VS.ゴブリン

 ゴブリン。

 亜人に分類されるこの種の強みは繁殖力だろう。妊娠期間が短く、多産であり、性成熟も速いため、一組のつがいから爆発的に増える。そして多産と言うことは多様性も孕むことになる。余り賢くない為、呪術師シャーマンは生まれ難いが戦士ファイター斥候スカウトなどはポンポンと生まれる。

 多産のイキモノらしく、単体では弱いが、それを補う狂暴性と数で、時にはシェルターすらも滅ぼす亜人だ。

 ケイジとガララの前に居るのは、そんなゴブリンの中でもそれなりに珍しいゴブリン・テイマーだろう。大ネズミなどを飼い慣らし、ソレを使って獲物を狩るゴブリンのハンターだ。

 大型犬程の大きさの大ネズミはゴブリンと同じ位の体高を持つ変異生物だ。野生であれ、飼育下の個体であれ余り頭は良くなく、どちらかと言うと本能が強い生物だが、そんな大ネズミをしっかりと従えている所を見るとあのゴブリンには呪印が刻まれているのだろう。


「――、」


 ――少し、拙いかもな。


 軽く唇を湿らせながら、ケイジはそんなことを考える。

 種としては人間とリザードマンの方がゴブリンよりも強い。

 だが、ソレをひっくり返せるのが呪印の有無だ。

 三対二。

 数で負けて、それでも基礎能力では勝っている。ソレがケイジとガララの現状だ。武器は互いに無しである以上、あとはゴブリンの呪印の深度だけが勝負を分ける要因になる。


 ――成程、良く出来てる。


 ギャンブルとしては上出来のバランス調整がされている。ケイジは少し、感心した。

 さて、ではそんな状況で勝つ為にはどうするべきだ?

 そんな自問。


 ――『こう』してやる。


 そう自答を返す。


「ガララ」


 ばりっ、と犬歯を剥き出しに、闘志を剥き出しに、ケイジは嗤う。嗤って、手の中にある人間大の投擲武器をガララに手渡す。人間のケイジよりも膂力に優れるリザードマンのガララの方が投げるのには向いているだろう、そう判断したからだ。


「うむ」


 ガララがケイジからエルフを受け取る。

 隆起する肉。駆動する躰。赤錆色の物体が筋肉による動きを造り――投擲。

 エルフの大きさをして、エルフの重さをした、投擲用エルフは緩やかな弧を描きながらもその重さと高さから来るエネルギーを逃げ遅れたゴブリンに味合わせる。

 勝つのに重要なのは、結局のところ、手数だ。

 そして手っ取り早く手数を生むのは速さだ。

 先手必勝。

 古来より伝わる最強の戦術の一つだ。

 獣の敏捷性でガララの投擲を逃れた二匹の大ネズミに、ケイジとガララは襲い掛かる。

 ケイジが手に握った無数の石を叩きつける。雑な狙いで放たれた散弾は、それでもギッ! と悲鳴とも抗議とも取れる声を大ネズミに上げさせた。

 動きが止る。

 致命的なソレを逃すケイジではない。

 呪印は無くとも、戦える。シェルターの路地裏で慣らされた健康不良少年の爪先は勢いよく大ネズミの腹に突き刺さる。

 痩せた大ネズミは肉の感触よりも直ぐに骨の感触を返してくれる。体重差もあり、勢い良く柵にぶつかった大ネズミ、それが起き上がるよりも速く、更にケイジは蹴り飛ばし、柵にぶち当て、そのまま首を踏み潰す様に体重を掛けた。

 ごりっ、と骨が動く感触が靴越しにケイジに返ってくる。音の無い悲鳴が大ネズミから上がる。

 踏む様にして首を折られた大ネズミは、ミミズの様な毛の無い尻尾をびたんびたんと打ちながら倒れたまま、がががががが、と走る様に手足を動かし、足掻いて、もがいた。

 首が逝った。

 出血は無くてもソレだけで生物が終わるには十分だ。

 ケイジは脅威が無くなった大ネズミから視線を切り、ゴブリンに向きなおる。その際、ガララが大ネズミを踏み潰すのが見えた。みぢゅ! と、何処か間の抜けた声を上げて頭蓋を踏み潰された大ネズミの安否は気にするだけ無駄だろう。

