続編第九章 カワイイ俺のカワイイ突撃
第113話カワイイ俺のカワイイ突撃①
夏の陽は長い。時刻は間もなく夕方から夜に変わるというのに、空にはまだ昼の余韻が強く残っている。
いつもなら、煩わしい暑さに「早く夜になればいいのに」と思うのだが、今日ばっかりはその光源が少しだけありがたい。
孤独な夜は、ただでさえ沈み切ったメンタルを、さらに奥深くへと引きずり込んでいく。
「……そろそろ来るか?」
見遣った時計の長針は、"11"を過ぎた。短針はほとんど"6"を指している。
(……どこかで迷ってんのか?)
俊哉は約束の時間より、五分ほど早く現れることが多い。
この家にはもう何度も来たことがあるし、さすがに迷子ではないと思うが……。
(電車の遅延か? でもそれなら、連絡あるだろうし……)
どちらにせよ、まだ18時にはなっていないし、連絡なく遅れるような日だってあるだろう。
俺たちの付き合いは長い。今更だ。
外はむしむしとした暑さが続いている。
麦茶でも出してやるかと立ち上がり、戸棚から取り出したグラスをローテーブルに乗せ置いた。
氷と麦茶に満たされた、磁肌に水滴のうかぶ愛用のマグカップの隣に、背の高い透明なグラスが並ぶ。
(……なんだかなあ)
俺と彼女のようだ、なんて。
いつから俺は、こんなに詩的になったのか。
「……そうとうきてるな」
冷却も兼ねてアイスでも食べるかと立ち上がり、廊下に出た俺は冷凍室からミニサイズのカップアイスを取り出した。
ファミリーパックとして売られているこいつを一箱買っておくと、こうしてちょっと食べたい時にコンビニに出なくて済む。
手の内のひんやりとした冷気に熱をすわせながら、キッチンの引き出しからスプーンを取り出した。直後。
――ピンポン
響いた呼び鈴に、時計を見遣る。
(……18時ジャスト)
タイミングが悪い。とはいえ相手は俊哉だし、ここは俺の家だ。アイスを食べていようと、さして問題はないか。
片手にアイスとスプーンを乗せたままペタペタと玄関へ向かった俺は、外を確かめもせず鍵を回して、扉を押し開けた。
「さんきゅ。アイス溶けちまうから早く入れ――え?」
立つその姿を捉えた刹那、手の内のアイスのごとく、硬直した。
――嘘だ。だって、そんなはず……。
「――久しぶり、ゆうちゃん」
「かい……、なつき、さん?」
目の前の存在を確かめるようにして呼んだ名に、彼女が眉尻を下げて弱々しく笑む。
「どうしても、ゆうちゃんと直接会って話がしたくて。……急に、ごめんね」
「っ、いえ、あの……とにかく、入ってください……!」
いまだ混乱の渦に飲まれながらも扉をさらに開くと、彼女は「ありがとう。お邪魔します」と会釈して踏み入れた。
(部屋、もっと掃除しておくんだった……!)
いちおう、俊哉が来る予定だったから、見られて困るようなモノものは落ちていない。
日頃、ベッド上やら床やらに散乱しがちな服やメイク道具も、踏まれないようにと端に寄せていた。
(まじ助かった。さんきゅー俊哉)
タイミングが悪いどころか、むしろナイスタイミングの訪問連絡だ。
胸中で先ほどの暴言を詫びつつ、好きなところに座ってくださいと告げると、彼女は少し迷った素振りをしてから、テレビを背にしてローテーブル横に腰を落とした。
ちょうどベッドと、対になる位置。
「すみません、ろくなのなくて……麦茶で大丈夫ですか? あ、アイス食べます?」
俊哉用にと用意していたグラスを手に取って、廊下にあるキッチンに向かう。
正座をした彼女は、俺の姿を目で追いながら、
「あ……ううん。アイスは、大丈夫。麦茶だけ頂いてもいい? ……急に来ておいて、ごめんね」
申し訳なさそうに告げる彼女に、まとわりつく違和感。
俺の知る……"いつもの"彼女ならば、アイスを断るにしたって「ゆうちゃんが出してくれるモノなら、なんでも嬉しいんだけど」くらいは付け足しそうなものなのに。
「まさか。なつきさんが来てくれるのなら、いつでも大歓迎ですよ。この場にケーキがないのが悔やまれます」
「あ……ごめん。そうだった。手土産も持たないで来ちゃった」
「へ?」
「どうしよ、ゆうちゃんさえよければ、今から何か買いに……」
「大丈夫です、大丈夫です! すみません、そういう意味じゃなくて、せっかく来ていただいたんで、おもてなしのひとつでもしたかったなあってだけで」
やっぱり、変だ。
なつきさんがこの程度の"言葉遊び"を読み違えて、うろたえるなんて。
(ってか俺、なつきさんに家の住所教えてたっけか……?)
彼女のしょげた姿はかなりレアだけれど、どうにも今は喜ぶ気になれない。
それに、引っかかりはもう一つ。
俺は冷蔵庫から取り出した麦茶を注ぎながら、
「氷、いります?」
「ううん、そのままで。気を使わせちゃって、ごめんね」
――ほら、また。
いくら急な来訪とはいえ、さっきからどうにも"ごめんね"が多すぎやしないか?
(なつきさんが来てくれるなら、迷惑どころかむしろ――)
「っ、そうだった」
ポットを冷蔵庫に戻した直後、気づいた事実に思わず声がもれた。
「どうかした?」
俺は心配そうに見上げてくる彼女の眼前に、麦茶入りのグラスを運んでから、
「えと、俊哉がそろそろ来る予定になっていて……。せっかくなつきさんが来てくれたんですし、出直してもらうよう連絡を入れても――」
机上に置いていたスマホに、慌てて手を伸ばす。刹那。
「……ごめんね、ゆうちゃん」
「っ!?」
俺の手の甲に、なつきさんの掌が重なった。
突然の接触に心臓と双眸を跳ね上げたその瞬間、俺の視界を染めたのは、なつきさんの苦悶に満ちた
「俊哉くんは、来ないよ。……嘘、だから」
「……え?」
「18時に家にいくってやつね、確実にゆうちゃんを引き留めるためにって、拓さんが俊哉くんに頼んでくれた、嘘。どうしても、会いたくて。……ごめんね」
「……」
その、"ごめん"は、俊哉に嘘の連絡をさせていたことに対する謝罪なのだろうか。
それとも、別の意味が。
――それに。
(拓さんが、頼んだ?)
時成に手をまわして、強引な"お茶会"に招待したのも拓さん。俊哉に嘘の連絡を頼み、俺を家に留めたのも、拓さん。
けれどもそうした拓さんの行動も、元を辿ればすべて、なつきさんのためだったってことだ。
――どうしても、俺と会うために。
(なんで。そんなことしなくても、言ってくれればいくらでも……)
なつきさんは俺に直接"会いたい"と告げるのではなく、拓さんに"嘘"を散りばめた罠をはらせた。
おそらく、"確実"に俺とこうして二人で会える手段として選んだのが、そちらだったのだろう。
どうして直接告げてくれなかったのか。
それは、俺に直接"会いたい"と告げてしまうと、逃げられてしまう可能性のある話だってこと。
(……重要度と緊急性の高い、俺に逃げられる可能性がある"話")
途端、望んでもいないのに、無慈悲な脳が即座に"可能性"をはじき出した。
――別れ話。
「――っ」
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