第7話


 美河郡強盗殺人事件 2



       ※


 予想外のことは起きる。

 今川源次は今日まで四十九年間生きてきて、思いもしない方向から吉報が舞い込んできたり、突如として不幸が降ってきたり、凄絶な現実に直面したりと、さまざまな経験をしてきた。職業として刑事を選んだ以上、プラスに関わることよりマイナスに関わる方が多かったが。

 今回の『美河郡強盗殺人事件』の決着は、まさに『予想外』であった。まさか、子供たちの手によって解決に導かれようとは。

 そんなこと、今川はもちろん、捜査員の誰にも予期できなかったこと。けれど、現実としてそれが起きている。やはり世の中は今川なんかには到底理解することのできないほど、複雑怪奇にできているに違いなかった。人の数だけ思いがあり、思いの数だけ世界があるのだから。

 犯人逮捕の契機は、これまた予想外の予想外、容疑者とされた滝川陽平からの通報だった。

 通報の内容は、滝川陽平が家の前で子供に暴行している警察官を見かけ、やめさせようとして体当たりしたところ、勢いあまって三メートルの水路に落下させたというもの。警察官はうまく受け身が取れなかったようで、溝の底に頭をぶつけて気絶した。

 子供に暴行を働いていたのは、近くの美河東交番に勤務する山本やまもとふとし巡査。水路に落下した際、右肩を強打して骨折、頭も打ちつけており、救急車で運ばれる際は意識不明の重体であった。

 暴行を受けていた子供は愛名市に住む松原花音、小学六年生。その日、松原花音は従姉妹である後藤ほのか、さらには学校のクラスメートである黄金井紬とともに後藤家を訪れていた。

 子供たちは直面した事態に混乱していたのか、事情を尋ねると、『幽霊が事件の証拠を見つけてくれた』ということを口にして、駆けつけた警察官にビニール袋を差し出したという。そこに入っていたのが後藤家の居間にあった爪の欠片であり、念のために調査したところ……爪は二月に殺された後藤かおりのものであることが判明。さらには、爪に血液と皮膚の一部が付着しており、それが病院に搬送された山本太巡査のものと一致した。山本太巡査は警察病院に身元が移され、のちの逮捕につながったのである。

 逮捕後の山本太は素直に罪を認めた。自供によると、後藤かおりが死の直前、背後に回っていた山本太の手の甲を引っ掻き、爪に皮膚と血がついたという。証拠を消すために、後藤かおりを殺害後、炬燵の上にあった爪切りで右手の爪を切り、すべて回収したと思い込んでいたのだが……小さな破片を見逃したみたいである。しかし、それは運悪く炬燵布団の内側に入り込んだため、警察の捜査でも見逃されていた。捜査の落ち度があったこと、認めざるを得ない。反省すべき点である。

 山本太が犯行に至った動機は、ギャンブルによる借金だった。最初は少額であったが、借金が徐々に膨らんでいき、ついには闇金に手を出す始末。そうして借金は一気に膨らんでいき、到底返済することができなくなる。その筋の者からいやがらせを受けるようになり、脅されるようにもなった。一度拉致された経験があり、山奥で暴行を受けたという。すでに命の危険を感じていて、しかし、警察官が借金により脅されているなど、誰にも相談することができず、精神状態が袋小路に追い詰められていたという。

 そんな折、後藤かおりの夫が入院していることを知る。妻である毎日病院に通っていて、その時間は家を留守にすることが確実となった。忍び込むにはもってこいである。後藤かおりの家は裕福と呼べるものでなかったが、山本太からすればどんな形でもいいから金を都合する必要があった。そう精神が追い込まれ、冷静な判断がつかなかったみたいである。

 交番で後藤かおりが娘とともに病院に出かけるのを確認し、庭の石でガラス窓を割って家に侵入。金目のものを物色していると、後藤かおりの財布、さらには夫婦の通帳を発見。しかも、通帳最後のページに、四桁の数字が手書きされた状態。強盗して極度の緊張状態にあったにもかかわらず、その瞬間は小躍りするような心境になったとか。長居は無用で、急いで家を出ようとしたが……刹那、財布を忘れて戻ってきた後藤かおりと鉢合わせてしまう。

