船上戦・エンター

 撒かれた薬品は水よりも軽い。フロッグマンの体表を覆って居るヌメヌメした体液と反応する様に造られているので、水溶性ではないことも有り、深く潜れば薬品の害は少ない。

 元よりダイバースーツと言う防御力が無い装備である以上、表に出る気は無いのでそこは良い。これより濁った水こそが盾で鎧だ。

 ゴーグルを下ろし、レギュレーターを、かぷ、と咥え吐いてから、吸う。


『さて、行けるかな、ガイズ?』


 ジュリオからの通信コールに親指を立てて答える部下四人。それを見届け、ジュリオが騒ぎに紛れて水に入るのと同時、他のカエルも動き出す。視界は悪い。水底に溜まった粘性の高い泥は既に巻き上げられて、一メート先も見えない。それでもまだマシだ。フロッグマンは夜目が効くと言うのもあり、昼間の作戦開始だから未だ『悪い』で済んでいるのだ。

 地上では不安を感じさせるだけだったフィンが水中では随分と頼もしい。それでも重い。身体が進まない。訓練の時に使ったヴァッヘン近辺の湖と比べると水の質が違い過ぎる。いや違う。そうじゃねぇ。ケイジは口の端を軽く持ち上げて笑った。違うのは水の質では無い。空気の質だ。水で減衰されていても、銃弾が、矢が頭上から降ってくるこの戦場の空気が違うから重く感じるのだ。

 水中工作員フロッグマンチームは全部で三十チーム、百五十人。大して狙うカエル人間フロッグマンの船は十隻。一隻当たり三チーム、十五人で当たると言うのが単純計算だが、そんなもので制圧は不可能だ。何隻かは沈め、チームを集めることになる。

 ジュリオチームは最初から突貫隊だ。

 乗り込み、船上を戦場に暴れまわるのがお仕事だ。そんな訳である程度泳いだところで、抱えて来たリムペット地雷を別チームに渡す。バラストが無くなったことで浮き上がりそうになるのをどうにか推力で誤魔化し、進む。

 まぁ、そう上手くは行かない。水中の異変を感じ、何匹かのフロッグマンが飛び込んで来た。水面に貼られた毒液の影響で化学変化と言う名の暴力がおこり、フロッグマンの粘液が塩酸へと変わる。水に溶けてくれれば良かったのだが、粘液部分が変化したせいか、軟膏の様になっており、水で洗おうと擦った手に付き、その手で目を擦り――と、中々に楽しいことになって居る。ぐろぉ、とか言う低い音が響き、肌を焼かれ、苦しんで暴れ出すフロッグマン。そんな彼の頭を優しく吹き飛ばしてあげる狩人レンジャーの狙撃班はきっと天使なのだろう。

 だが、コレで水中でこっちが何かをしようとしていることがバレた。

 どんどんフロッグマンがおりてくる。大抵は焼かれる。だが、ソイツが飛び込んだ跡は毒液が薄くなっており、近い場所に飛び込んだフロッグマンは無事だ。


「……」


 ケイジの眼がゴーグルの中で、すっ、と細くなる。拙ぃな。そう思う。

 水中でフロッグマンに敵うはずがない。そして今、チームリーダーであるジュリオ以外は武器を持って居ない。そのジュリオが予想以上の大軍を見て固まったフロッグマンを穴だらけにした。水がまた濁る。「……」勘弁して欲しい。


『ガイズ、予定変更と行こう。さっさと船に上がって戦力投入を止めさせる』

『そいっぁ……水中部隊を多く、突入部隊を少なくっーことでケー?』

『おぉ、流石だ。ケイジ、その通りだ。是非、君の聡明さを讃える機会を僕にくれないか?』

『……ヤァ、色んな意味で寒気が凄まじいな。俺なんざを口説く暇があんなら取り敢えず投入予定の船上部隊の数を教えてくれねぇか?』

『二隻に五部隊。縁起が悪いので四は避けた……と言うのが本部のお達しさ』

『本部の連中に伝言頼まぁ。『クソが』ってな』

『ハハッ! 安心してくれたまえ、先程、僕の知る限りの罵声を浴びせた所だ』

『ガララは仕事が早い上官は良いと思うよ。ケイジ、作戦後に呑みに行くくらいなら良くない?』


 ね? ガララも行ってあげるから大丈夫でしょ? と、ガララ。


『わし、安くて美味い飯屋知ってるよ?』


 幹事は任せて、とロブが言えば『ふぅ、仕方がない。ぼく達のメモリーに、君達の席も用意しよう』とブレス多めのキザったらしいセリフでエルフのザジが言った。


『素敵だ、ガイズ。そう言うことなら僕もやる気を出して行こう。ガララ、ロブ、ロープを船体に――ケイジ、僕達のヴァージンロードだ。駆け上がろう・・・・・・








 船体にロープが掛かったら、切るし、引っ掛けた相手を殺そうとする。それが普通だ。

 既に警戒態勢の中、弾雨に晒されながらもあっさりと鍵爪を引っかけたガララとロブの腕前には感心するが、当然の様に見つかった。だが、もうケイジは水中に戻れない。ボンベは捨ててしまった。ロープを掴み、船体に足を掛けて、見上げる。ぱっちりおめめと目が合った。素敵な恋の始まりを予感することは出来ない。殺意で濁ってる。


「……ヘィ」


 こっからロープ伝って船体駆け上がるとか無理じゃね? そんな気分で横を向くが、ジュリオは爽やかに笑ってサムズアップを返してくるだけだった。いや、だけだったら良かったのだが――


