恋を失った少女と、恋を知ったあやかし

いろは紅葉

はじまり:ミヤの失恋、あらたな出会い

 ミヤが片思い相手から初詣に誘われたのは年の瀬。十五歳の冬だった。


 元旦。ミヤは朝から気持ちが舞い上がってしまって、いつもの年越しには着ないような振袖を祖母に着付けてもらっていた。

 薄くやわらかな黄味に、紅の線で描かれたアンティーク柄のとっておき。飾り襟をふたつ重ねてもらって、「これは着付け泣かせだよ」など言わせてみたり。六花の帯留も帯紐に通す。


 ミヤは、この上なく幸せな気持ちだった。

 待ち合わせ場所に向かい、想い人の姿を見つけると、鼓動がどんどん早くなる。


 変な顔になっていないかな?

 それでも、あの人が誘ってくれたんだから。


 ほんの少し勇気を出して、声をかければいい。ミヤが一歩踏み出したところで、――見てしまったのだ。

 ミヤの想い人である少年が、村一番美しいと言われる娘と、親しげに笑いあっているところを。


 あんな顔、見たことなかった。

 あんな顔で笑うことなんて、知りもしなかった。

 こんな形で知りたくなんてなかった。


 ミヤは逃げ出した。

 人目を気にする余裕などなく、逃げて逃げて。

 たどり着いたのは、人気がない村外れにある小さな滝。ミヤは崩れるように座り込み、膝を抱え、顔をうずめてしまう。


「そっか、わたし、好きだったんだ……」


 喉の奥から絞り出すような声。

 やがて、それは嗚咽に変わる。


「好き、だったんだ……!」


 幼いころから、物心つくころからあたためていた想いだった。

 その淡い想いの名前を知っても、何もせず、ただ一緒にいるだけで幸せで。

 そう、思っていた。


「やだ……もう……」


 滝に着いたときは真上にあった陽が、徐々に傾いて、空気もどんどん冷えていく。

 それでも、涙はいつまでも溢れて止まらない。


「こんな、もう、恋なんて……恋なんて、しなければよかった!」



「そんなにも心乱れるものなのか。恋とやらは」



 慟哭に応える声があった。

 ミヤは反射的に顔をあげる。辺りには誰もいないはずだ。

 そして、息を飲む。そこには、無視できないモノが存在していた。

 滲む輪郭、黒い影。形は、大人の背丈を軽く越す大蛇を思わせる。

 その正体は、小滝を根城とする大妖おおあやかしだ。

 突然のことに言葉を失ったままのミヤに向かって、大妖は気にした風もなく続ける。


「その恋心とやら、いらんというならもらってやろう」


 あっと言う間もなく、大妖は大口を開け、ミヤから恋心を奪いさった。

 ミヤの胸のうちに渦巻き、くすぶっていた感情の炎が、すっと静かに引いていく。気づけば、涙さえも止まっていた。


「ほう、これが『恋心』とかいうもんかね」


 どこに取り込んだのか、大妖は、滲む影のような身体をくねらせている。

 ミヤは不思議と、その姿に恐ろしさを感じなかった。


「ああ、そうだ。タダで寄越せとは言わんさ、おれは気前がいいからな。これを持ってけ」


 大妖は尻尾の先を、ミヤの胸に突き刺した。ように、見えた。

 途端、冷えかけていたミヤの身体に熱が広がっていく。

 代わりに、大妖は滲む影を失い、子供の背丈程度の白蛇へと変じる。


「すごいだろ? おれの力の一部だ。ま、おれもちっとばかり、ちみっこくなっちまったけどな」


 どこか自慢げな大妖を見て、ミヤは、


「わたしはもう、『恋』をしなくてもいいの?」

「ああ。全部取っちまった」

「そっか……」


 ミヤは一度だけ胸に手をやり、目を閉じる。

 そうして、しばらくしてから目を開け、


「もう苦しくないんだね。ありがとう」


 晴れやかで、優しい気持ちが、ミヤを笑顔にさせる。

 大妖は少し視線を外して、


「ま、いいってことよ」


 どこか照れくさそうにして、とぐろを巻いた。


「とりあえず、帰ろうかな。待ち合わせはすっぽかしちゃったけど」

「帰るってお前さん、大丈夫か?」

「なにが……あ、すごい格好」


 ミヤは自分の服装を顧みる。無我夢中で走ってきたせいで、せっかくの振袖がずいぶんと着崩れていた。


「どうしよう、振袖ってひとりじゃ直せないんだよね……帯とか」

「余裕があるのは結構なこった。その度胸がありゃ、数年くらいはどうってこたねえか」

「え?」

こっち・・・そっち・・・じゃ時の流れがちげえんだ。知らなかったのか」


 大妖はあっさりと言ってのける。


「ま、信じらんねえなら戻ってみろよ。帯はおれが直してやるからさ」


 言うが早いか、大妖はしゅるりとミヤの腰に巻き付いた。

 もぞとぞと這い回る気配と、帯が動く感覚のあと、


「できたぞ。蝶々ふたつ、おまけな」


 ミヤの帯にふたつの蝶飾りを作ったらしい大妖は、ミヤの腰からするすると地面に降りた。人間の着物の作法なんてわかりゃせんけど、と付け加えて。


「ま、行ってみろよ」


 大妖は、ミヤの背中を尾でつついて送り出した。

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