第24話

 片桐明日香アスカ


 男の子だったら、ちょっと目を見張ってしまうほど可愛らしい少女である。


 しかし、残念ながら結子は男子ではない。よって、美少女に待ち構えられても特別嬉しくない。それがつんと澄ました顔の子であればなおさらであるし、遺恨があればさらになおのことである。


 その明日香がじっとこちらを見ている。結子はうんざりした。何か用があるのか、なんて問うまでもない。もちろんあるのである。だから熱い視線を結子に注いでくるのだ。そうして、それが何の用かなんてことも訊くまでもなかった。大和がらみのことでしか彼女とは接点などない。鬱陶しいことこの上ないが、逃げるのは結子の流儀ではない。つかつかと明日香の前まで歩み寄った結子は、彼女を気持ち見おろした。結子の方が背が高い。


 明日香は一言もなくクルリとターンした。ついてこい、という意である。


 恭介には先に行くように言ったが、彼はそばを離れようとしなかった。結子は、「女同士の話みたいだから」と再度断ったが、静かに首を横に振るだけである。彼らしくもない頑固さは、前回二人きりで会わせたことでカノジョが引っぱたかれる結果となったことを気にしているからだろう。そこに思い至った結子は胸の真ん中がほわほわとして良い気分になった。


 校舎へと向かう生徒たちの流れから外れてすたすたと歩いていく小さな背を追っていくと、導かれた先は因縁の場所だった。いつぞや引っぱたかれた校庭の一角である。今日は運動部の朝練が無い日なのか、威勢の良い掛け声などは聞こえず、辺りはひっそりとしていた。


 立ち止まっておもむろに振り向いた明日香から、結子は少し離れたところで足を止めた。明日香の間合いの中に入らないように気をつけたのである。同じ相手に二度もひっぱたかせてやるつもりはなかった。


 恭介は礼儀正しく二人からちょっと離れたところに立ってはいたが、それは何かあればすぐに駆けつけられる距離でもある。


「ごめんなさい」


 明日香の決然とした声が結子の耳を強く打った。


 下げた頭の黒髪が朝日を受けて、綺麗な光の輪を作っている。


 結子が、呆けたようにそれを見守っていた時間は長くはない。


 明日香はすぐに頭を上げると、この前叩いたこと謝るわ、と早口に続けた。


 結子は拍子抜けした。きっとまた大和とのことで何か難癖をつけてくるのだろう、と思っていたのである。まさか謝ってくるとは思わなかった。


「許してくれるの? くれないの?」


 業を煮やしたような態度は、謝罪する人間のそれではなかったが、結子は寛大さを見せた。ここで鷹揚に彼女を許すことが大人への第一歩である。結子は、ファーストフード店の店員もかくやと思わせるほどの営業的にこにこスマイルを作ると、そんな過去のことはとっくの昔に水に流してしまって、今ごろはもう地中海あたりに流れ込んでいるハズだと答えた。


 明日香は結子の秀逸なジョークに全く反応せず、なお瞳に憎々しげな色を湛えている。


――本当に悪かったと思ってんのかなー?


 見た感じ、とてもそんな雰囲気ではない。


 そもそも何でこのタイミングなのか。事件が起こってから既に三週間が経っている。結子は被害者だから事件のことは忘れようにも忘れられないが、明日香にすればこのまま風化させていってもいいような話の気がする。それをなぜ今わざわざ? しかも、彼女はどうひいき目に見ても前非を悔いているようには見えないのだから、ますますおかしい。


 そこで、結子の女の勘にピンと来るものがあった。それを確かめようとすると、


「さ、殴れば」


 ずいっと一歩前に出て明日香は顎を上げるようにした。


 一瞬困惑した結子だったが、どうやら目には目を的なことをやれと言っているらしいことはすぐに分かった。この前殴ったお返しに一発殴らせてやるからそれでチャラにしろということだろう。可憐なルックスを裏切るまことに男らしいノリ。


 結子が首を横に振ると、明日香が「それじゃあ、公平じゃない」と噛みついてきた。それをかわすようにして、自分の推測を話し始める結子。どうして明日香が謝りに来たのかその理由について思ったところを述べると、彼女は渋い顔をした。そういう顔を作ること自体が結子の推測が正しいことを裏付けており、しかも、


「殴らせなくていいから、その代わりに話して」


 そう言って促すと、不承不承、明日香は口を開き、聞いたことはやはり思った通りのことだった。


 話を聞き終えた結子は、自分の推測が当たっていても全く嬉しくなかった。むしろその逆である。心臓が大きく鼓動を打って、それに応じてさざなみのような震えが全身に走った。結子は、きゃあ、という可愛らしい悲鳴が上がるのを無視して、明日香の手を握るとずんずんと歩き出した。少し離れたところにいた恭介に目もくれず、生徒用玄関に向かって明日香を引きずっていく。


「ちょっと、どこ行くの?」


「あなたのカレシのとこ」


 玄関で上履きに履き替えながら短く答えた結子は、明日香についてくるように言うと、廊下を速足で歩いて自分のクラスに入った。肩から下げたかばんを机に置きもせず向かった先に、友人と昨日のバラエティ番組の話で盛り上がっている大和の背があった。


 結子は、とんとんと大和の肩を叩いて彼を振り向かせたのち、


「歯をくいしばれ」


 短く警告を与えた。


 一瞬後、授業前の平和なひとときを過ごす教室に、ゴンという鈍い音が響き渡った。

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