神樹騎士団 ⑤-2-2

それらはいったい何者なのか。


そんな疑問を解消するのが、儀仗兵の持つ旗に描かれた紋章である。


紋章旗は、王国の北東部を所領とする大貴族キルヒギール家のものであった。


その存在こそ古くからあるとされていたが、王都に住む住人は誰もキルヒギール伯爵の姿を見たことがない。魔の森の境界は危険区域として近づくことを制限されていたため、そして伯爵自身も防衛任務のため王都に招聘されたことが一度もなかったからだ。


キルヒギール伯爵について民が知っていたのは小出しにされていたわずかな情報のみ。


いわく――


勇者と双璧をなす者。


建国より続く古き名家であり、魔の森の魔物を駆逐し続ける国一番の武芸者。


どこの誰かは知らないけれど誰もが皆知っているタキシードをまとった月光仮面の貴族――


そんな御伽噺にもなりかけていたキルヒギール伯爵が、王都民はその日初めて、如何に強大な貴族であったのかを知る。


「北の将軍」という異名でも知られる伯爵が持つのは戦力のみにあらず。


騎士も聖獣も等しく魔法具を装備している事から、かの伯爵は保持する財も相応に巨大なことがうかがえた。


見目麗しき騎士団。精強で神々しい聖獣の軍勢。煌びやかな装飾の施された重厚で巨大な馬車。魔法具だけではない。様々な華やかに演出されたその一団の全てに、ただただ人々は感嘆する。その胸中に入り乱れる驚愕は計り知れず、それぞれに畏怖し、あるいはそれぞれに喜び、最後には安堵する。


ある者はまるで自分の事のように誇らしげに喧伝し。


ある者は美しき天使の騎士の美を讃え。


ある者は王国を守護する聖なる騎士団とそれらを崇めた。


誰もが馬車の中に乗るは貴族然とした、屈強さを併せ持つ偉大な戦士だろうと想像し、彼を、国を救った勇者に匹敵する人物だと妄想する。



――誰も、その人物が、勇者だとは知らずに。――



故に。


事ここに至るまでの真相を知る貴族らは大いに慌てた。


勇者が王都に訪れるなど、彼らにとっては予想だにしない出来事であったからだ。


まさか勇者に――平民に――これだけの強大な軍事力を整える器量があろうとは。エランシア王国貴族でそれを予見できた者は――ただ一人の例外を除き――皆無。


貴族の多くは大混乱に陥った。そしてどう立ち回るべきかの選択を迫られた。


平民たちは知らない。勇者が貴族たちの恐れや侮りによって辺境に飛ばされていたという事実を。


魔王討伐の功によって勇者は王都で大切にもてなされている、と、平民らは信じている。そう信じさせた。他国ですらそう思っている。


ここで真実が暴露されれば王都は混乱に見舞われるだろう。王国各地で平民による抗議の暴動デモが発生するかもしれない。間者から情報を得た他国がその隙を狙って蠢動するかもしれない。勇者が辺境で縛られているのなら、と、眠った野心を起こす不埒者も現れるかもしれない――王国の双璧は眉唾で、勇者さえどうにかできれば後は何とでもなる、と。


この大舞台でキルヒギール伯爵が馬車を降り、屋形号を許されたキルヒギール家当主の正装だと言ってつけさせている【月光の仮面】を取るだけで、動乱の世が幕を開ける。


勇者は神の寵児である。


人類の守護者である。


勇者の個人としてのどうこうはどうでもよく。人々の信仰する勇者という存在が王国の王都にあり続けるという事実こそが、価値なのである。勇者とは魔物の蔓延る社会において、その安寧に寄与する道具アイドルなのだ。信仰の対象である勇者は王城から出てはならない。王であるならそれが一番望ましい、国民にとっては。


だというのに――そのことを一番わかっていないのは、当人である。


引きこもり気質で周りから目を背け世俗から逃げ続けたちょっと頭のおかしな不思議青年。そんな彼に、社会の機微を理解するなどできようはずは無く。


彼には勇者信仰のすべてが冗談やにぎやかしの演出の類にしか見えていない。ゆえに彼はそれらを綺麗に聞き流す。聞き流し続ける。


彼がもし自分の価値を正しく理解しいていたならば、意趣返しとばかりに自らで組織した軍団【神樹騎士団】を王都に連れてくることはなかっただろう。


知っていれば、彼は目立つ行動を控え王都には単身でやってきたはずだ。


貴族たちとの軋轢を避けるためそれくらいの配慮はした。勇者の本質は臆病であり、だからこそ彼は善良たらんと努めているのだから。そんな彼が荒々しい野心的挑戦に手を伸ばすはずはない。


つまり勇者の騎士団が魔王復活の企てを阻んだのは、その絵図を描いたたった一人の例外貴族の献策と、彼の想定を大きく超えた結果を引き寄せた勇者の強運による偶然に過ぎなかった、ということなのである。

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