第109話カワイイ俺のカワイイ追求②

***


 露出した肌を撫でる、心地よい空調。

 アンティーク調の調度品で彩られた店内の一角で、柔らかな座面に腰かけた俺を見下ろす猫目型の双眸が、憐れみを含んで細まった。


「なるほどね。それで行き場をなくしてウチに来たと。案外弱いのね、師匠?」

 白磁のティーカップにアールグレイを注ぎながら、千佳ちゃんが呆れ交じりに告げる。

 俺はため息をひとつ零して、

「休みだったコウがわざわざ出てきてて、着替えもメイクもばっちりでスタンバイしてるんだぞ? 追い返せないだろ」

「……アンタがそう考えるのも、あの"あいら"って子は計算のウチだったんじゃない?」

「……かもな」


 時成は俺の性質をよくわかってる。俺を確実に追い出すために、コウを呼び出したのだろう。

 せめて理由を教えてくれれば、こっちだってこんなヤキモキせず、素直に協力したってのに。

 不満を流し込もうと、千佳ちゃんの淹れてくれた紅茶を口に含んだ。鼻腔にふわりと広がる、芳醇なベルガモットの香り。

 机上に並んでいるのは、このアールグレイに合わせてオーダーした、オレンジソースが果肉と共に添えられたクレープシュゼットだ。


「とまあ、経緯はなんにせよ、これでコウも最終日までフルで出ることになったから。最終日の閉店まで、どっちが勝つか予想がつかなくなったな」


 とろりと溶けたバニラアイスと、線状に飾られたオレンジソースが混ざり合い、卵色のクレープ生地の上を、つうと流れる。

 その河川をせき止めるようにして、スプーンで一口分を切り分け、すくった。

 口に運ぶと、柔らかな生地の熱を奪うようにして、冷たいバニラが舌状でとろける。

 爽やかなオレンジの風味が、アイスの甘味に夏の香りを飾る。


「……うまい」


 思わず呟いた俺に、「離れているとはいえ他のお客様もいるんだから、"おいしい"って言ってくれる? 師匠」と千佳ちゃん。

 俺が「あ、ごめん」と肩を竦めると、千佳ちゃんは不可解そうな顔で「それにしても」と腕を組んだ。


「せっかく暇が出来たんなら、私のトコじゃなくて大好きな恋人さんのトコに行きなさいよ」

「ぶふぉっ!?」

「ちょ! きったないわね何やってんのよもう……ほら口拭き! ったく、中学生でもあるまいし……」

「ご、ごめん。ちょっとびっくりして」


 机上に飛び散った紅茶をダスターで拭いた千佳ちゃんが、眉根に怪訝を寄せる。


「なに動揺してんだか……。どーせ、忙しさにかまけて放置してるんでしょ。さっさと連絡とって行ってあげなさいよ。勝負に関してはもう、私が頑張るしかないでしょ」

「あー、それはそうなんだけど……向こうも忙しくて、簡単につかまる人じゃないから」

 しどろもどろ告げる俺に、千佳ちゃんが双眸を細める。

「……連絡は? したの?」

「……してないけど」

「やましいことでもあるわけ?」

「っ」


 心臓が跳ねる。図星だ。彼女の嘘を知ってからもメッセージのやり取りはしているが、どうにも心苦しくて、返信回数が減っている。デートの誘いもしていない。

 これは逃げだ。わかっている。

 でも考えてしまうと、ほんの瞬きの間に、胸中が黒く染まってしまうのだ。

 口をつぐんだ俺に代わるように、ピコン、と小さな電子音が響いた。

 俺のスマホだ。近い位置からの音に、腰横に置いていたハンドバッグを開く。


「……黙ってたって、何も解決しないわよ」

「え?」

「ほら、鳴ってるんだから確認しなさいよ」


 千佳ちゃんは俺を促すように片手を振ると、くるりと背を向け席を離れてしまった。


(……さっきのは、どういう意味だったんだろ)


 メッセージの差出人には"俊哉"の文字。

 タップして開くと、『十八時くらいに、家に行ってもいい?』とある。


『さっき実家に帰ってたんだけど、母さんから悠真にもって総菜預かっちゃって』


 拓さんからの呼び出しは十五時。

 なんの用か知らないが、そこそこ話し込んだとしても間に合うだろう。


(今日の夕食は米炊くだけでよさそうだな)


 わかった、と了承を返し、なんとなしに画面を操作をする。癖のようなものだ。

 彼女からの連絡は、ない。

 それもそのはず。だって彼女はこの時間、"カイ"として仕事中だ。


(……本当に、"仕事"だよな?)


 って、何疑ってんだ俺は。バカか。

 そう思うのに、いやでも、休憩の合間に返信くらいできるんじゃとか、実はその僅かな隙間時間に、俺じゃなくてトシキさんと連絡を取り合ってるんじゃないかとか。


(だああああああああああもうっ!!)


 疑心を振り切るように紅茶をあおいで、俺は頭を抱えた。


(……こんなに面倒くさい奴だったっけな、俺)


 泣きたいような、叫び出したいような、とにかくこの泥水じみたやるせなさを拭い去る術を教えてほしい。

 視線を上げた先では、千佳ちゃんこと"のえる"が若いカップルに奉仕している。

 あれはたしか……この間も見かけた二人だ。

 千佳ちゃんと言葉を交わしつつも、互いに交える視線はやはり"特別"のソレだし、何より、何気なく交わされる軽快な掛け合いに親密さが滲んでいる。

 楽しそうだ。すごく。

 千佳ちゃんが去った後も、大皿に乗ったサンドウィッチを分け合ったりして、なんというか……胸が痛い。


(……なんだかな)


 彼らも、俺達も。同じ"恋人"という肩書のはずなのに、雲泥の差だ。

 あそこまで大っぴらにいちゃつきたいというワケではないけれど……いったい、どこで何を間違えてしまったのか。


 溶けたバニラアイスをスプーンですくい口に運ぶ。

 温度を失くした液体は、もはやアイスとは呼べそうになかった。


***


「いらっしゃ……あー! 待ってたわよゆうちゃんー! 近頃ちっとも顔みせてくれなくなっちゃって、寂しいのなんの……って、ごめんなさい待ち合わせよね! いつものトコだから!」


 一息に言い切りウインクを飛ばした早織さんに、俺は「すみません」と「ありがとうございます」を会釈交じりに告げた。

 もしも今、彼女の両手が空いていたのなら、勢いまかせにハグもされていたような気がする。


(……本当、久しぶりに来たな)


 心安らぐカスタードクリーム色の家具も、レジ横に置かれた観葉植物の緑も、なんだか懐かしい。

 そんなノスタルジーを打ち消すように、視線を巡らせたお決まりの席で、記憶とは別の人物がニコリと笑んで手を振った。

 拓さんだ。俺を呼び出した張本人。

 俺はきゅっと唇を結んで、決戦の場へと歩を進めた。


「久しぶりーユウちゃん。外は溶けそうな猛暑だっていうのに、相変わらずカワイイね」


 ニコニコと上機嫌そうに笑む拓さんは、ドロップショルダーのシンプルなトップスに、細身のスキニーを纏っている。

「拓さんも相変わらずカッコいいですね」と返しながら対面に腰かけると、拓さんは「うんうん、このドライな感じ。ユウちゃんだー!」と嬉し気に頷きながら、メニュー表を俺に向けて開き置いた。

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