天空の城 ②-3-3
ディオネの知る世界はこの世にはない。
彼女の記憶にあった景色は、どう手を尽くしても辿り着くことの叶わない絵の中のものだ。既に歴史の一コマとなってしまっている今となっては。
しかしながら。
彼女の記憶は彼女の妄想ではなく、彼女の体験が担保する実在した現実である。
それこそが、この魔法を成立させるための鍵であった。
魔王との決戦で刷り込まれた異能の一つ、奴に混じられ、無理やり押し付けられた権能〈――
禁忌の秘法。
虚数というマイナスに満たされた情報素子の海に世界のバックドアから侵入。棘状並行隣接二次元世界を波動飽和結界にて移動する。膨れ上がる波動はマズルカという指向性を持つことで回廊を成した。
過去と未来を反転させる禁忌を完遂するには起点・力点・作用点が必要だ。
ヒミコの蜘蛛足はあめんぼうのようにスイスイと回廊を進む。時速40キロは海を行く速度とすると割と早い。俺たちは今、惑星全体を満たす海の中を宇宙に向かって進んでいる。
進むこと五時間弱。
高度でいうとおよそ200キロメートル。回廊の出口を発見。ディオネのイメージが思い違い――実在した別のどこか――でなければ、その門の向こう側に天空の城・神樹庭園はある。
――さて。この先、
最初は呼ぶつもりはなかった。魔王討伐を終えて尚、彼女をこの世にとどめる理由はなく、俺としては安息の地でいつまでも揺蕩っていてもらいたかった。
生きていくという事はとてもつらいことだ。楽しい事よりも悲しいことの方が多く、その定数は生まれた瞬間から定められており、決して逆転しない。
彼女の意思は応を示したが、俺にはこんな世界に再び戻る意味が分からなかったし、価値も無いように思えた。
俺にはわからない。俺は生きているから、生きている分には幸せに過ごしたいと思うけれども、生きていなければ、安息の地で未来永劫揺蕩っていたい。
諸々の事情を勘案し、生きている俺は、生きていく俺の今後の都合で彼女を呼び出した。まさか応えてくれるとは思わなかったけれど――否。魔王の呪いが拒絶を許さない――その責任は負わなければならない。
「ディオネよ。扉を開け。まずはお前が中に踏み込み確認せよ」
俺はディオネにゲート開かせる。
彼女が中に入るのを見届けてから、世界に侵入する。
世界は――。
「…………」
明るい。
雲ひとつない青い空。
遠くに見える丘に聳え立つのは天空の城の中核、世界樹か。
――拒絶しなかった……いや、……なるほど。
視界が徐々に鮮明になっていく。
感覚の解像度が上がる。
目の前にディオネ。
それを遠巻きに取り囲んでいるのは、白い羽の烏女か。
完全武装で武器を構えている。
明らかな戦時仕様。
まぁ回廊側から神樹庭園に門を繋げれば、当然結界内世界にもそれは伝わるわけで。お出迎えがあるのは別に不思議ではないのだが。
「貴方達は誰に弓を引いているのですか! ひれ伏しなさい!」
驚かされたのは我が奴隷の振る舞いにだ。
開口一番の怒号。その小さな体のどこにそんな力を隠していたのか。
ディオネの一声に白い烏女達が怯んだ。
烏女の挨拶ってそんな感じなのか。思っていたより甚だ体育会系だよ。女の敵は女みたいな絵面怖い。
「年若き同胞の皆さん。私は天使長にして世界樹の巫女ディオネです! 控えなさい!」
ざわざわする烏女たち。
マジか。初耳だわ。
烏女の女王だとは聞いたけど、天使ってなに?
「うろたえるな同志たちよ! この者は長ではない!」
そこで声を張り言い返してきたのは、後方で弓を構え続ける烏女だ。
真っ白い大きな翼を輝かせる、真っ白い肌の女。
そういえばここにいる烏女の皆さんは身体的特徴こそ烏女そのものなんだけど、一人の例外なくお白い。お白くていらっしゃる。翼もなくちんまくて浅黒い肌のディオネよりはよほど天使っぽいなりをしてらっしゃるのではないだろうか。
「久しいですね。マルギット」
「黙れ! ディオネ様の名をかたる賊が! よもやその名を
はたから見る分には面識がありそうな二人。
しかしちょっと予想していた展開と違う。
なんというか、五割増しで物々しい。
「マルギット。何をもって私を偽物扱いするのです?」
「知れたこと! 我が権能は巫女を見間違わぬ! 貴様は巫女ではない!」
「そう。でしたらもっとよく見てください。私はディオネです」
「黙れ! 黙れ黙れ! 我が権能は言っている! 貴様はディオネ様ではない!」
「いいえ。私はディオネです。ならばこの身体に刻まれた四大天使の紋章を見――」
「黙れぃ! 純潔を失ったお前などディオネ様であるものか! 皆の者討て! あの偽物を! あのビッチを討ち取れぃ!」
「…………(あれ?)」
これってもしかして、俺のせい?
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