科学界の馬鹿げた学説
ネコ エレクトゥス
第1話
「キリンの首が長くなったのは何故か?高いところにある葉っぱを食べるために首を伸ばした。」
僕らはこの考え方をとっくに捨て去ったはずだった。それなのに全くおんなじ考え方がしぶとく根付いている。それは何か。昆虫の『擬態』。
「Aという虫は何故Bという虫とそっくりなのか?有害なBという虫と姿を似せることで生き延びるため。」
これではキリンの話と何が違うのか。Aという昆虫は昔ある時点で鏡を見ながらこんなことを考えたとでもいうのか。
「俺もそろそろBに似てきたかな。」
あったら面白い。だがない。そろそろ『擬態』という考え方は捨てるべきではないだろうか。
では何が正しいのか。批判ばかりしてても先に進まないので僕なりの考えを提示したいと思う。
まずこんなことを考えてもらいたい。僕とあなたには確かに違いがある。ただその違いなるものはほんの僅かなもので、基本的には僕もあなたも限りなく同じに等しいんだということ。AとBという二種類の昆虫にしても同じことで、ほぼ等しい構成要素から成り立っている。
僕とあなた、AとBという昆虫を分けるのがこのほんのちょっとの部分なのだが、ここに偶然性、自由度、可塑性といったようなものがある。ここで次の段階に進む。
「二つの物体が同じ形をしていたら、そこには同じ力が作用した可能性がある。」
これは戦前の科学者、寺田寅彦が流体力学の分野を意識して言った言葉なのだが、同じことは生物学の分野でも考えてみる必要がある。
地中で生活する哺乳類のモグラと昆虫のオケラが何故ともに足が体の横に付いて似たような形をしているのか。ともに土の中で生活しているから。同じ力が作用すると自由度、可塑性の部分が同じ方向に向くことがありうるということ。昆虫の『擬態』のメカニズムもこういった要素の複合ではないか、と思っている。
南米のジャングルに生育しているド派手な花を日本に植えたとする。人為的な手が加わらず、環境の変化もほとんどなかったとしたら、今から例えば一万年後とかにこんな光景が見られるのではないか。
「この花ってもともとは南米の花なのかもしれないけど、どこか日本の花っぽいしっとりとした趣があるよね。」
一万年後の人たちの反応を待ちたい。
科学界の馬鹿げた学説 ネコ エレクトゥス @katsumikun
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