 山本太はパニック状態に陥ったという。全身の血が沸騰するように熱く、頭は『どうにかしなくては!』という思いに囚われるばかり。思考する以前の反射みたいに、咄嗟に足元にあった炬燵のコードを持って首に巻きつけた。殺意は否定していて、パニック状態がその事態を招いたものと推察される。

 犯行後、山本太は凶器のコードを持って家を飛び出し、駅前にあるATMに向かう。それは殺人が明るみになり、銀行口座が凍結されることを恐れてのこと。監視カメラを意識してコートのフードを深く被り、目にはサングラス、口にマスクをする。そして、夫婦それぞれの通帳から限度額である九十九万円を引出した。使用後、通帳は駅のごみ箱に捨て、その足で交番に戻る……帰り道、全身が震えて仕方なかったという。金を手に入れ、ようやく借金を返すことができる安堵よりも、『取り返しのつかないことをしてしまった』という巨大な罪悪感に心が潰されるみたいに。

 同時に、事件の処理について思い悩む。一度だけの窃盗なら犯人が捕まらないケースが多いが、まさか殺人を犯すことになるとは思いもしなかったから、その後の処理なんて考えていなかった。頭を悩ませ……瞬間的な閃きを得る。近所に住む滝川陽平に罪をなすりつけることを思いついたのだ。

 その日の夜、事件発覚後に山本太は警察官として後藤家の前に立っていた。捜査員以外の立ち入りを制限するために。

 一通りの捜査が終わり、捜査員が引き上げていたのが午前三時で、それから行動を開始した。すぐ前のアパート、朝日荘一階にある滝川陽平の郵便受けに凶器である炬燵のコードを入れ、二階一番奥の203号室の前に現金を入れた後藤かおりの財布を置いたのである。所有者が分かるようなカード類はすべて抜き取った状態で。

 次の日、滝川陽平は部屋の前に落ちていた財布を拾い、中身を抜き取って駅前のコンビニのごみ箱に捨てた。また、郵便受けに入っていた炬燵のコードは、一度手に取ってからそのままその場に捨てる。その際、コードに指紋が付着した。山本太はコードを回収し、わざと見つかるように近くの山林に放置。

 こうして容疑が山本太に向かうように仕向けたのである。思惑通りに容疑者として滝川陽平は任意同行されたのだが……しかし、逮捕には至らなかったことが、山本太を苦しめることとなる。いつ犯行が発覚するかもしれないという気が気でなく、ろくに夜も眠れなくなったという。

 そんなある日、後藤ほのかたち三人がやって来た。子供たちは『犯人につながる証拠を見つけて事件を解決する』とやる気満々で家に入っていく。警察の捜査後に証拠なんて見つかるはずないと思うも、山本太も家の中を確認したかったのでついていくことにした。

 その際、『もし万一証拠が見つかるようなことがあったなら口封じする必要がある』と、手袋をして。一人殺したのだから、二人だろうが四人だろうが同じこと。

 結局、万一のことが起きたが、子供の殺害は未遂に終わる。


 事件は解決。

 山本太の供述によって事件全容が見えたとき、今川には強く考えさせられるものがあった。犯人が警察官であったこと、また、捜査に不備があったこと、恥じるべき点である。

 さらには、被害者である後藤かおりが、今まさに殺されようとしている死の直前、犯人を引っ掻いた傷は、執念以外のなにものでもない。そして、その爪を娘である後藤ほのかが見つけたこと、言葉では言い表せない親子の強いつながりを感じた。

 娘である後藤ほのかは、まだ愛名市にある親戚の家に暮らしている。父親はまだ意識不明で退院できていないらしい。

 事件が解決となった今、今川にできることといえば、あの女の子の人生が幸多からんことを願うばかりである。

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