第112話カワイイ俺のカワイイ追求⑤
拓さんは「そうだなあ」とアイスコーヒーから伸びたストローを回して、
「率直に返すのなら、答えは"yes"だね。って言っても、ユウちゃんが知りたかったのは、こんな首をどっちに振るかみたいな、単純な情報じゃないでしょ?」
机上に肘をついた拓さんが、何とも愉快そうに小首を傾げる。
「まあ、そもそもさ。ユウちゃんが見逃すワケないんだよ。そんなの、オレだってわかるってのに、恋ってのは随分と思考も視界も狭めるもんだ」
「! 拓さんも、気づいていたんですか」
「そりゃあね。あれでうまく隠せているつもりなら、困ったもんだよ」
(……やっぱり)
俺の、勘違いじゃなかった。いや、勘違いにしたかったのだ、心から。
けれどももう、引き下がれない。
突きつけられた事実を、受け止めなければならない。
「……僕は、どうしたらいいんですかね」
「ユウちゃんの決めたままに……って言いたいところだけど、それが決められないから、迷ってるんだよね。ひとまず気持ちの整理からかな。そのためには心の内を吐き出してもらうのが一番なんだけど……聞き役がオレじゃあ、不服かな?」
「まさか。拓さんのぶん、僕が奢ります」
「いいって。色々仕掛けちゃったから、そのお詫びだと思ってよ」
さ、いつでもどうぞといわんばかりに、拓さんが背筋を伸ばす。
その、普段とはアンバランスな真摯さがちょっとくすぐったい。
俺は小さく笑ってから、溜め込んでいた疑念を吐き出した。
「……恋人って、なんなんですかね」
「……オレの記憶が間違ってなければ、ユウちゃんとカイがそうだったと思うけど」
「そう、なんです。僕も、そうだと思っています。……けど最近、よく、わからなくなってきてて」
視線が下がる。視界に入ったダージリンティーは、冷めてしまったようで湯気もない。
「好きって気持ちがなくなったとか、そういうことじゃないんです。けど、僕じゃ、カイさんを変えられないなって」
「……カイを、変えたいの?」
「違うんです。僕は、カイさんはカイさんであってほしいって、思うんです。カイさんが変わりたいと思うのなら、変わったカイさんも絶対好きだし、今のままがいいと思うなら、このままのカイさんでも、俺は充分に好きで」
だから、駄目なんです。
そう告げながら、俺は太腿上で無意識にスカートを握りしめた。
「拓さんも知っての通り、カイさんは、変わりました。でも、変えたのは僕じゃありません。僕よりも"知りたい"と思った、別の人のために変わったんです。……僕は、相談すらしてもらえませんでした」
「……相談すらなし、ね。それをユウちゃんは、カイがユウちゃんを"恋人"だと思ってないって感じたワケだ」
俺はためらいながらも、こくりと頷いて、
「……きっと、カイさんは今、僕とは違う人を見ているんだと思うんです」
「……それ、カイには言った? って、言えるわけないか」
視線を上げると、拓さんは苦笑交じりに肩を竦めて、
「もしユウちゃんのその質問にカイが頷いてしまえば、それでお終いだもんね。黙って抱えているだけなら、"疑惑"止まりでいられる」
「……そういうことです。情けないですよね」
「いーや? それだけユウちゃんが、カイの"恋人"でいたいって思ってるって証でしょ。ホント、ユウちゃんはいじらしくてカワイイね」
(これは、ちょっと馬鹿にされている……のか?)
一瞬疑うも、拓さんの表情に小馬鹿にしたような雰囲気はない。
むしろ、どこか羨ましそうな――。
「でもさ、オレからしたら、正直勿体ないかな」
「え?」
「だってユウちゃんだけが、健気にカイを好きでいるってことでしょ? 別に、"恋人"だからって想いの濃さが常に一緒ってワケでもないだろーし、それでユウちゃんが幸せだって思えるならそれでいいんだけど、今のユウちゃん、全然幸せそうじゃないし」
「っ!」
「オレはさ、カイのことも大切だけど、ユウちゃんのことも大好きなんだよね。だから、ユウちゃんがそうやって苦しいばかりならさ、それこそ別の道を探してもいいんじゃないなかなーって思っちゃうんだけど」
「別の、道……」
「そ。たとえばさ、オレと付き合ってみるのとか、どう?」
「…………え?」
真面目に話してくれていると思ってたのに。
そんな非難を込めて眉を顰めると、拓さんは心外だとでも言いたげに「やだなー、オレは本気だよ?」と笑む。
「恋人なんて、結婚と違って始まりも終わりも自由なモンなんだからさ。試しに別の人と"恋人"になってみて、やっぱりカイがいいって思うなら、元に戻るって方法もひとつなんじゃない?」
「……それって、"試し"にされる相手の方にも、カイさんにも不誠実じゃないですか」
「もしも本当に今、カイがユウちゃんじゃない誰かさんを見てるなら、そっちの方が"不誠実"だと思うけど?」
「…………」
たとえばまだ、数週間前の俺なら、そんなことないですって。カイさんを信じてますって、即座に否定出来たのだろう。
けれど今の俺には、その言葉を言えるだけの"確信"がない。