 ――強襲アングリフ


 恐らくはソレだろう。

 だだだだだだ、と蹴りの音を立てながらジュリオが船体を駆け上がる。信じられないことに、船上からの射撃を左右に飛ぶことで避けている。「……」注意はあっちに行った。行ってしまった。ここまで御膳立てされたら――行くしかない。

 まだこちらを狙う奴から適当な一匹を選び、水面に浮かぶ毒液を掬って、投げつけた。怯んだ。顔を庇って引っ込んだ。今だ。


「――強襲アングリフ


 ロープを掴む腕に力が入る。船体を蹴る脚に力が入る。心臓が跳ねる。身体が駆ける。登り切りそうなジュリオと、駆け出したケイジ。どちらを優先するか迷ったフロッグマンからの射撃。狙いが荒い。マグレ当たりが怖い。怖いので「っ、おおおお、ぉぉおおおおおおらぁ!」。もっとビビれと声を叩きつけた。臆病者のフロッグマンに動揺が奔る。そうしている間にジュリオが昇り切った。暴れ出す。ケイジは無視される。イヤ、一匹、ケイジのロープ付近に居た奴が対応をどうしようかワタワタしていた。

 少年兵。そんな言葉がよぎった。よぎったが、それだけだ。生憎とケイジにフロッグマンの区別は付かない。だから遠慮なく殺す。

 迷ったのが拙かったのだ。手摺りに手が掛かれば、後はどうとでもなる。腕の力だけで空に跳ね上がったケイジはそのまま落下するついでにフロッグマンに襲い掛かった。武器は無い。殴るのは粘膜でぬるぬるしてるフロッグマンには効果が薄い。それでも構わず濡れた手の甲でその眼球を撫でて差し上げた。

 悲鳴が上がる。ケイジが笑う。

 予想通りだ。上手く行った。手の平の方はロープに持って行かれたが、甲の方はそうでは無かった。まだ薬液が残っていた。化学は、暴力だ。両目を焼かれた彼の今後はきっと明るいモノではないだろう。だったらやってしまった責任を取らなくては行けない。彼が落としたARを手に、腹を撃つ。孔が開いて、中身が出た。それでもプルプルしているので、生きているようだ。でも動かなければそれで良い。ぬるぬるするのをどうにか掴み、盾の様にして通路の先からの銃撃を防ぐ。

 背中合わせのジュリオも同じ様にしていた。

 後続の為にこのポイントは暫く守らないといけない。

 船室側からの攻撃を気にしないで良い通路だからまだどうにかなって居るが、それでも相手の方が数が多い。若ガエルくんは既に盾としての仕事をこなせなくなっている。勿論、遠の昔にこの世からは旅立って居る。


「……はっ」


 表情が読めないことも有り、フロッグマン達は酷く不気味だ。何の躊躇も無く仲間を撃ち殺したように見える。だが――

 若カエルの死体を足元に落とす。ケイジは通路の向こう側から良く見える様に、その眼球を蹴り飛ばし、これ見よがしにその頭を踏んでみた。


 ――――!


 低すぎてケイジの可聴域には入らなかった叫びがフロッグマンから響いた。それが分かったのは、昇って来たロブが嫌そうに耳を抑えたからだ。

 怒れるフロッグマンが駆け寄ってくる。走りながらの射撃は船体と沼を撃つだけだ。跳ねる様な移動方法が移動方法なだけに命中率は酷いものだ。向いていない。ソレをやってしまったのが彼のミスだ。「……」ケイジは奪ったARのアイアンサイトを覗いて、呼吸を深くした。

 だが、そんなことは彼が一番良く知って居た様だ。

 ミスは囮。カエルの足が力強く床を蹴り、大跳躍。昇り切って、落ちる。空気抵抗のみを考慮に入れての等速落下運動。多少はぶれなくなった銃撃がケイジを襲い――高く跳んだフロッグマンAの影から地を這う様な軌道でフロッグマンBが現れた。手を見る。ナイフ。弾丸では無く、刃で殺す気かよ。なら良い。判断。ケイジはARを跳んだフロッグマンAに向けた。一定の速度で落ちてくるので狙い易い。空でフロッグマンが躍った。追加で後頭部が爆ぜたのは岸からの援護だろう。バランスを崩したソイツは通路では無く、沼へ落ちて行った。

 まだだ。

 ケイジは構えて居たARを肩に担ぐようにした。ストックが前に、銃口が後ろに来る。そうしてから崩れた。

 無拍子。

 腰を落として、地面を蹴ることで勢いを得るのでなく、倒れる際の位置エネルギーを勢いに代える技術だ。フロッグマンBの虚を突くその制動。地面と水平になる様にして崩れ飛んだケイジはARのストックで力任せにBの頭蓋骨を砕いた。


「いいしごと」


 すぐさま、ロブがその死体を引き上げ、盾にして船尾の甲板目指して歩き出した。「……」その際、尻を触って行ったことは後程どうにかしよう。


『船尾はケイジ、君とロブ、それとガララに先行を任せて良いかな?』


 ジュリオからの通信コール。振り返れば、船首側には別チームの騎士ナイトが突撃して道を造り、徐々に攻めていた。何時の間にかロープの数も増えている。まぁ、主戦場はあっちだな。だからケイジも、あっちに戦力を多く投入することに異議は無い。


「……アイサー、キャプテン」


 びっ、と敬礼をしてみせるケイジの肩を、上がって来たガララが軽く叩いた。

 船上戦はここからが本番だ。

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