3部
第16話 風前の灯
刻は夕暮れ。
茜色に飲まれた氷の大地は磨かれたトパーズのように美しかった。
同時に――
あと少し……。
あと少しでメーティスの『いのち』が尽きる。
僕たちはそんな危機感と奮闘しながら、氷の大地の上をひたらすに、南に向かって歩み、進んでいた。
ちなみに、テントや食料など持ってきたモノはソリにすべて預けてある。
メーティスは彼女が背負い、荷物係は僕が担当だ。
僕はダンジョン内で拾った携帯端末に視線を落とした。
ブォン。と幽鬼のように表示された立体画面には、町までの事細かな詳細が描かれていた。
「――しっかし、まだ『バレンツ』には辿り着きませんかね?
もう、予定ではとっくに、到着してもオカシクないのですが……?」
――バレンツ。
この世界にある最北端の町の名称だ。
共に飛行船で行ける最後の町である。
別段、『魔王城』が近くにあるというわけではない。
ただ、その前人未踏の地の多さから、最難関の町として政府により指定されている。
余談になるが、この町の名物は『冬の恋人』。
ふっくらとした生地に、身に沁みるような甘さが特徴的な洋菓子だ。
「……確かにな。もしかして、オカシナことが起きているやも知れぬ……」
「……オカシナこと?」
「――“ミラージュ・エストプリズム“だ」
確か、モンスター図鑑で見たことがある。
生物に幻想を与え、その生物が疲弊し切った瞬間を捕食するモンスターの名称だ
その多くは惑星の北部に生息しているため、未だその生態は解明されていない。
とにかく、学者たちからは非常に厄介なモンスターだと分類されている。
「まさか、だとは想うが、これも奴等の仕業だと考えれば、自然と都合がつく」
「そんな、まさか――ッ!」
如何に神様が厳しかろうと、こんな仕打ちを与えるはずがない!
それに、神様だって、メーティスの回復を一刻も早く望んでいるはずだ。
すべてはこの環境が――悪い。
環境が悪いから、こんなにも、僕たちは苦境を強いられているんだ!
「それじゃあ、僕たちは……」
「きっと、幻想に魅入れているはずだ」
アイリスは腰に下げたポーチからエーテルを取り出した。
「でも、意識は鮮明ですよ?
果たして、エーテルを飲む必要があるのですか?」
「そこが、厄介な所だ。
奴等は幻想を与えると言っても、その実際は人の意識に語り掛けるモノではない。
人の潜在意識に元より、無意識下に与えるモノだ。
私もかつて奴等には苦い経験をさせらたものだ。」
「じゃあ、これは――ッ!」
「――まるで『禁域の森』に迷い込んだと同じ定義だな?」
「オオ……、ジーザス……」
――禁域の森。
大陸の中部にある、とある巨大な森の総称である。
何でも、その摩訶不思議な道順から迷子が続出するとか……。
そんな森には『エルフ』が住んでいる。
エルフが
当然、地方都市としても賑わっており、王都との貿易も盛んだ。
「な、何とか、回避する手立てはないのですか?」
彼女は疲れたように頭を抱えた。
「無意識下によう内なる覚醒か、それとも、私たちが極限まで疲弊するしか方法ない。
その隙をついて、奴等を討伐する」
「……無茶ですよ。メーティスの身体が持ちません」
「分かっている。が、それしか方法が想いつかないのだ」
「エーテルによる効能は?」
エーテルとは、まさしく、精神による状態異常を治療する特効薬だ。
故に、これが効果的だと僕たちは判断したまでだ。
しかし、彼女は――。
「その効能は微々たるモノでしかないだろう」
「けれど、飲まないよりはマシだと言うわけですか……」
「……そうだな?」
「
僕たちは腰に下げたポーチの中からエーテルを取り出すと、それを一気に飲み干した。
「――やはり、エーテルはマズい!」
君は苦い顔をしていた。
「腐った青汁を飲んでいるようです」
僕にはこれには想わず、顔を歪めた。
「でも、これで多少なりと、マシになったのでは?」
「あぁ……、気休め程度にはなったやも知れぬ」
だが、抜かることはできない。
いつ、どこで、ミラージュ・エストプリズムが襲いかかってくるとは限らない。
それに、他のモンスターたちも……。
敵は大勢いる。
同時に試練は募るばかりだ。
「――頼む!持ってくれよ、メーティス!」
だが、その願いは届かず、神様は更なる試練を僕たちに与えた。
際限ない氷の大地の上に何かが蠢てみえる。
「――“スノー・ゴーレム”か」
――スノー・ゴーレム。
惑星の最北端に生息する巨大なモンスターだ。
その膂力は折り紙付き。
遭遇すれば、まず、いのちの危機に晒されるだろう。
僕たちは遠目からその姿を確認した。
まるで、その体躯は巨体。
氷塊で造られたような氷の怪物だった。
「イツカ、ここは穏便に……」
「無駄ですよ……。もう、野郎は僕たちに気が付いている」
「この距離から私たちが視えるのか!?」
「だって、オカシイでしょう?
