第9話 現実という壁



 僕は誘われるように、とあるアパートの屋上にいた。

 別に自殺したいとか、そういうつもりじゃない。

 ただ、この身体に感じる――違和感。

 それを、突き止める為だ。


 僕は徒手を構えると、眼前を歪むように睨みつけた。

 想像イメージする。

 骨子を想像する。

 相手は勿論――“彼女”だ。


「フッ!」


 ――まずは、一段。


 僕はギアを上げて、彼女に悟られぬように近づく。

 そうして、放った暗殺の掌。

 彼女は口ずさむように何気なく躱した。


 ――二段。


 彼女を転ばそうと、足払いを仕掛けた

 しかし、彼女はその攻撃を蹴ることで難なく受け止める。


 ――最後に三段。


 僕はその美麗な顔面に向けて高速の拳を打ち込んだ。

 けれど、その致命の一撃を掌で絡め取られてしまう。


 ――完敗だ。


 彼女に勝てる者など、この世に存在するのだろうか?

 それ以上までに、理想の果てと呼べるまでに、想像イメージする彼女は強かった。


「あなたは、何者ですか?――教えてくれ」


 “彼女”は無言だった。


「……そうか。そうだよなぁ~。

あぁ、僕は一体、何をしているのやら」


 わけが分からないよ。


 僕はその場に寝転がり、おもむろに天井を見上げた。

 まるで、その情景はさいげんなく、澄んだ湖畔のように美しかった。

 月がきれいとは、正しく、このことである。


「……僕の名前はイツカ

魁聖かいせい高校に通う二年生だ」


 そうだったはずなのに――この胸に巣くう違和感は何だろう?

 ”彼女”とは一体、誰なのだろうか?

 そして、僕は一体、何に『化けて』しまったのだろうか?


 僕はこの一年間という間、度々だが、突然、意識を失うことについて悩まされていた。

 医者曰く、身体には何の別条はないらしく、ストレス性から訪れる精神疾患なのではないか、という結論だった。


 まぁ、僕が病に侵されていることなど、どうでも良い。

 いつか死ぬ命だ。

 そんなに大事に抱えても、大した……ことはない。


「でも、どうして、今日は突然に意識を失ったんだ?」


 気が付けば喧嘩に勝っていた。

 その意味がてんで分からない程、僕は愚かではない。

 僕は無意識の内に浦松君たちを傷つけたことになる。


 僕は途端に恐怖に駆られた。


 もし、無意識の内に家族を、他人を気づけたらどうしよう?

 それこそ、大罪だ。

 僕はやはり、死ぬべきなのだろうか?


 僕は起き上がるや否や、下界を見下ろした。

 まるで賽の河原のように灯が犇めき合っていた。


 ……あぁ、何て綺麗なのだろうか?

 思わず吸い込まれそうになるその情景。


「ッて――ダメだ」


 だけど、こんな僕でも命は『惜しい』

 単純に死ぬことが怖いのだ。


 僕はその場から逃げるように立ち去ろうとした。

 けど、できなかった。

 まるで、死神のような男性が目の前に佇んでいたから……。


「――死にたがりさん……、みっけ」


 チリン。と風鈴の音が場に沁みたような、そんな気がした。


◆◇◆◇◆


「――だれ?」


「――通りすがりの“邪神教徒”だよ。バカヤロー」


 邪神教徒?

 何それ?美味しいの?


「そんな、邪神教徒さんが、僕に何の用ですか?」


 男は両腕を組み直すと、一変、口角を三日月みかづきのように持ち上げた。


「――君、今さっき、死のうとしなかった?」


「――え?」


 まるで心中を見透かされたように僕は動けなくなった。


「いや、いいんだ。

ここは自殺者が多発する有名なスポットでね?

君も恐らく、『その先』にうっかり吸い込まれそうになったのだろう?」


 僕は覚えている。

 ――そのサイの河原のような儚い情景を。

 ――その先に視えた不可視の逆光を。


「大凡だが、理解できるよ

ここは自然と惹かれる場所だ。

きっと死者が君たちのような、『ろくでなし《ルーザー》』を招いているんだろう」


「どうして、そんなことが多発するんですか?」


「――さてね?それこそ、『神のみぞ知る』って奴じゃないかな?

俺たちには認識することすら、不可能だよ」


「そうですか……」


 知らなかった。

 そんな場所だなんて。

 まぁ、初めてくる場所だから……、知らないなんて、当たり前か。


「帰ります……」


「おや、帰るのかね?」


「僕は確かに、死のうとしていましたが……、それ以上に命が『惜しい』

死ぬことが怖いから……、死ねないんですよ。

それに、“彼女”がそう望んでいるとは想えませんから」


 僕は際限のない夜空を見上げた。

 きっと彼女も遠くでこの光景を眺めているだろう。

 それだけで、どこからともなく、勇気がみなぎる。


「――へぇ?君、彼女がいたの?意外だね?」


「本物の彼女じゃ、ありませんよ。

あくまでも、僕の『妄想ファンタジー』です」


 すると、邪神教徒さんは腹を抱えて笑いだした。


「妄想彼女か!君は随分と面白い性格をしているんだね?」


「そんなに、笑わなくても、いいじゃないですか!

あぁ、もう!恥ずかしいな!」


「いや、悪い!つい、面白くて!」


 邪神教徒さんはその場に笑い転げてしまった。

 ……『恥ずかしい』の一言に尽きる。


「クッハハハ!これは傑作だ!益々、『殺す』ことが惜しくなる」


 邪神教徒さんの目つきが暗転した。

 まるで、殺人に快楽を見出すような、異常者のような風貌に一変する。


「――何が目的ですか?」


「あれ?もしかして勘づいちゃった?」


「最初から貴方を信用しちゃいませんよ。

それが、敬虔な邪神教徒さんなら尚更……」


「君、意外と鋭いんだね?」


「僕が鋭いんじゃありませんよ?

あなたが尻尾をみせただけです」


「まさか、俺の正体にも気づいちゃった?」


「――その殺人件数、凡そ20件以上。

最近、巷を騒がせている“殺人鬼リッパー”。

その遺体のどれもが、心臓が抜き取られる猟奇殺人事件。

あなたでしょう?」


 邪神教徒さんはビンゴ。といった風に人差し指を僕に突き立てた。


「――御名答……。

いやはや……君、意外と頭は回るみたいだね?

じゃあ、この状況を理解できない程に愚かじゃないよね」


「分かっていますよ。

けど、勘違いはしないでくださいね?

そう、易々と命を取れるとは想わないでくださいね?」


「最初はみみっちい青年だと想っていたのだがね?

これは意外な掘り出し物だったか?」


 何処からともなく、男は刀を取り出す。

 それを、左手で握り絞めると、刀を武者の如く上段に構えた。


「――いいかい?今から、君を『斬る』よ?」



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