 ここまでは、予定通り。

 デカい奴がソレを生かして小さい奴を仕留めただけ。

 問題は、ここからだ。

 ぎやぃ、ぎゃぃ! と言う不快な鳴き声に合わせて「このっ!」だの「クソっ! 何でっ!」だのの悪態が聞こえてくる。

 意識を取り戻したのだろう。弱音を吐いていたエルフも危機に放り込めば嫌でも働くらしい。

 半べそ状態で子供の様な取っ組み合いを演じ、それでもケイジとガララの見込み以上にゴブリンを押し留めていた。

「代われ」言いながら、ケイジは走り出していた。視界の端のガララも同じ様に駆け出してる。

三対二から転じての一対三。途端に有利になった状況に上がったテンションそのままに「いけぇーっ!」と叫ぶ奴隷商の声がやけに響いていた。

 速度に重さを乗せての蹴り。ゴブリンの鷲鼻目掛けて放ったケイジの蹴りを――ゴブリンは額で受ける。いや、受けただけでない。ヘッドバットの要領で、撃つ。

 ケイジはその反撃にバランスを崩して数歩、後ろに下がった。


「ッ、の!」


 ――慣れてやがる!


 確実に実戦経験を積んで居るであろうその動きに、体格のみを武器とする素人は叶うのだろうか?

 ケイジのそんな疑問にゴブリンはエルフを使って答えてくれた。

「いぎぃぃぃぃぃ!」と、叫び。見ればエルフの手の指がゴブリンの小さな手で曲げられていた。組まれた後の対応が適切過ぎる。ソレだけで十分にゴブリンの練度が伝わって来る。

 脂汗を吹き出すエルフの腕を捻じり、盾の様にしながら、ガララとケイジから距離を取る様にゴブリンが下がる。


「ヘイ、ガララ。俺がゴブの右から行く。テメェは左だ」

「そっちはゴブリンの手が空いている。何かあるかもしれないが。よろしいのか?」

「よろしーんだよ。エルフごと蹴り抜く脚力は俺にはねぇ」

「うん。そう言うことなら――」ガララが頷き、尻尾を二、三回虚空に揺らす「分かった」。


 同時、地を蹴る。

 宣言通りにケイジはゴブリンの右側から、ガララは左側から一気に接敵する。

 二人がわざと大きな弧を描いたのは、同時にターゲットにされるのを防いだためだ。

 特にこれまでの人生で付き合いがあった分けではない二人。

 それでも『何処か』が重なり合ったのだろう。急造のコンビとは思えない連携でケイジとガララはゴブリンに迫った。


 ――は?


 思わずケイジが目を見開く。

 その視線の先にはゴブリンが居た。ゴブリンは銃を持って居た。


 ――武器は取り上げてあるんじゃねぇのかよっ!


中折れ式ブレイクアクション、装弾、一っ!」


 悪態を吐き出す代わりにケイジは大声で銃の種別を叫ぶ。ガララにゴブリンの隠し玉を伝える為だ。

 洗練さは無い。無骨さもまた、無い。ただ、ただ、みすぼらしい銃だった。

 ゴブリン・ガン。蔑称としてはゴブルガン。

 そう呼ばれるソレは、余り器用ではないゴブリンがそれでも自分達の為に造った銃だった。構造が単純で意外にも壊れにくく、頑丈なソレは、ゴブリンの不器用さを物語る様にたった一発のどデカい弾丸を吐き出すイチモツだ。

