参 奴隷の終わり
「ッ……」
細くたなびく雲の隙間から顔を覗かせた太陽。
その光はユウの顔を照らし、その眩しさにいつしか彼は目を覚ましていた。
視界が安定するまでの間、暫しの時間を要すと、すぐに自分が眠っていた——というより、気を失っていた、という事に気がついたのだった。
ガラガラッ…
上体を起こすと、いつの間にか彼の身体の上に積み上げられた、無数の瓦礫は、音を立て。
さらに自分が同じく瓦礫で積み上げられた山の上に倒れている事が分かった。
「これは…一体…」
小さく呟きながら、もう一度首を傾け天井に視線を注げば、倒壊した建物と、そして青い空がその姿を見せている。
ここから、これら瓦礫達が自身の身体に降り注いでいた事など想像に容易いだろう。
「……」
ガラガラガラッ……
ユウが身体を起こせば、残りの瓦礫も音を立てながら地に伏せていく。
それを他所に、彼は内心、もはや歩く事すらままならない状態であると覚悟したいた。
だが、次にそれは、大きな動揺に迎えられる。
「…万全…だ…」
体にこれといった障害はない。
痛みは勿論、しかし流石に重傷を負えば覚えるはずの違和感すら存在せず、むしろ健康体そのものだ。
これだけ大きなものが落ちてきたのであれば相応の怪我を伴うはずだが、彼には一切そんな物がなかった。
それに、彼自身も不審感を抱いていた。
「一体…なにがあった……」
その惨状を自分が引き起こしたものとは夢にも思わず、ユウはただポツリとそう呟いた。
——昨日、たしか脱走しようとして....そうだ、あいつが現れて....死んだ....?
おかしい、記憶はここで途切れている。
たしか、たしかだ、たしか俺は彼の死にひどく心を痛めた。
そんな心が残っていたとは俺も驚きだが、不思議と彼の死んだという事実に対し、今はなにも感じない。
「あれ…?」
そう思っていると、目から熱いものが溢れたのだった。
さらに、思わず崩れ落ちた膝。
ユウは目尻を一撫でする。
「涙…?」
手に滴り落ちた一粒の雫。
それは紛れもなく涙だ。
しかし、それを見て尚ユウの頭には疑問符しか浮かばなかった。
「泣いて…いるのか…? 俺が…? どうして…?」
ユウは唖然としていた。
あたりに広がるのは瓦礫の山と、血痕、そして人間の、欠損した体の一部、さらには大量の死体。
吹き込む乾いた風に、
◯
「…あれは…!」
暫く涙を流し続け、それも枯れた果てた頃、ユウは見つけた。
瓦礫の山に埋もれ、しかし暗い隙間から輝く赤の宝石を。
それが何か、一瞬で理解していた。
気づけば駆け出し、高く積み上げられた瓦礫を一つ一つ、手でどかしていっては捨てている。
だが、押し寄せる疑問の波の一切を切り捨て、ユウは没頭した。
「……」
やがて瓦礫をどかし終え、その正体がわかった頃、ユウは言葉を失っていた。
「ここに…いたんだな…」
赤色のピアスに、傷だらけの顔。
——ユウを助けた、“彼”だった。
「……」
そっと、静かに。
なにかを期待する様に首筋へと手を当てる。
だが、感じるのは冷たい肌のみだ。
小さく降り注いだ絶望の光に、ユウの瞳は、取り戻しかけていた光を完全に失った。
ザーッ…
彼の鎧を掴み、その亡骸を引きずりながら運んで行く。
長い間奴隷として過ごしていた彼に、これほどの大男を運ぶ力などあるはずはなかった。
やがて外へ出ると、ユウは地面に膝をつき、地面を掘り返そうとする。
しかしあまりの硬さに一切土が出ることはなく、ユウの指には傷が付くのみだ。
「くそッ……くそッ!!」
噛み締められた奥歯。
彼の指からは既に爪が剥がれ落ちている。
しかし、地面は殆ど掘れていない。
「畜生ッ…!!」
悔しさのあまりユウは叫んだ。
その時である。
ゴォンッ!!!
