第10話 危機


 僕はとあるアパートの屋上のスミに追いやられていた。

 だって、相手は最近、巷を騒がせている殺人鬼リッパーだよ?

 抜かることは決して許されない。


「――へぇ?意外と冷静なんだ?

こんな時は普通、神様、助けてって命乞いのちごいするものじゃないかな?」


「あいにく、神様への祈りはとうに済ませてあります、よ……!」


 刹那、握られた刀が閃いた。

 その刹那の狭間はざまを、刃の腹を殴ることによりかわす僕。

 しっかし、得物なしで凶器と殺り合う破目になるなんて……。

 想像だにしてなかったよ!


「せめて、刀は捨てて、頂きませんか?

一方的に不利です」


「知っているかい?

そんな逆境を乗り越えてこそ、人は『英雄ヒーロー』と称えられるんだよ?」


「言っている意味が分かりかねます」


「分からなくて、いいさ!

これは、一方的な遊びなん――だからさ!」


 男の刀が武人の如く振るわれた。

 その度に、辺りのコンクリートが破片と化す。

 僕は得物をまともに受け止めることもできず、一方的な防戦を強いられていた。


「――あれれ~?よく、かわすね?

一体、どこでそんな護身術を学んだのかな?」


「――はて?気づいたら、身に付けていました……、よ!」


 僕は何度も迫る致命を躱せば、手慣れたように刀の横腹を――殴った。

 それだけで、男がぐらつく。

 そんな隙を見逃す程に、僕は甘くない。

 すぐさま、足払いを仕掛けた。


「――は?」


 呆気なく体勢を崩す男。

 まるで予期せぬ出来事のように、その瞳は驚愕きょうがくに見開かれていた。


「――フッ……!」


 僕はすかさず、男の水月に目掛けて、己の鉄拳を放った。

 男はまるでトラックと激突したように吹き飛ばされる。

 疾風を纏う姿は差し詰め、老いた鎌鼬かまいたちのようである。

 屋上のフェンスと盛大に激突した男の顔面は溢れるような鮮血がにじんでいた。


「テ……、テメェ……」


「――終わりだ」




 ――彼女は言った。


『――イツカ?知っているか?

拳よりも蹴りの方が強いのだぞ!』


『――師匠?情報源ソースが分かりません!』


『決まっているだろうに!情報源ソースは私だ!』




 僕は男の顎下に――回し蹴りを放った。

 以後――男は沈黙ちんもくした。


 ――勝った。


 とめどなく溢れる冷汗は勝利の証。

 訪れる脱力感も、これまた勝利の証。


 僕はそんな残響ざんきょうをひっそり。と噛み締めていた。


 しかし、僕は大きな勘違いをしていたと今更、気が付く。

 それは、この男がただの快楽を求める殺人鬼リッパーではないこと。

 その実質、邪神を崇拝する敬虔けいけんな使徒であるということ。


 ――突然だった。


 沈黙していたはずの男の周りから、暗い風圧が舞い散った。

 それは刃の如く、辺りをズタズタ。と切裂くと、僕の身体に微かな鮮血を滲ませた。


「――終わったのは……、むしろ、貴様の方だ……」


 男は操り人形の如く立ち上がるや否や、僕を朧気に見つめ返した。


 さっきまでの雰囲気と全然、違う。

 まるでその本質は、『冷徹クルーエル

 彼は氷の如く芯まで冷たくなってしまったようだ。


「――何者ですか?」


 男は裂くように微笑んだ。

 

「――“オレ”か?オレの名前は“ラミー”。

その名前さも忘れ去られた『上級悪魔』の一人だ」


 はえ~。

 世界って不思議。

 随分と面白いんだね。


「――次は『悪魔デーモン』ときましたか」


「――ほう……。驚かないのか?」


「驚いていますよ。あくまでも心中ですが……」


「クククッ……、これは中々よ……」


 周りから見れば、単に頭のイカれた人物だろう。

 僕も最初はそう想っていた。

 けれど、これは『本物』だ。

 その純粋な『殺意』、『魔力』どれもが常軌を逸している。


 僕は徒手を構えると、夜天に浮かび上がるラミーを鷹のように見据えた。


「――僕は『オカルト』を信じるつもりはありませんよ!」


 ラミーは喜劇でも眺めるようにあごをなでた。


「――では、何故?