遮蔽物がない
「……それも、そうだな」
彼女は腰に田主された剣を抜こうとした。
それを、僕は片手で阻む。
「――師匠、メーティスをお願いします!」
「――待て!イツカ!貴様独りでは無理だ!」
僕は彼女の静止を振り切り、墜落する隕石のようにスノー・ゴーレムへと接近を果たす。
刹那、スノー・ゴーレムは迫るような鉄拳を僕へと振り翳した。
僕はそんな致命に対し、バタフライナイフの腹で逸らすことにより、難なくかわす。
「■■■■■■――ッ!」
スノー・ゴーレムは乾いた獣の如き雄叫びをあげる。
そうして、まるで――猪突猛進。
一直線に僕へと向かってくるその姿は、差し詰め、ラグビー選手のようである。
そんな愚鈍な軌跡を読めないほど、僕は――弱くない。
例え『ブロンズ・ランク』という冒険者の最底辺に位置する僕だって、毎度、彼女に修行という名目で鍛えられているんだ!
僕はスノー・ゴーレムに対し、音もなく忍び寄ると、咄嗟にバタフライナイフを閃かせた。
それだけで、瞬時に微かな切断面を覗かせるスノー・ゴーレム。
「――まだだ」
僕はバラフライナイフでスノー・ゴーレムの
まるで地響きを轟かせながら、雪崩のようにひれ伏すスノー・ゴーレム。
その瞬間を逃さず、僕は宙を蹴ると、スノー・ゴーレムの首へと獅子のように飛び乗った。
そして、バタフライナイフで一閃。
その首を断絶した。
息絶えるスノー・ゴーレム。
刹那の間、僕は止め処なく溢れる鮮血に酔い痴れた。
「――ほう……。随分と強くなったものだな?」
「これも、すべて師匠、あなたのおかけげですよ?
造作にもありません」
――その時だった。
突如として、『情景』が慌てふためいた。
「――奴だ!」
「――委細承知!」
僕は閃光のように場を駆けると、咄嗟にバタフライナイフを閃かせた。
「■■■■!?」
「もう、お前の茶番に付き合うのは――うんざりだ」
迸る鮮血。
それは茜色の大地を修羅へと染め上げた。
僕はその修羅に染まることなく、彼女の元へと疾風のように歩み寄った。
「――相変わらずの速さだな?」
「勝負とはその一瞬がすべて、ですからね?
それに、『
――縮地。
強靭な脚力で、初速から最高の速さに達する足を運び、一瞬の内にして相手の間合いを浸透する幻の体技。
流派を問わず、多くの剣術家には知れ渡っている。
常人の目では見切ることはできず、仙術の類だと伝えられているぐらいだ。
僕の特技はその縮地だ。
それによって、僕は今までの勝負に一瞬を賭けてきた。
「――そうであったな」
それから――数分語。
僕たちはようやく、バレンツへと足を踏み入れることを許された。
もう陽はとっくに沈み、漂うような三日月が上空へと浮かびあがっていた。
「――急患だ!急いでくれ!」
僕たちは病院の扉を叩いた。
◆◇◆◇◆
「――先生、メーティスの具合はいかがですか?」
「極度の脱水症状に栄養失調、更に凍傷も見受けられる。
よく、ここまで保ったね?
まったく、『奇跡』としか言いようがないよ?」
カエルの顔をした主治医は告げる。
「大体の処置は施した。
後は彼女の回復を待つばかりだ
それに、もし心配だたったら、王都の大学病院に連れていけばよいと想うよ?」
主治医は
「あぁ……、凍傷もちゃんと治したからね?」
「ありがとうございます!」
僕は丁重に頭を下げた。
「礼には及ばないさ」と主治医は手を振り去っていった。
僕はメーティスが眠るベッドへと足を運んだ。
その視線の先には注射の管で繋がれたメーティスが静かな吐息を吐き、眠っていた。
「――師匠?メーティスの具合はいかかがでしょうか?」
「……うむ。
「そうですか。安心致しました」
彼女は自然な笑みを零した。
僕もつられて、自然な笑みを零してしまう。
「まぁ、何だ?イツカ?貴様も座れ」
「かしこまりました」
僕は彼女の隣へとゆらり。と腰かけた。
「イツカ?こんなに幸せそうな顔を見たことがるか?」
君はモキュ。とメーティスの頬を摘んだ。
「……もう、食べられません」
ちゅーか?なんて、夢を見ているのだろうか?この娘は?
まぁ、幸せならそれに越したことはないが……。
「こんなにも幸せそうな顔をしている彼女に対し、僕たちは果たして『真実』を告げる必要があるのでしょうか?」
「イツカ?私は包み隠さず、そのすべてを伝えようと想う」
「たとえ、その先が――地獄だったとしても?」
「それが、私たちが彼女から奪ってしまった贖罪だ」
――僕たちは彼女に恨まれても仕方がない。
許されるはずもなく、また認められるはずもない。
特に僕は
生きるために彼女の無数の姉妹を殺害したことは事実なのだから……。
僕たちは以後、診療所を後にした。
心に抱く願いは、せめてものメーティスの回復である。
僕たちはごく平凡な宿へとチェック・インを果たした。
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