突然の轟音——否、雷鳴を轟かせ、彼の眼前を
大きく砂埃が舞い、やがて彼が顔を覆う手を退けた頃——眼前には、深さ数十cmの小さなクレーターが出来上がっていたのだった。
ユウは自分の手を見つめる。
ジリッ…
小さく帯電したそれを見て、無言で手を下ろすと、彼を抱き上げるなりそのクレーターの中心まで行き、亡骸をそっと置いた。
「・・・」
ユウは、彼の耳に取り付けられたピアスをそっと外す。
そして——
ブスッ…
その先端を、自身の耳に突き刺した。
「ぐッ…」
ピアスが耳を貫通する頃には、大量の血が手に滴っていた。
「——痛いな…とても痛い…」
久しぶりに痛みを感じた。
ユウは、それに驚きと共に奇妙な感覚を覚える。
その後、彼の腰に差されていた剣を抜き取り、立ち上がる。
そして、周りの柔らかくなった土を被せて行くのだった。
——そうして数十分後、完全に埋め終えると、その頭上に当たるであろう地面に、彼が腰に差していた剣を突き刺した。
「——ありがとう…」
ユウは、一言、そう呟くと、墓標の剣に背を向けたのだった。
◯
完全に倒壊していたのは建物の一部のみであった。
ユウは、そうだと一声。
なにかを思い出すと、傭兵達の大量の死体の中から鍵束を見つけ出すなり、それで足枷を外す。
そして、そのまま鍵束を持って収容区画へと進んでいたのだった。
わずかな小窓のみから光の射す収容区までくると、その重い空気が一瞬で流れてくる。
人生を諦めた人間達の空気だった。
それにユウは、一つため息を吐くと、一番まともそうな奴隷の檻に向かって鍵を投げつけた。
「……?」
奴隷がゆっくりとユウを見上げる。
「それを使って全員を助けろ。俺は…もう行く。——万が一つに無いとは思うが、一人で逃げようとは考えるな。みんなの為じゃない、お前自身のためだ。逃げ出した奴隷が、一人で生きていけるとは思えないだろ?」
「……」
ポカンと口を開けたまま動かないその奴隷に対し、「じゃあな」と一声かけると、ユウは歩き出したのだった。
「神様…」
奴隷の最後に呟いたその一言。
それは、ユウの耳に届くことなどなかったのだった。
◯
「一人で生きていけると思うな、か…」
あの奴隷に対し、自分の言った言葉。
静かに口ずさむと、それは自分も同じだろう、と彼は呆れたのだった。
しかし、一年前、彼は街に入っただけで奴隷としての生を強いられた。
——魔族。
彼らの話によれば、自分と同じく、黒い髪に、赤い瞳を持つ人種の総称…
彼らがなにをしたのか、はてはなにをしているのか。
それは一切わからないが、彼らはこの世界に於いて批難の対象にあたる。
むしろユウがあの奴隷達をまとめ上げたところでロクな事にはならなかっただろう。
「……」
ユウは、自身の右腕を眺めていた。
そして、その手に少し力を入れる。
すると——
ジリッ…
音を立て、小さく雷が発生した。
「これは一体…」
昨晩、彼の手に宿った一つの力。
彼を、人類に仇なす者とした力。
彼を、死の象徴とした力。
彼を、絶対的恐怖の具現とした力。
彼を、顕現せし殺戮とした力。
彼を____夢へと堕とした力。
半分以上は、“彼”の手によるものだろう。
しかし、仮にも歴戦の猛者達を数十名相手にその全て命を奪い去ったこの力。
正体はその一切が未だ不明だが、この力があれば多少なりとも生きていくことは出来るだろう。
しかし情報が足りなさすぎる。
この世界の文明レベルだって、見た目だけでしか判断は出来ていない。
だが、流石に書物は存在するはずだ。
文字の心配もあるが、音声言語が一致しているのだから希望はある。
その考えに至るなり、ユウは早速と、北西へ向かう事を決めたのだった。
——北西。
それは、週に一度、ユウを含めた奴隷達を入れ替える様に街へ送り届ける際、馬車が走っていた方角。
即ち、この荒野を北西へと進めば、いつかは街へと着くはずだと、そう考えたのだった。
なかなかに大きな街だったのを覚えている、遠くに小さく城の見える、国だろうか?
