは申しわけないと遠慮する嬢は指名席に拘束されたままだが、私利私欲を貪る嬢はヘルプの反感などおかまいなしに“フリー飛ばし”をせがむのだった。

 だが“フリー飛ばし”は売上に貢献した嬢への御褒美でもある。

 指名客を呼べる嬢はほかのフリーにつけても場内指名(フリー客から取る指名)を取れる確率が高いので、単純につけまわしがつけたがる理由もわかる。

 そうして、さらに店と嬢の双方の売上を伸ばしていくのだ。

 指名客を呼ばずに仕事らしい仕事もしない嬢たちが御褒美であるはずのフリーに次から次につけてもらえるのを、指名席から指を咥えて見ているのはなんとももどかしい。

 私はウブなつけまわしに取りいるほど狡猾でも悪趣味でもないので、ようやく希望するフリーにつけたのだった。


 いつもより健気に歩いていき

「いらっしゃいませ。こんばんは」

いつもより距離を詰めて静かに座る。

 すると、心地よい熱量を感じた。

 彼を取りまく一帯の空気が心地よい温かさで満ちているのだった。

 まだ、どの嬢の手垢もついていない。

 だが、それは彼がもつ審美眼や慎重さの裏づけにも思えた。

『どんな女性がタイプなんだろう……?』

 おのずと慎重になる。

「お酒……何になさいますか?」

 ハウスボトル(客席に備えてある焼酎やウイスキーなどの飲み放題のボトル)がかたされていたのを不思議に思って訊く。

「今、ビールを頼みました。よかったら好きな物を飲んでください」

 ヨカッタラスキナモノヲノンデクダサイ……。

 大脳辺縁系に響く。

「ありがとうございます。では、同じ物を頂きます。お願いします!」

 ボーイを呼ぶ。

「ビールを!もうひとつ下さい」

 彼が見ているので、いつもより丁寧に頼んだ。


 彼はビールを二杯くいっくいっと飲んだ。

 キャバクラのビールグラスは小さい。

 だからこそ、金になる。

 途中、私のグラスが空きそうになると

「飲みますか?」

「はい!」

「同じので?」

「はい!」

「すみません!」

みずからボーイを呼んで

「彼女にビールを!」

と頼んでくれた。

 兄貴のように頼りがいがあるが、兄貴にはない男性的な魅力がある。

 ほろ酔いになり、三杯目もビール?と促すと

「何か飲もうか?ボトルにする?何がいい?」

彼に訊かれた。

「飲みたいです!私はなんでも!(逆に)何がいいですか?」

 私はしずしずとメニューを開いて、

「焼酎ですか?ワイン……シャンパン?」

抜き物(その日限りの消費でボトルキープができないため、店や孃にとって効率がいい)を仕かける。

「シャンパン好き?」

「大好きです!」

 いっしょにメニューを見ながら

「○○は?」

可愛らしい値段の銘柄を促す。

「いいよ」

「お願いしまーす!」

 ボーイを呼んだ。

 そのあと

「何かつまもうか?」

と鮨を頼んでくれた。


 シャンパンの酔いもまわり

「今日は飲みたかったんだ……」

と彼がつぶやいた。

 仕事の重責があるのだろう。

「なんだか普通に話しちゃう」

 それでも、子どものように笑った。

 少しだが彼の人間性を知り、私の勘に狂いはなかったと自負した。

「普通に話しましょう♪」

 私はおのずと微笑んだ。

 彼の恋愛観や仕事観や人生観を知るほどに心から頷いた。

 聡明な彼の発する聞きなれない言葉を記憶するように、おうむ返しした。

 相手の言動をまねる“ミラー効果”は親密性を高めるので、落としたい客がいれば使うがいい。

 だが、彼を前にした私はキャバ嬢のテクニックとは無縁な自然体をさらしてしまった。

 どうやら、彼の前では仕事師ではいられなさそうだ。

 不思議な引力をもった人だと思った。


「○○(私の源氏名)さん、ありがとうございます」

 つけまわしが早々に私を抜きにきた。

 シャンパンを卸した席だ。

 自分の“お気に入り”をつけたいのだろう。

 後方にスタンバイさせている。

“お気に入り”と目が合う。

「呼ばれてしまいました……。私、いてもいいですか?」

 私は彼にふり向き、いつもはしない“おねだり”をした。

「いてください」

 彼は静かに即答してくれた。






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