第3話 優越コンプレックス

〈優越コンプレックス〉

 劣等性の有無ではなく、劣等感があるため、それを隠して自分が優れていると見せかけようとする。

 


 店に入って座るなり、ずっと、そわそわしている。

 歳は私と同じころだ。

 身綺麗ですらりと上背があり、神経質が表出した横顔をしている。

 ほど近い待機席から観察していて嫌な予感がしたが、案の定、つけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)にマッチングされてしまった。

「いらっしゃいませ。こんばんは」

 そばで見ると女性の憧憬を買いそうな、生えそろった美しい意志的な眉をしている。

 横顔との対照性はあるが、それでも私は一瞬で判断した。

『やっぱ、絶対、合わねーって!』

 人間の勘は統計学に近いらしい。

 蓄積された経験から無意識に瞬時にはじきだされる、勘。

 それはよくあたる。

「少し飲んでこられましたか?(酒を)薄めにしましょうか?」

 隣に座った私は、警戒心を隠しながら他愛のない会話をした。

 目の前のアイスペールに入った氷をアイストングでゲストグラスにみっつ入れ、マドラーでステアして氷の角を取り、氷を溶けにくくすると同時にグラスを冷やす。

 すると男に、

「君はこの仕事はあまり長くないの?」

と唐突に訊かれた。

 その的外れで高踏的な態度にステアしていた手が止まる。

『なるほど。そうきたか』

「いえ。ベテランですが何か?」

「……」

 男の視線を鋭く捉えたが、すぐに外されてしまった。

 ふだんは使わない“ベテラン”という言葉をわざと使った。

 ハウスボトル(客席に備えてある焼酎やウイスキーなどの飲み放題のボトル)の安いウイスキーを注ぎ、古い浄水器を通した口の開いたペットボトルの水を注ぎ、軽くステアして氷の流れを止め、氷をひとつ足し、ハンカチでグラスの水滴を拭いてコースターの上に乗せた。

「はい。どうぞ」

 コースターの端に煙草の焦げ跡を見つけたが、取りかえてやらなかった。

 私がこれ見よがしにした一連の動作を、男は乾いたスポンジが水分を吸収するように黙って観ていた。

 途中、胸元に執拗な視線を落とされた。

“女の視野は男の視野より広い”

 私は男の視線を目の端で観察した。

“男の視野は女の視野より狭い”

 ゆえに男は女のような睥睨という芸当は持ちあわせておらず、首ごとごっそり動かす不躾な視線で、いつも女をイラつかせるのだった。


 それにしても、この男。

 ずいぶん不馴れな男だ。

「こういった場所は苦手で……」

とかなんとか、素直に照れて委ねてくれれば、互いにどんなに楽しいかしれない。

 無知を無知と認識できて初めて、既知の入り口に立てるというのに……。


 それから、男は私とは一度も目を合わさず私を無視し、向かいの連れの男を相手に堰を切ったように荒唐無稽なキャバクラ経営学を展開したかと思えば、近々ビッグプロジェクトに携わるらしい著名人の存在を引きあいに出して口角泡を飛ばした。

 どうやら、自分が“お役人様”だというのを自慢したいらしかった。

 だが、男は留意すべきだった。

 男が守秘義務をもたない以前に、こちらも上客でもなんでもない通りすがりの客の会話に、守秘義務をもつ義理などまるでないのだった。


 耳を傾け、うんうん頷く人のよさそうな丸顔の連れの男。

 周囲から愛されている人特有の余裕がうかがえた。

 手前のホラ吹きのせいで口を開くことを許されない隣の嬢が、下ろしたてのドレスのオーガンジーを手持ちぶさたにいじっていた。

「ごちそうさまでした」

 つけまわしに抜かれたので、私は架空のグラスを合わせ、さっさと退席した。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る