細い視線
『こいつ、暴れんじゃねえ! おとなしくしろ!』
(えっ……?)
依子は天井を食い入るように見つめ、その奥の喧騒に耳を澄ませる。
『待機してもらってた警察がすぐ来てくれるそうです!』
『よし、足を押さえてくれ! 下に引きずり下ろすぞ!』
(高志……さん?)
天井裏から聞こえてくるのは紛れもなく高志と、そして知らない男の声。
ズッ、ズッ、と何かを引きずる音。そしてまたバタバタと足を踏み鳴らすような音が天井を通り過ぎていく。
部屋の隅で硬直していると、ほどなくして赤い点滅灯が窓に映り込んだ。窓に飛びつき、カーテンを少しだけ開けて外を覗き見る。
(パトカー……!)
サイレンこそ鳴らしてはいないが、警察車両が眼下で停車した。そこから数名の警官が出て来てこのアパートに走り込んでいく。
階段を駆け上り、二階に近づいて来る足音。その音は依子の部屋ではなく、別の部屋のドアを開ける音と重なった。
(どういう事……? いったい何が起きてるの)
『とりあえず事情は署で××××。証拠物品を押収……××……!』
『現行犯……××。すみませんがあなたも……××××……』
数人の男達の声が飛び交い、耳を澄ませるけれど全部はよく聞き取れない。
喧噪がだんだん遠のいていき、依子は再び窓から下を見下ろした。二人の警官に挟まれた小柄な男が有無を言わさずパトカーに押し込められている。
(あれは誰? どこかで見たような……)
その時、依子の部屋の鍵が乱暴にガシャンと開き、血相を変えた高志が飛び込んで来た。
「──依子!」
「高志さんっ!」
依子はもつれる足で駆け寄って高志に抱きついた。彼の体温を感じてやっと現実が戻って来たような気がする。
「囮みたいな真似をさせて悪かった。怖かっただろう。でもこういうのは現行犯じゃないとダメらしくて。でももう大丈夫だ」
「私……何が何だか。高志さん……!」
高志は腕を緩め、真剣な眼差しで依子を見下ろした。
「さっき依子が電話で言ってた、ネットで見つけた事件ってのはこれだろう?」
高志がジャケットの懐から一枚のコピー用紙を取り出す。訝りながらそれを受け取って、依子は目を走らせた。
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平成〇年3月6日午後11時頃、都内会社員、遠山 順子さん(当時21歳)が自宅の黒田区北本町2丁目のアパートにて、カッターナイフで滅多刺しにされた。…………
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「そうよ、これ! 高志さんも見つけたの? これプリントアウトしたやつ?」
目を丸くして、依子は紙面と高志を見比べる。
「ああ。実はやっぱり気になって、俺も色々調べていたんだ。そうしたら数日前にこれを見つけて……最後の方を読んでみな」
促されてもう一度紙面に目を落とすと、さっきは電源が落ちてしまって読めなかった事件記事が最後まで記載されている。
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…………同アパートで見かける順子さんに鈴木が一方的に好意を持っていたものと推測される。
尚、鈴木の自宅を捜査したところ、鈴木のアパートは二階天井裏が繋がっており、鈴木は押入れの天井から屋根裏に侵入し、順子さんの部屋の天井裏に穴を開けてそこから下を覗いていた形跡が見つかった。
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「……っ!!」
依子の顔から血の気が引いた。
「俺もまさかとは思ったよ。もう二十年以上も昔の事件だし、当然そんなの改装した時に直されてるだろうって。でもさりげなくこの部屋の天井を見たら……」
高志が苦々しく部屋の天井を仰ぐ。その視線を追って依子がそろそろと上を見ると……木目調の壁紙、木の
そこに目を凝らさなければわからないほどの小さな穴が開いていた。
「ヒッ!」
「わかるか? あの穴にスコープタイプの小型カメラを通し、パソコンに画像出力して依子を見ていたんだ」
叫び出しそうになる口元を依子は自分の両手で覆う。
「い……いったい誰が、そんな……」
「屋根裏が繋がってる事を知ってて、いつでも自由にそこに行けるとしたら、ここに住んでる奴。ここの二階に住んでるのは依子と……大家だけだろ」
グラリと依子の足元が揺れ、傾いた身体を高志が支えた。
「なんとか覗いてる所を現行犯で押さえたかったんだ。それで、まずは不動産屋に協力を頼んだ。昔の事件の事を告知してなかった落ち度を指摘したら、快く承諾してくれたよ」
高志の言葉を空で聞きながら、依子はもう一度天井の穴を凝視する。
「依子を部屋に居させて、警察には事情だけ話して待機しててもらった。その後、不動産屋と隣の空き部屋に入ってそいつと一緒に押入れの天井から屋根裏に。押入れの天井がすぐに外れるのは確認済みだった」
「……私、あそこからずっと見られてたの? 着替えの時も、寝てる時も、……まさか高志さんが来ている時も……?」
小さくうなずいた高志が、おもむろに依子を頭ごと掻き抱く。
「でももう終わったんだ。気にするなって言っても無理だろうけど、俺がついてる」
「高志さん……」
ずっと感じていた視線は気のせいではなかった。
カメラも設置するのではなく、その都度持ち帰っていたから隠しカメラとして発見できなかったのだろう。
「俺はこれから警察に行って事情を話してこなきゃならない。もう心配ないからゆっくり休んでろよ。すぐ戻る」
「はい……。でも私、やっぱりココは引っ越したい。昔、事件があったのは本当だし、こんな事まであって……怖いし落ち着かないわ」
依子は何げなくパソコン横の文房具ケースから出ているカッターナイフに視線を流す。
「ああ、そう言えば凶器はカッターだっけ。そりゃあ怖いよな……」
高志が手を伸ばし、ひょいとカッターナイフを取り上げた。
「依子が怖がるモノは俺が全部処分する。コレも、パソコンに残ってるデータも、全部だ。警察から戻ったら、すぐにでも入居できる二人の家を探そう」
労わるような優しい笑顔に依子の心がようやくホッと緩む。高志の頼もしさに思わず涙が滲んだ。
「不動産屋が下で待ってるんだ。行ってくるよ」
依子の肩に手を置いて、高志は玄関を出ていった。きちんと鍵を掛ける音が、安心感を伴って部屋に響き渡る。
(……身体が重い……疲れたわ。……あれ?)
見るとテーブルの上のパソコンが、いつの間にか再起動している。
(やっぱりさっき切れたのは偶然のトラブルだったんだ。そろそろ買い換え時かな)
横になると眠ってしまいそうなので依子はテーブルの前に座り、今度は二人で住める物件を検索し始めた。
(色々考えるのはやめよう……高志さんに任せておけば、きっと……大丈、夫……)
緊張が解けたせいだろうか。
依子は抗えない睡魔に襲われて、テーブルに突っ伏したまま眠りに落ちてしまった……。
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