それが……つらくて、苦しい。
「……ユウちゃんも、もう少し自分の心に素直になってみたらいいのに」
拓さんはグラスに残ったアイスコーヒーを飲み切って、少しひそめた声で「ねえ、ユウちゃんと」呼んだ。
気配の変わった拓さんに、俺は下げていた視線を上げる。
「さっきも言った通り、オレは本気だよ。カイとのことも知っているし、ユウちゃんがそうして悩んでるってことも承知してる。ユウちゃんがもし、他の誰かと試しにって思うのなら、オレを選んでよ。オレはさ、ユウちゃんのその決断を、"不誠実"だなんて思わないから」
「っ、拓さん……」
"店"での顔とも違う、真摯な瞳が、戸惑う俺を優しく閉じ込める。
「オレなら絶対に、ユウちゃんを不安にさせたりしないよ」
「!」
優しく誘う、魅惑的な甘言。
耳にのこる余韻に硬直していると、拓さんはパッといつもの懐っこい笑みを浮かべ、
「とまあ、オレに出来るアドバイスはこんなところかな」
伝票を手に立ち上がった拓さんは、黒いショルダーバックを肩に回す。
……鞄もってるの、珍しいな。じゃなくて。
すでにキャパオーバーの俺は、「あ……帰るんですか」と見上げた。
「うん。ユウちゃんも、そろそろひとりの時間ほしいでしょ。オレはいつでもウェルカムだから、ゆっくり考えてみてよ」
「…………ありがとうございます」
「んじゃ、今度は笑顔のユウちゃんと会えることを祈って」
またね、と手を上げた拓さんは、里織さんに声をかけ会計をすませると颯爽と帰っていった。
残された俺はひとまず冷めた紅茶を口にして、深い息をはく。
(……なんだか、疲れたな)
店を追い出されたと思ったら、千佳ちゃんにたしなめられ、拓さんに疑われたと思ったら、恋人に誘われて……。
「……ああ、あと俊哉が家に来るんだっけか」
たしか、十八時くらいって言ってたよな。
目の前のワッフルはほとんど手つかずのままになっている。里織さんの店はせっかく焼き立てを出してくれるのに、悪いことしてしまった。
「……悪いこと、か」
例えば拓さんのいったように、別の誰かと付き合ってみれば、この不安は解消されるのだろうか。
でも、そうやって離れて、やっぱりカイさんの隣に戻りたいと思ってしまったら?
その時、彼女の隣には、既に他の誰かがいるんじゃあ――。
(……だからって、このまま黙ってても、カイさんからやっぱり別れようって言われてしまえばそれまでだし)
出口のない答えを探しながら、俺は冷たいワッフルを口に運んだ。
***
「……どう?」
会計時、小さな声で尋ねてきた里織ちゃんに、オレはユウちゃんに気付かれないよう財布を取り出しながら、
「思ってたより早くカタがつきそうだよ」
「……そう」
心配そうな顔で、里織ちゃんがちらりとユウちゃんを伺う。
ちょっと追い込みすぎちゃったけど、あとは里織ちゃんが上手いことフォローしてくれるハズ。
そんな"バトンタッチ"の意味も含めて、会計を済ませたオレは「んじゃ、後はよろしくね」と笑って店を出た。
ユウちゃんはしばらく店の中。
オレは外にでるなり、少し口を開けていたショルダーバッグからスマホを取り出した。
操作は必要ない。だってこのスマホは、ずっと"通話中"なのだから。
「聞いてた? ――カイ」
呼びかけた人物が、沈黙を破り『……はい』と肯定する。
『……ユウちゃんを口説くなんて、聞いてません』
「だってユウちゃん、可哀想なんだもん。あんなに思い悩んじゃってさ。カイだって、オレがユウちゃんを気に入ってるの、知ってるでしょ?」
『…………』
この沈黙はきっと、オレへの不満と、不甲斐ないカイ自身への怒りってとこだろうか。
うんうん、いい傾向。
つい上がってしまう口角を悟られないように、オレは慎重に"真面目な"声を出す。
この二人を優しく導くのは、別の子たちの役割。オレの役目は二人を引っ掻き回して、ギリギリまで追い詰める
「言っておくけど、オレは本気だから。ユウちゃんがオレを選んだその時は――オレが、もらうよ」
『っ!』
息をつめた気配がする。
オレは噴き出したい衝動を抑えて、カイの反応を待った。
『……拓さん』
「うん?」
『ユウちゃん、この後は家にいる予定なんですよね』
「そうだよ。昨日説明した通り、俊哉くんに手を回してもらってるからね。住所も教えたでしょ?」
『……わかりました』
電話口の向こうで、カイは一体、どんな顔をしているんだろう。
絶対おもしろいことになっているだろうに、見えないなんて、残念。
そんなオレの小さな落胆を吹き飛ばすようにして、決意を込めた声が鼓膜を震わせる。
『すみません、拓さん』
「んー?」
『――ユウちゃんは、譲れません』
ああ、本当にこの二人は、愛おしいくらいカワイイんだから。
若干の羨望と、これから二人が辿り着くであろう未来を願って、オレは努めて悪ぶった声を出した。
「出来るものなら、やってごらん」
***
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