天空の城 ②-2-3

キルヒギール領はエランシア王国北東部のはずれにある未開の地だ。


ロランシア地方と呼ばれるこの場所は、名目上はエランシア王国の支配圏内。けれどエランシア国民は一人も住んでいない。だってここは獰猛な動物や未知の危険植物・昆虫などがわんさかいる場所。怖すぎて入植なんてできない。国土のほとんどを占める木々は通称枯れた魔木と呼ばれる厄介物。ただの鉄器では切り倒せないくらい固い木なので加工できず使い道がない。仮に木々を切り倒し土地を開いたとしても、地盤が岩のように固いため農地には出来ない。鉄農具では耕せないから。


広い領土を主張したかった国の見栄が生んだ不良債権みたいな場所。もっといえばぽっと出の人間兵器でしかない俺に与えてもどこの貴族からも文句が出なかった、そんな場所。


ちなみに領主の館は隣のセルニカ領との境界線ぎりぎりのところに建っている。


食料自給すら不可能なこの地に住むなら必要物資はどうしたってセルニカに頼らざるを得ない。そしてそのセルニカ領は王族の直轄領だ。王族のご機嫌を損ねると生命線が立たれるという環境は、キルヒギール領を任される身分がどういうものなのかを対外的にすごくわかりやすく示している。


さて。そんな場所を拝領してしまった俺は今、我が物顔で魔木の森を散策中です、ディオネに連れられて。彼女の感覚的なにがしかの手段では座標を手探りで探さないといけないらしく、付き添っている俺も徒歩を強いられているわけです。


「ご主人様、あのあたりだと思うのですが先客が……」


歩くこと半日ほど。漸くディオネは目的の座標を見つけたらしいが、その場所には先客がいた。


「慌てるな。森の住人同士の小競り合いだ。少し様子を見よう」


「はい。ご主人様」


先客は、熊と犬であった。


両者は争っていた。我々がその場で目撃したのは、熊を包囲した犬らが波状攻撃を仕掛けているところだった。


秋田犬が宙を舞い、体を全回転させながら熊に襲い掛かる光景はまるで流れ星何某。あの秋田犬、ギンという名前かも――いや止めておこう。そういうのはアレだから。


――これは、鎧袖一触というやつではないか?


犬たちの攻撃はその華麗さに反して効果を上げていないようだった。


統率もとれており絶え間なく隙なく攻め続けているのだが、熊は傷一つ負っていない。数十頭以上いる秋田犬に対し終始優勢なのは熊――ヒグマのほうだ。ぶっちゃけ犬たちは熊にあしらわれている。


そうこうしているうちにヒグマが反撃を開始。犬らは疲労による僅かな緩みを突かれてあれよあれよと熊の爪に切り裂かれ、或いは次々となぎ倒されていく。


――熊はレベルにして四十というところか。犬らは殆どが二十前後といったところだろう。


犬らは並みの兵隊よりは強い。小さな集落を襲ったなら勝利は確実だろうし大きな街を襲ったとしてもそれなりの被害を与えられる戦力だ。しかしあの熊が相手ではレベル差があり過ぎる。


「ふむ、終わったな」


ほどなくして犬たちは全滅した。


犬らを全滅させた熊は、やがてのっしのっしと歩きだしいずこかへ。俺たちは黙って熊の姿が見えなくなるまで見送った。


「ではいくとするか……いや」


視界に広がるのは散らばる犬らの死骸。壮絶な死闘の結末。自然界の掟に従ってやり合った結果だ。両者の命のやり取りについて思うことはない。


だが俺は考える。残った死体をどうしようかと。


このまま置いておいても森の住人達が食べるだろうが、しかし密集した場所にこれだけの数だ。綺麗に平らげられるにはそれなりの時間がかかるのではなかろうか。そういうのって放置したら疫病の温床になったりする可能性があるとか聞いたことがあったようななかったような。寒い地域だと死体が土に還るのにも結構な時間がかかるとかなんとか云々。


「そうだな……ディオネよ。ちょっとここで待っているがよい」


「?……はい」


俺は犬の死体を片付け始める。俺の領地から疫病が発生したとか言われたらどうしよう。俺は責任を追及されるのではないか。あーでもないこーでもないと裁判でつるし上げられるのではないか――作業中俺の脳内では様々な不安が渦を巻いていた。


この問題を皮切りにここぞとばかりにあることないこと晒上げられるのではないか。領主の責務が果たせない程度の文句ならマシだ。きっともっと凄いイチャモンをつけられ冤罪を擦り付けられピーチクパーチク騒ぎ立てられるに違いない。俺には実績がない。領主としての実績が、貴族としての実績が、そういう保身に必要な武器が何一つない今、隙は見せられない。疫病の風評などあってはならない。問題の種を排除できると思えば犬の死体処理などたいした手間ではない。面倒くさいし嫌な作業であることこの上ないが、ここで放置したらえらいことになってしまうかもしれない。フラグとは、得てしてそういうものだと俺は自分の人生経験から学んでいる。で、あるならば、今俺がなすべきことは――。


と。俺は戦場に転がる犬の骸をひとつ残らず粛々と拾い続ける。


そうして、一か所に集めた。

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