それなら流石に図書館程度なら存在するだろう。
一般大衆向けではないかもしれないが、その時は忍び込んで、いくつか拝借すればいい。
そう思考すると、ユウは早速と、最低限必要な物をここで調達するのだった。
◯
「ハァ…ハァ…ハァ…」
ユウは、荒野を駆けていた。
身体には簡素な服と軽い鎧を纏い、そしてフードのついたマントを背に羽織っていた。
真夜中、月の光が照らす道を、ただただ走り続ける。
その速さは凄まじく、さながら獲物を追う肉食動物の様な速度を出していた。
その足が一歩一歩踏みしめる度、彼の通った道には蒼い稲妻が駆けていた。
——これは、彼の力の応用だ
雷を両足に纏わせ、足が接地した際、磁力を纏った雷を設置し、地面を蹴った際、脚に同極の雷を纏うことで地面を蹴った力と磁力、その両方を用いて人間には不可能な速さで走っているのである。
磁走、とでも言ったところだろうか。
早々に磁力の存在に気がついたユウが取った最短で街へと向かう方法であった。
そして暫くしてから、ユウは身体を倒れるかと思える程後ろに傾けると、まるでスノーボードに乗っているかの様に両足を揃え、膝を曲げた。
その足は地面には接地しておらず浮いているが、その態勢に入って数秒経たず。
その程度でユウは完全に止まったのだった。
「ハァ…ハァ…」
上がった息を整える。
そして、ユウはその場に座り込んだ。
——流石に…馬車で半日かかる距離を休憩なしで走破するのは無理だったか…もっと早くこの走り方に気づいてれば行けたかもな…
「さてと…」
今夜は野宿だ、まずは火を起こさないとな…
そう思い、周囲を見渡す。
ちょうど良い枯れ木がいくつも立っていた。
ユウはいくつかそれを集めると、一ヶ所に固めて置く。
そして——
バチッバチバチッ!!
威力を上げた雷を、断続的に放射し続けた。
すると、数回打ったところで——
チリチリ…
枯れ木に小さく火がついた。
それを見て、ユウは屈み込むと、フーッと火に対して息を送る。
そうして数分、火が大きくなった。
それに満足そうに、ユウは尻をつくと、小さく呟いた。
「本当に便利な力だな…」
——磁力を帯びるのであれば、活用次第では間接的にではあるが擬似的に筋力を上昇させることも出来るのか…
これは覚えておいて損は無いな、むしろこれのおかげで自衛以外の手段が大量に見つかった。
「——それにしても…」
まだ腹は減っていないが、やはり食糧は持ってくるべきだったか…?
いやしかし、それだと彼らが——
そう思考した途端に、ユウはそれに対する疑問を覚えた。
——なぜ赤の他人の彼らに俺はここまでしたんだ…?
別に鍵を開けるくらいだったらいいだろう、一週間経てばまた奴等の仲間が帰ってくるはずだ。
それに対して逃げるも居るも、彼らの勝手。
抵抗するだなんて手段もある。
装備は四十以上の死体が持ってるしな。
態々食糧までくれてやる義理なんて無かった筈だ。
少なくとも、必要な分だけ持っていった所で彼等は何も言えないだろう。
じゃあなんで…?
「——ああ、そうか…」
ユウは冷たく呟いた。
これが、自己満足という奴か....
そんな事を思いながら、天を仰ぐと、満天の星空がユウを迎えていた。
それに、彼は内心で小さく呟く。
——前は綺麗にも思えたが…今はなにも感じない…——やはり、この世界は醜く、絶望に満ち溢れている。それだけが真理だ…
気づけば身体を横にし、そして彼はその瞼をゆらりと閉じた。
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