第168話 佐倉小次郎

退院した大ちゃんが学校に行ったのは、結局週明けて水曜日からだった。


あばら骨のヒビにはこれといった治療がないため、母親が少し自宅療養した方がいいと判断したからだ。



「なんだか、学校に来るのすごーく久しぶりな気がするなぁ」

校門の前で大ちゃんはつぶやいた。

埃っぽい校舎の匂いが懐かしい。


「よー、大、自転車にはねられたんだって?」

後ろからクラスメイトの男子が声を掛けてきた。

ちょっと髪を茶色にカラーリングしていて、のりが軽くて、大ちゃんが一番苦手なタイプだ。

いつもなら極力避けて関わらないようにしている。

でも今日は意外なほど怖くも嫌でもなかった。


「そうなんだよ。ビックリしちゃった」

大ちゃんはにこっと笑って答えた。


何だかいつもと違う雰囲気の大ちゃんに一瞬戸惑う男子。

つい一週間ほど前までは、自分と目も合わせずおどおどしていた奴ではなかったか。


「ほーん・・・」

男子は肩透かしを食らった気分でそのまま走り去った。なぜかちょっとドキドキする感じに首をひねりながら。



「大ちゃーん、ケガ、ダイジョーブだった~?」

教室に着くと、4,5人の女子が寄ってきた。

大ちゃんがモテているのではない。大ちゃんが作ってくるお菓子が目当てなのだ。


「うん、この通り。あばらにヒビが入っちゃったけどね~」

普通の受け答えなのだが、女子の感は鋭い。


「あれ?大ちゃんなんか雰囲気ちがくない?」

「あー、ねぇ、思った思った!」

「なんかね・・・おちついて・・・可愛くなった?」


「なにそれ、あ、そうだ、今日はお菓子作れなくて持って来てないんだ。ごめんね。」

大ちゃんの謝り方も、いつものようにおどおどした卑屈な感じがない。


「んー、仕方ないよ。事故ったんだから。」

女子がちょっと大ちゃんの笑顔に照れているときに始業のベルがなった。



授業を受けながら、実は一番大ちゃんが自分のことを不思議に思っていた。

(ボク・・・どうしちゃったんだろう?)


あれほどびくびくしていた教室が、今日は全然怖くない。それどころか、みんなを上から見ている傍観者のような妙な落ち着きを感じている。


(そして・・・何かとても大事なことを忘れている気がする・・・。自転車とぶつかった時頭でも打ったのかな・・・)


イメージするのは、森の中の空気の香りや鳥の鳴き声、雪を踏みしめる感触。

そして・・・


(だれかにギュッと抱きしめられた感じが・・・)

肩に腰に、髪に残っている気がするのだ。


そんなことを茫然と考えながら、大ちゃんは復帰一日目の学校の授業を終え、放課後。


帰り支度をしていると、なにやら廊下の方で騒がしい声が聞こえてきた。主に女子の声だ。

その声は徐々に大ちゃんの教室に近づいてきた。


「なんだろう・・・?」

大ちゃんが入口の方を見ると同時に、ドアがバンッ!と開いた。



「大くん?!」


「はい?」


メガネをかけた背の高い男が、大ちゃんの方にズンズン歩いてきた。

その後を10人以上の女子が金魚のフンみたいについてくる。

「きゃ~、佐倉先輩、大ちゃんのことしってるんですかぁ~~?」

いつもより2オクターブは高い声。


「大くん、いきなりごめんね。ボクは、自転車でキミにぶつかっちゃった者で・・・。佐倉小次郎と言います。」


「佐倉さん・・・。」


「ご両親はボクのこと許して下さったけど、どうしてもお金以外に何かさせてもらいたくて。しばらく学校帰り、キミを送らせてくれないか?」


「ええっ?!」





女子たちの羨望の眼差しを一身に受けて、大ちゃんは校門を出た。

途中で教師も何人か声をかけてきたので、この佐倉小次郎と言う男はよっぽどの有名人なのだろう。


小次郎は戸惑う大ちゃんにニコッとして見せた。炭酸飲料の宣伝のような、さわやかな笑顔。


「突然ごめんね。びっくりしたよね。」

「はい、少し・・・。でも、あの、ホントにボクのことは・・・、怪我も治ってきたし気にしないでください。ほら、この通り大丈夫ですから・・・!」

大ちゃんは腕をブンブン回して見せる。(実はちょっと痛かった)

「うん・・・でもボクはなにかどうしても償いがしたいんだ。・・・迷惑かな?」

小次郎は困ったような寂しそうな顔をした。その表情がまた男前で、今までこんなタイプにそんなことを言われたことがない大ちゃんは困ったしまった。

「め、迷惑だなんてとんでもない!助かります!お願いします!」

ちょっと落ち着いたと言っても所詮大ちゃんである。流されるまま生きているのであった。


小次郎は嬉しそうに大ちゃんの荷物を持つ。

大ちゃんは遠慮するのを止め、誰もが振り向く長身イケメンと並んで歩く羽目になった。


小次郎は超イケメンだけど気さくで、大ちゃんでもついてこれるような話題で話しかけてくる。

きっと頭もいいのだろう。


家までのバスと徒歩の1時間近い道のりも、彼と話しているとあっという間だった。


「じゃあ・・・ボクはここで」

アパートの前で小次郎が止まった。

「あの、今日は暑かったですから、アイス珈琲でも飲んでいって下さい。それにボクおやつも作れますし。

・・・あいたっ」

その時大ちゃんは胸にちくりとした痛みを感じた。


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