 つまり、殺傷能力も馬鹿に出来ない。

 その銃口が、ゆらり、とケイジを追う。


「――、」


 ちっ、と舌打ち。ハッタリに期待する気は無い。

 あのゴブリンは一人でも多くの人を殺す気でいる。

 ガララの一撃はエルフで受ける。その際のダメージは許容する。だから今は――『お前を殺す』。

 そんな意思を目に乗せ、ゴブリンが笑う。

 にちゃぁ、と粘性のある唾液が糸を引き、黄ばんだ乱杭歯が覗いて見えた。

 大きく弧を描いたのが仇となった。

 走り寄り、蹴り飛ばすには三歩程足りない。

 嫌な汗が噴き出す。

 呪印を刻んでいないケイジとガララはあの銃弾一発で運が悪ければ死ぬし、確実に穴が空く。

 だが足を止めるわけにはいかない。

 止まれば死ぬ。

 だからケイジは間に合わないことを承知で走る。走る。走る。走って――不意に、背中に、悪寒が奔った。


「ッ、の!」


 殺気。

 これまでの人生でここまではっきり感じたことの無いソレに促される様にケイジは横っ飛びで射線から外れて――


「……クソが」


 笑みを深くしたゴブリンを見た。

 撃っていなかった。

 引き金に掛かった指は引き絞られることなく、残っていた。

 ゴブリンは、ともすれば酷くゆっくりとした動作で改めてケイジに狙いを定め、今度こそ引き金を引いた。

 火が噴き出す。

 ケイジの右の太ももに突き刺さった弾丸が肉を抉り、血管を裂いて、骨で止まる。痛みは少し遅れてやって来た。鋭く、それで居て広がる様な痛みだった。痛ぇ。つーか、熱ぃ。ケイジの目に涙が浮かぶ。

 それでも、叫びそうになるのをどうにか抑えてケイジが顔を上げると、まさにガララがゴブリンに襲い掛かる瞬間だった。

 それで良い。

 今度はケイジが笑う番だった。

 単発である以上、二発目を撃つには、どうしたって装弾の隙が出来る。

 ソレを待ってやる程、ガララは優しくないし、甘くも無い。

 刈り取る様なローキックは、ゴブリン相手だと腹を狙ったミドルへと変わる。尻尾でバランスを取っているのだろうか? 駆け寄る速度から全く減速せずにガララの足刀がゴブリンに叩き込まれる。だがそれを受けたのは、エルフだった。エルフはガララの足に縋り付く様にしてゴブリンを庇っていた。……おいコラ、テメェ、何してんだよ? ケイジの目に、焦点が有っていないエルフの顔が入った。ゴブの呪文スペルの影響か? そんなことが頭に浮かんだ。

 いや――。いやいや、今はそんなことどうでも良い。激痛に苛まれながらも、ケイジは必死で現状の打破の為に動く。だって、大問題も良い所だ。ゴブリンが次弾を装填した。この事実だけでも十分で十二分にクソッタレだ。やってられねぇ。クソだ。クソが。痛みのせいで吐き出す悪態もワンパターンになっていた。

 身体を起こす。一歩を踏もうとして、右足に力が入らずに、かくん、と落ちる。ゴブリンがそんなケイジを見て笑った様な気がした。気のせいだ。だってゴブリンは今、しっかりとエルフに捕まったガララに狙いをつけている。だが、そんな気がしただけで十分だ。十分で十二分に――ケイジがキレる理由になる。


 気合いで動かす。

 根性で動かす。

 良いから動け。


「――――――――――――――――――――――――――!」何か絶叫ぼうとして、余りの痛みに歯を食いしばるしかなかったので、何も出なかった。それでもケイジは進むことが出来た。這うようにして前へ。だが、あと一歩が届かない。踏み出した右足から崩れる。それでもケイジは手を伸ばした。手を伸ばして。目一杯伸ばして。背後からゴブの肩を掴んで引き倒す。

 ぎゃぃ!? とか、ぎぃ!! みたいな驚きの声が上がる。ゴブリンが慌てている。引き倒したその小柄な体を引き寄せ、マウントを取る。左膝で銃を握ったゴブリンの右腕を押しつぶす。左手でゴブリンの耳を掴み、右手で顔面に一撃「――」もう一発「――!」更に、もう一発「――!!」。

 ゴブリンの折れた歯がケイジの手に刺さった。それでも構わずケイジは拳を振り上げる。だってゴブリンは生きている。動いている。こちらを殺そうとしている。だから手を緩めない。躊躇しない。殺す。殴って殺す。


