第15話
いつまで大和との絶交状態を続けるつもりなのか、という問いに対して、正直に「少なくとも中学校が終わるまで」と答えたとしたら、恭介がどういう行動を取るか、目に見えた話である。彼の友情は燃え上がり、その熱にふさわしい行動を取ることになるだろう。すなわち、説得に次ぐ説得。説得の連続攻撃である。よしやそれをかわしきったとして、
「ヤマトはオレの親友なんだ。もし、あいつと仲直りできないなら、オレたちもちょっと距離を置いたほうがいいかもね」
と飛躍したことを言い出すかもしれない。男の子には論理性というものはほとんど期待できない。そうして、
「別に嫌いになったわけじゃないよ。ユイコに頭を冷やしてもらいたいだけなんだ」
なんてことを、まっすぐな目で告げられるかもしれない。そんなことにならなかったとしても、それに類するしょうもないことになりそうな予感がひしひしとする。だから、結子は絶交終了期間につき、明言を避けたのだった。避けてもいずれは分かることかもしれないが、いずれのことはいずれの結子に託せば良い。結子は前向きな女の子である。
「明日は明日の風が吹く!」
「ポジティブなのはいいけど、でももうちょっと計画性持とうよ、ユイちゃんは」
拳を握りしめた結子の前に、テーブルを挟んで母がいた。自宅のダイニングである。けだるい午後の光が差し込んで、あたりをぼんやりさせていた。「む、お説教か」と警戒の色を浮かべる結子。母はかけ時計を指差した。長針と短針のデコボココンビが二時半を指している。
「ユイちゃん、甘いもの欲しくなーい?」
「お母様。ユイコは現在、ニキビ国と交戦中です」
「たまにはいいじゃん」
「その油断がニキビの侵入を許すのです。緊張感を持ってください」
「ママはもう中学生じゃないもーん」
「それは生まれたときから知ってます」
「じゃ、こっちは知ってる? ママ、甘いもの切れるとイライラしてくるってこと。これからたっぷり三時間の間、娘のライフプラン、特に勉強の面について話し合ってもいいのよ」
柔らかな脅迫に屈する形で、結子はダイニングテーブルを立った。お金を受け取ったあと、「いってらっしゃ~い」というにこやかな声を背に受けて玄関を出る。今日は休日である。週に二日しかない休日に母のためスウィーツを買いに行く女子中学生。健気! この殊勝さを訪日中のどこかの国の女王様にでも見初められ、王子の嫁にでもなれんもんかと、結子はもやもや考えた。
十分ほど歩いたところにある「ブルーム」という洋菓子店が結子の家の行きつけだった。ちょっと割高なお店であるが、その値段は母の、この店に並ぶお菓子たちへの情熱を冷ませるほどではないようだ。明るく落ち着いた店内にはいつもの通りかなりの客がいた。人気のお店なのである。結子は、スーツ姿のビジネスマンの横に並ぶと、カウンターのガラスケースの中を物色した。イロトリドリの世界にくらくらっとする結子。これは目の毒である。
――ダメよ、結子! 自分の分は買っちゃダメ! ……ああ、でも、おいしそう。
結子は誘惑に抗しきれなかった。しかし、せめて一矢を報いんと、ウエイトレスのお姉さんにもっとも低カロリーのものを訊いた。さらに、もっとも高カロリーなものも訊いてみる。そっちは家族用だった。どいつもこいつも太ればいいのだ。
――そうすれば、目の錯覚でわたしが細く見える。
くくく、と結子はほくそ笑むと、まるでそれが分かったかのように母から電話がきた。びくりとした結子が、お姉さんにちょっと待ってもらって、おそるおそる店外で携帯を取ると、一個余分に買ってこいという指令。
「マユっちとお茶することにしたからさ」
四十まぢかの良い大人が友人をあだ名で呼ぶのはどんなもんだろうか、と結子は母をいさめた。
「でも、呼び始めたのは若い頃のことなのよ。そのときは、ユイちゃんも小さくてママに言い返したりしなかったな。今でも思い出すなー、ユイちゃんがヤマトくんに初めて会ったとき、キック――」
結子は電話を切った。再び店内に入ると、入れ違いにビジネスマンが出て行った。これから会社にでも帰って意中の女子社員の気でも引くのだろう。カウンターで一つ余計に注文すると、しばらくして白い箱型ケースを手渡された。けっして揺らしてはなりませぬ、とまるで危険物ででもあるかのような注意を受けて結子は店を後にした。
細心の注意を払って逆向きに道をたどり、結子は家に帰ってきた。玄関で靴を脱ぐと、女性二人の高い笑い声が流れてくる。
「お邪魔してます、結子ちゃん」
リビングに入った結子は客から挨拶を受けた。見知った顔。大和の母である。たおやかな容姿をまとった女性で、結子は常々、この人から大和が生まれたのは奇跡であると思っていた。昔から良く面倒を見てもらっており、もはや第二の母と言っても過言ではない存在である。
結子は挨拶を返すと、キッチンへと向かいコーヒーの準備をした。コーヒーメーカーに水とコーヒー豆をセットしてポチっとスイッチを押すと、すぐにボコボコと音がする。コーヒーの香りをかぎながら、箱からケーキを取り出した。ひとつのお皿にひとつずつ。
そこへ手伝いにやってきた母が変な顔をした。結子はひやりとした。お皿に載っているものの中、一つだけ仲間はずれ――結子用低カロリーケーキ――があるのを見て、「家族デブデブ計画」が見破られたのだろうか。
「どうして一つ余分に用意してるの?」
「え?」
結子はダイニングテーブルに乗せた皿の数を数えた。全部で四つである。余分などなくぴったりのハズだ。
「おばさまの分でしょ。お母さんに、わたしに、あとは……」
「は」という形で結子の口は凍りついた。
コーヒーメーカーが静かになって、訪れる静寂。
最後の一皿――
それは絶交相手のためのものだった。
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