第67話
降っているかどうか分からないほどの微細な雨が肌を心地よく潤してくれる中、
――何をしても絵になる人だなー。
感心した気持ちで彼の前にちょっと立つと、結子に気がついた恭介は一瞬不審な顔になったあと、驚きに目を見開くようにしてみせた。結子は
「一瞬、誰かと思ったよ」
恭介は驚きを冷ますように息をついてから言った。
結子はにっこりとしながら、
「あなたのカノジョです。誇りに思ってくれますか?」
訊くと、恭介は、
「ずっとそう思ってたよ。告白を受けてくれてからこの五カ月の間」
そう言って微笑した。その笑いの中にどこか陰があるように見えた結子は、さっと恭介のおでこに手を伸ばしてみた。反射的に避けようとした彼の額を、結子の手が捕まえる。どうやら熱は無いようだ。
恭介は、結子の手を離させてから歩き出しながら、
「元気だよ。でも、万一倒れたらユイコに背負ってもらおうかな」
冗談を言った。結子は、任せてください、と請け負って、彼の隣についた。そうして、ちょっとホッとした。ここ一週間というものまともに口を利いておらず、メールのやり取りもほとんど無かったので、話しかけるのに少し緊張していたのである。
駅の構内に入ると、電車の発車までいくらか時間があるので、ジュースとお菓子を買った。そのあと、行く先の切符を買って、プラットフォームへと入る。少し待つと時間通りに電車は来た。
「電車乗るの久しぶりだなー」
結子は、はしゃぎながら車両へ足を踏み入れた。
目的の駅までは一時間ほどの旅路である。そこからバスに乗り換えることになる。電車の中は混んでおらず、席はたくさん空いていた。結子は、向かい合う形になっている四人がけの席に、恭介と向かい合って座った。
「そう言えば、二人で出かけるのって凄い久しぶりな気がする」
結子が言うと、恭介は考える素振りをみせてから、確かに、とうなずいた。
「キョウスケからも誘われなかったからね」
「オレはユイコがいてくれればどこでもいいからさ。特にどこかに出かけなくても」
「それ、デートプランを考えるのが面倒くさい男の子が使う、ていのいい言葉の一つだね。林さんが言ってたわ。そんなことを言えば女の子が誰でも喜ぶと思ったら大間違いだよ、キョウスケくん」
「そんなつもりはないんだけど。本心だから」
「ふーん……ところで、一つ訊きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「わたしのほっぺた赤くなってない?」
「えーと、大丈夫みたいだぞ」
「ならよし! あ、そうだ。さっき買ったチョコ食べる? わたしの分もあげる。胸がいっぱいで入っていきそうにないから」
電車がそろそろと発車した。車窓の風景が後ろに流れていく。小雨に軽く煙る街は、歩くのにはふさわしくないだろうけど、眺めるのには良かった。
しばらくそうして街並みを眺めてから、ふと恭介の方に視線を向けると、彼もシートの肘かけにほおづえをついて、外の景色を眺めていた。結子の目は、彼の優しい目元から、通った鼻筋を落ちて、艶のある唇に到達した。女装させたらいい線行くのではないか、もしかしたら自分はもとより明日香くらい美しくなれるかもしれない、と結子は妙なことを考えて、思わず声を出して笑ってしまった。
「どうした?」と恭介。
結子は首を横に振った。
「何でもない。今度、一緒に服を見に行かない? キョウスケ。わたしが見立ててあげるから」
電車が進むうちに雲が切れてきた。切れ間から青色がのぞいている。ちょうど電車は川の上を渡っていて、窓から下に見える水面がきらきらしていた。どうやら晴れそうである。
少し離れた席から、赤ちゃんがグズる声が聞こえてきた。静かな車内になかなかに響く声だったが、それにも関わらず、結子は眠たくなってきた。電車の揺れがちょうど良い振動になって、遠い昔、揺りかごに揺られていたときのことを思い出した。
「眠いの? ユイコ」
恭介の言葉に、結子はハッとして首をぶんぶんと横に振った。デート中に眠くなるなどという無作法をするような女の子だと思われたら沽券に関わる。
「寝ててもいいよ。着いたら起こすから」
恭介の優しい声に、結子は半眼で答えた。
「それはわたしとなんか何も話すことは無いっていうことなんでしょう。寝ててくれた方が静かでいいみいたなさ。ショックだー」
「いや、そういうわけじゃないよ……じゃあ、何か話す?」
「話して」
「何を?」
「何でもいいよ。桃太郎とか一寸法師とか。あ、でも、白雪姫とかシンデレラはダメね。あーいう消極的な女の子って、好きじゃないから」
「全部おとぎ話じゃないか。絶対寝る気だろ」
「キョウスケ」結子は手の平を彼に向けた。
「え、なんで、ハイタッチ?」
戸惑いつつも、恭介はパンと手の平を打ちつけてくれた。
赤ちゃんの泣き声がひときわ大きくなった。どうやら本気を出し始めたようである。もっと泣いてくれたらその声で起きていられるのにと、結子が心の中で見知らぬ赤ちゃんにエールを送っていると、
「うるせえっ!」
という赤ちゃんの声とは似ても似つかぬ野太い声が上がった。
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