「っ、ぁ、ぁ、ぁあぁぁあッ!」


 不意に上がる叫び。

 悲鳴にも似たソレはケイジから。

 ゴブリンの空いた左手が、僅かな隙を突いてケイジの右足に空いた孔をほじっていた。

 どばっ、とケイジの額から汗が噴き出す。ゴブリンの右手を抑えている左足が浮き掛ける。いや、そもそも力が入らない。力みで収縮した筋肉が激烈な痛みを返してくる。動くことを身体が拒否する。ケイジの目から涙が零れた。滲んだのでは無く。普通に零れた。普通に泣いた。

 するり、とゴブリンの右手が自由になるのが分かる。クソが。音も無く口の中で転がされたその悪態は、ケイジ自身に向けたのか、ゴブリンに向けたのか、それは最早ケイジにすら分からない。

 倒れ込む様にしてヘッドバット。勝利を目の前に、僅かな油断をしたゴブリンは一瞬、ひるんだ。ケイジはその隙を逃さない。ゴブリンの鷲鼻にかみついた。

 変な味がした。

 確実に何らかの病原菌を孕んでいる。いや、そもそも、純粋に臭い。それでもケイジは噛みつくのを止めない。ふー、ふー、と獣の様に荒い呼吸が閉じ切らない口から洩れる。流れ出た血をうっかり舌に乗せ、吐き出しそうになる。それでも噛む。噛む。噛んで――噛み千切った。

 噴き出す鮮血。叫びを上げるゴブリン。ケイジの右足からゴブリンの手が離れるのと同時に、声「遅くなった」自由になったガララが銃を持つゴブリンの右手を踏み抜いた。

 地面が陥没する。

 挟まれたゴブリンの手が、ガララとゴブルガンと、地面に潰されてぐしゃりと潰れる。ぎゃみぃ! と悲しげに鳴いてゴブリンが転がって逃げた。

 ぷっ! と噛んでいた肉を吐き捨てる。そのまま手を伸ばし、ゴブルバーを拾う。

 雑な造りではあるが、丈夫なソレは撃つには問題なさそうだった。銃弾も一発、入っている。


「立てる?」


 そう言ってケイジに手を差し出したガララの手は血で濡れていた。誰の血だろうか? そんなことを考えるケイジの目にぐったりとしたエルフだったモノが入った。「あー」。納得の声が漏れ出た。


「多分、かなり強引なティムの一種だったのだとガララは思う。中々剥がれなかったから……でも大丈夫、殺してはいない」

「そうかよ――っと、悪ぃ、肩、貸してくれ」


 じと、っと見ていたのが伝わったのだろう。言い訳の様なことを口にするガララ。その肩を借りてケイジは立ち上がる。向かう先に居るのは当然、ゴブリンだ。

 鼻から血を流し、顔面を腫らしたゴブリンは、柵にもたれる様にしてこちらを見ていた。

 武器を奪われ、数でも負け、既に身体は傷だらけ。

 それでも、あぁ、それでも――ゴブリンは意思を込めてケイジとガララを睨む。


 ――そうだよな。死にたくねぇよな。


 たった一匹で敵地で戦い続けた彼。そんな彼には十分に敬意を払う価値があるだろう。

 少なくとも柵の向こう側から囃し立てるクソどもよりは。


「――ガララ。後は、俺がやる」

「うん。お願いする。彼に、良き旅立ちを」


 ケイジと同じことをガララも感じたのだろう。

 リザードマンの表情の変化はケイジには分からなかったが、声には何処か重いものが混じった様な気がした。

 ケイジがゆっくり右手を持ち上げる。

 そこには彼から奪ったゴブルガン。

 敬意で引こうが、殺意で引こうが、快楽で引こうが、引き金を引いた結果は変わらない。そんなことはケイジにも分かっている。


「……」


 それでもケイジは敬意で引き金を引いた。

 柵の向こう側で『わっ!』と湧いた歓声は、何故だろう? 不思議と遠くに聞こえた。

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