Phase06 離苦

 ターゲットの会社は大きなタワービルだったけれど、たしかに経営はぼろぼろらしかった。一階に入っても、受付の人も、警備員もいない。セキュリティーシステムも機能していないみたいで、社長室があるという二十階まで、エレベーターに乗ってすんなりと上がれた。


「ようこそ、待ってたよ」

 エレベーターを降りると、目の前にターゲットがいた。

 嬉しそうに笑みを浮かべて、両手を広げている。

「お前は!」

 ミチルは銃をかまえた。


「待て待て、カスミに会わなくていいのか?」

「お姉ちゃんはどこだ!」

「そこの部屋だ。見てみると良い」

 男はエレベーターの横を指差した。そこには透過性可変ミラージュガラスのドアがあった。ドアは透過性ゼロに設定されているらしく、真っ黒だ。


 男が手元でボタンを操作すると、ドアは透明になり、その奥に狭い部屋が見えた。


 無機質な部屋。床に直接、ベッドのマットレスが置かれていて、裸の女の人が横たわっていた。薄く盛り上がった胸が、呼吸のたびに弱々しく上下している。

「お姉ちゃん?」

 ミチルは部屋に飛び込んだ。

 横たわっていたのは、やはりお姉ちゃんだった。以前よりさらに痩せていて、ほほも、わき腹も、太ももまで、骨の形が透けている。肌は死人のように青く、ところどころに引っかかれたような赤黒い傷痕がっている。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 ミチルはお姉ちゃんの体をゆすった。

 そのとき、お姉ちゃんが張り裂けそうな悲鳴を上げた。

「あー、あー、可哀想に」

 男が押し殺した声で笑い、口元を押さえた。


「どうしたの、お姉ちゃん!」

 抱き起こそうとすると、お姉ちゃんの声はより大きくなる。

「いやぁぁ」

 涙を流しながら、声を荒らげる。

 ミチルのことも分からないみたいだ。

「お姉ちゃんに何をした?」

 ミチルはドアの外でニヤニヤする男に銃を向けた。

痛みの錠剤ペインタブレットだ。投与量しだいで痛覚が数倍になる」

「そんなもの、どうして?」

 お姉ちゃんは息を絶え絶えにしながらも、狂ったように叫び続けている。

「娼婦経験が長いせいか、何をされるのにも慣れっこだったみたいでな、犯そうが、痛めつけようが、反応が薄くてつまらなかったんだ」

 男は舌なめずりした。長い舌が、蛇のようにぬらめく。

「薬を投与したときはさすがに、いい声を聞かせてくれた。だが、そろそろ限界のようだ。もう薬を飲ませなくても、のた打ち回ってる始末だよ」

「どうやったら治るんだ!」

「こうなったら、もう治らない。一生そのままだ。だから困っていたんだよ。これじゃあ、うるさいばかりで面白くないからな」

 男はため息をついた。


「このっ、殺してやる!」

「そのつもりで来たくせに、何をいまさら」

 男はまた、手元のボタンを押した。

 ミチルの持っていた銃が、急に重くなり、地面に落ちた。

 服に隠していたナイフや、予備の銃弾も床に吸い寄せられる。

「この部屋には、強力な磁力を操る機械が仕込んであってね」

「くそっ!」

「いいな、活きが良くてすばらしい。ガキっぽいのが気に入らないが、その分、経験は少なそうだ。痛みの錠剤ペインタブレットなんて使わなくても、充分楽しめそうだ。娼館の主人もなかなか良いことを考えたもんだ」

「どういう意味だ?」

「娼婦じゃない女が欲しいと言ったらお前を紹介されたんだ」

「そんな、ボクは、娼婦なんて」

「しないだろうから、殺しの依頼ということにして、ここに送り込んでもらったんだよ」

「そんな、あの人まで!」

「ここが潰れかけと言うのも嘘だ。金払いの良い客だって、主人も喜んでくれているよ」

「思い通りになんかっ!」

 ミチルはこぶしを握り締めて、男に飛び掛ろうとした。


「ふんっ」

 男は部屋のドアを閉め、鍵をかけた。

「しばらくすれば、催眠ガスが回る。楽しみにしていろ、目覚めたら地獄が始まるぞ」

 男の高笑いとともに、壁から白い煙が出てきた。


 くそっ、くそっ。ミチルは歯噛みした。


 お姉ちゃんはマットレスの上で苦しそうに荒い息をしている。痛みの錠剤ペインタブレットの効果は相当に強いらしくて、煙が肌をなぞっただけで、激痛に体をのけぞらせた。

「くそっ、くそっ」

 ミチルは泣きながら、地面の銃を取ろうとした。


 せめて、お姉ちゃんを楽にしてやりたい。

 弾はいっぱいある。お姉ちゃんを殺して自分も……。

 しかし、銃は床に張り付いていて動かない。

「くそっ。どうして、取れないんだよ!」


「ミチル……」

 お姉ちゃんが正気に戻った。

 口を動かしただけでも痛いみたいで、醜く顔を歪めながら、

「あなた、どうして、こんなところに来ちゃったの……?」

「お姉ちゃんを助けたくて」

「ちっちゃいんだから、そんなこと……うっ」

 お姉ちゃんは苦しそうに自分の体を抱きしめた。

「痛い、痛い、痛いよ」

 弱々しい声がもれる。

 ミチルにお尻を向けて、お姉ちゃんは胎児のようにうずくまった姿勢になった。

「痛いよ……」


「お姉ちゃん、ごめんなさい。助けられなくてごめんなさい。でも、すぐに楽にしてあげるからね」

 ミチルは丸くなったお姉ちゃんの手首を握り、女を犯す男みたいに、力ずくで体を押し広げた。お姉ちゃんは悲鳴を上げたけれど、ミチルのやろうとしていることが分かったのか、歯を食いしばって大の字になった。

「お姉ちゃん、ごめんなさい」

「ふふ、いいの。こっちこそ、ごめんね。本当なら、私が、あなたを……」

 ミチルは裸のお姉ちゃんに馬乗りになって、首に手を回した。

 お姉ちゃんは頑張って耐えようとしたけれど、やっぱり、痛みに耐え切れずに暴れた。


 ミチルは全身全霊の力をこめてお姉ちゃんを押さえつけ、泣きながら首を絞めた。お姉ちゃんの温もりと、苦しそうな呼吸と、荒い脈動が手のひらから伝わってくる。

「ごめん。ごめん……」

 涙をぼろぼろこぼし、ミチルは何度も謝った。でも、手の力だけは緩めない。

 やがて、お姉ちゃんは動かなくなった。

 首を閉めている手に感じる脈拍も弱くなっていく。

 そのころには、部屋中に催眠ガスが回っていた。

 手の下の脈動がなくなった。

「お姉ちゃ……ん……」


 ミチルはお姉ちゃんの死を実感するのと同時に、深い眠りに落ちた。

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