第2話 キャバクラの奥義
「おっぱい触れる?お持ちかえりできるの?」
エレベーターの扉が開くと、私のやる気を削ぐ会話が聞こえてきた。
客引きが曖昧になだめ、泥酔客を上げてしまった。
一本(一組)いくらかの成績になるからだ。
満席ならけして敷居をまたげないクズ客にでさえ、閑散期のキャバクラは弱い。
「らっしゃいませ~」
待機席で暇を持てあましていた嬢たちが、ずらーっと起立してやる気のない声で迎える。
「こんばんはー」
のうてんきに登場した二人組のクズ客は
「ほほーぅ!すげぇなぁ……」
と立ちどまり、見なれない光景に恍惚としている。
『もたもたしてねーでさっさと座れ!お前らが座らねーとウチらも座れねーんだよ!』
客引きに促されて席に通されるが、なかなか座わらない。
おうおうにして泥酔客の特徴は、こうだ。
ようやく座って客引きが料金説明をしているあいだに、つけまわし(嬢を客席につけたり、客席から外したりする係。俯瞰力が試されるため、ある程度のキャリアを要する)に呼ばれた色営業や枕営業で客を取る二人の嬢がスタンバイしていた。
嬢たちが席につくと、さっそくいちゃいちゃ始まったが、ドリンク(有料)も場内指名(フリー客から取る指名)も取れずに触られるだけ触られて撤退してきた。
つけまわしが新たに似たような嬢たちを投入したが、60分1セットであっけなくお会計となった。
つけまわしも馬鹿ではないのでクリーンな仕事をする嬢には、よほどの事情がない限りクズ客はつけない。
よほどの事情というのは、ほかの席が本指名や場内指名で埋まっており、フリーのクズ客につけるダークな嬢たちがいないときだ。
不条理だが、ダークな嬢たちは人気嬢でもある。
水商売の世界で体を張って安売りされてしまっては、気や頭を使って地道に客を取る嬢たちは、とうてい太刀打ちできないのだ。
それで、希に私の出番となる。
つけまわしに申しわけなさそうに呼ばれる。
「ちょっと……。あれなんですが……」
「わかってる。この状況じゃ仕方ないね。でも何かされたら遠慮しないで“ヤっちゃう”けど?」
「はい。お願いします……」
つけまわしに紹介されてクズ客につく。
「いらっしゃいませ。こんばんは」
黒光りした◯ャバ・ザ・ハットのようだ。
少し離れて座る。
手癖の悪い客は嬢が酒を作っている隙に触るので要注意だ。
警戒しながら、ささっと作って出す。
膝と顔をクズ客に向け、女をいっさい行使せずぺらぺら喋る。
『小賢しい女だと嫌ってくれますように。どうかどうか好かれませんように……』
とっさにクズ客が動いても大腿の長さ分の距離や注視が働き、触られる前に逃げられる。
「もっとそばにきてよ」
手癖の悪い客の常套句だ。
離れて座っているにもかかわらず、ドブ臭い口が臭う。
「大丈夫です。ちょうどいいです」
努めて冷たくふる舞う。
「触れないじゃない……」
クズ客がボヤく。
「そういう店ではないので」
「じゃあどういう店なの?」
「節度をもった大人の男女が会話とお酒を楽しむ店です。一杯頂いてもいいですか?」
「触らせてくれなきゃ飲ませない……」
着火!
「あっそう!じゃあ要りません!店、間違えてません!?性風俗でもいけば!?」
「でも『ヤらせて!』って言われるでしょう?」
「そんなこと誰も言いませんよ!皆さん紳士ですから!」
実際、下品なやからはたくさんいるが、あえて“お前だけ”と強調する。
「でもヤらせなきゃ指名取れないでしょう?君人気ないでしょう?」
「人気がなければ(店には)居られません!」
私の声がどこまでもクレッシェンドしていくので、つけまわしが慌てて抜きにきて終了~。
触られていればクズ客をぶっ叩いていたので、このときの私はおとなしいほうだった。
キャバクラの敷居をまたぐなら、まずは身なりを清潔に整えろ。
嬢が嫌がる言動は把握して慎め。
場内指名しない嬢にもドリンクは勧めろ。
場内指名した嬢にはボトルや抜き物(その日に消費してボトルキープができないワインやシャンパンなど)を卸せ。
場内指名では嬢の成績にならないシステムの店なら、次回本指名で来店したときにボトルや抜き物を卸せ。
酒は出しても嬢の体を気遣い、無理には飲ませるな。
延長は当然のようにしろ。
アフター(店がはけたあと、嬢が客につき合う接待)には誘わず、一人で帰れ。
雨が降ろうが槍が降ろうが最低週一で店に通え。
気の利いたプレゼントを持参しろ。
とりあえず、三桁落とせ。
落としても先行投資とは考えるな。
見かえりは求めるな。
“裏を返す”に学べ。
知らなければ調べて学べ。
好みの紳士なら途中でこちらからアプローチする。
万が一、お客様から恋人に昇格するとすれば、そんな男性だ。
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