我々の存在を認知するつもりになったのだ?」


「単純に『近所迷惑』だからです。

そんな偏屈へんくつは勝手にやってください」


 その言葉がかんさわったのだろう。

 ラミーは不機嫌そうに眉を顰めた。


「――このオレをあくまでも、近所迷惑の一言で片づけるか……。

フンッ!まぁ、良いだろう!その代わりに、貴様には地獄を見せてやるッ!」


 ラミーは無数のコンクリートの破片を宙へと浮かばせると、それを弾丸のように僕へと撃ち放った。

 僕はスラリ、スラリ。と回避に専念する。


 けれど、戦闘の本質とは、そこに焦点が当てられたわけではない。

 ラミーは一点集中型。

 僕の足場を崩そうとしたらしい。


 そんな読みを的中させられぬ程に僕も間抜けじゃない。

 僕は屋上のフェンスへと飛び乗った。


「アホウが――ッ!とうとう、イカれたか!」


「狂っていませんよ。

あくまでも、近所迷惑にならぬよう、隣のアパートへと移らせてもらうだけです」


 僕はアメコミに登場する蜘蛛男くもおとこのように盛大に『ジャンプ』した。


 恐怖はなかった。

 あるのは、この始末に必ず蹴りをつけるという固い誓いだ。


「行け――ッ!」


 瞳を覆うような疾風が僕を襲う。

 そんな暴風の間を縫うように僕は宙を『蹴った』。

 そうして、辿り着いた別のアパート。


 やはり、この身には何らかの変化が生じているらしい。

 でなければ、このようなまね、不可能なはずだ。

 どうやら、僕はいつの間にか、人間を止めてしまったらしい。


 ラミーの方がむしろ「――チィッ!コイツ、空を飛べるのか!」と驚いていた。


「自分自身でも分からないけれど、一時的にですが、飛べるみたいですね?」


「――貴様の方こそ何者だ!」


「地獄からの使者!スパイダッ……、間違えました」


「――貴様……。このオレの前でとぼけた真似を……!」


 ラミーは刀を上段に構えると、空間を裂くような斬撃を放った。

 僕はその致命を難なく回避する。って――ダメだ!

 また、足場が崩れそうになる!

 これじゃ、本当の意味で近所迷惑だ!


「だ・か・ら!その遠距離攻撃を止めて頂きませんか!?」


「フンッ!どうやら、この我(オレ)の斬撃が気に食わぬようだな」


「当たり前だよ!バロー!」


 いい加減に腹が立ってきた。

 どうして、僕だけがこんな目に遭わなくちゃならないんだ!




「神様!どうにかしてくださいよ!」




 その時だった。


 一陣いちじんの風が僕の目の前に舞い降りた。


 漆黒の軍事用ハイテクスーツに、深淵しんえんを照らすような杖。

 まるで隠密おんみつのような恰好をした美少女さんが突如として現れた。

 って――この人、夕方のスーパー・マーケットで出会った人にそっくりなんです が……、えぇ……、それは?


 僕は上空を見つめた。

 すると、そこにはヘリコプターが一機。


 いつの間に――現れたのだろうか?

 その気配すら、察知することもできなかったよ。

 どうやら、僕の理解を超えたオカルトが眼前では繰り広げられているらしい。


「――現場に到着しました。

ターゲットと交戦します」


「――私は民間人を保護するわ」


『――了解。一旦、退避します』


ヘリコプターは光学迷彩を貼ると、まるで景色に溶けていった。


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