第107話カワイイ俺のカワイイ影響力⑤
誤魔化すような空笑い。
ここで引いてほしいのか、突っ込んでほしいのか。
いまいちわかりかねて一先ず小首を傾げてみせると、トシキさんは数度視線を泳がせた後、「えーっとさ……」と口横に手を立てて、声を潜めた。
「ごめん。プライベートなコトだからやめとこって思ってたんだけど、やっぱり気になっちゃって」
「? なんでしょう?」
「その……カイくん。どうだった? この間、その……"女の子"な感じだったでしょ?」
「!?」
なんで、そのことを。
うっかり落としかけたお盆を抱え直す。
トシキさんはそんな俺の動揺などつゆ知らず、空想に浸った眼をうっとりと細めて、
「にしても、あの服着たカイくんとユウちゃんが並んだ姿とか、声かけるのも躊躇うくらいのキラキラオーラ炸裂タッグ! だよなあ絶対! あー見たかった! ホント見たかった!」
「……あの、トシキさん。なんで、カイさんのこと」
「あれ、聞いてない? あの服選んだの、俺だって」
瞬間、息が凍った。
甲高い、耳鳴りがする。
「この間ひっさしぶりのエスコートだったんだけど、いまいち行きたいトコ思いつかなくってさ。んで、とりあえずブラブラしてたら、レディース服のエリアに迷い込んじゃって。そういえば、カイくんっていつもああいった感じなのかなーって思って聞いてみたら、『スカートの方が好きですか』なんて真面目な顔で言うんだよ。だから、『そりゃ、俺は好きだけど』って答えたら、『そうですか』って妙に深刻そうにお店眺めてるからさ。もしかしたら、カイくんもあーゆー格好してみたいのかなって思って」
「……トシキさんが、選んであげたんですね」
「そうそう。ほら、俺いちおう美容師でしょ? 職業柄、ファッション誌とかよく見るし、その人に合うモノをって点はソコソコ自身あるから。……なーんて、ホントのところ、他人の洋服選ぶなんて初めてだったから、ちょっと心配だったんだよね。ねね、どうだった?」
尋ねるトシキさんからは、純粋な期待だけが伺える。
疑うまでもない。これは、"本当"の話だ。
冷え行く体温。目と口が感情に引っ張られないよう慎重に笑みを張り付けて、俺は「そうですね」と可愛らしく人差し指を顎に添えた。
「カイさん、すっごく綺麗でしたよ。僕だけで独り占めなんて、勿体ないくらいでした。さすが、トシキさんの見立てです」
抑えきれない混濁とした感情が、拒絶の棘を纏わせる。
トシキさんは気づかずに、
「ああああよかった……! ユウちゃんにそう言ってもらえて、安心した!」
大げさに息を吐いてから、トシキさんは再び空想に思考を馳せ、
「そっかー、綺麗だったかー。あ、二人で写真撮ってきてってお願いしとけばよかった……っ!」
失敗した、とコミカルな仕草で頭を抱えるトシキさん。
(……よくないな)
狭まる視界。心が陰鬱な奈落へと沈んでいく。
その奥の、どす黒い狭間をどこか冷静に眺めながら、俺は努めて自然に「では、また暫くしてから伺いますね」とその場を後にした。
きちんと背筋を伸ばして、なびく髪の揺れまでも意識しながら、パントリーへと踏み入れる。
「おかえりなさいですユウちゃん先輩ー。ちょっとアイスのパイだして……って、どうしたんですかなんか急にかお強張ってませんかー?」
「……嘘だった」
「はいー?」
「全然、気づかなかった。嘘だってことも、本当は、興味があったってことも」
「ちょっと先輩、いきなりなにを――」
「相談も、頼られもせず、"本当"すら隠される。……何なんだろうな、俺って」
「! せんぱ――」
「個室席の口拭き足してくる」
時成の呼びかけを振り切り、補充棚からペーパーナプキンの小袋を掴んだ俺は、足早で廊下奥の個室部屋へと向かった。
まだ客入りも緩やかな店内。個室席に通された客は、まだいない。
(……早めに、戻らないと)
これからランチタイムに向けて、お客様が増えてくる。
踏み入れた個室部屋のひんやりとした空気にそっと安堵を吐き出して、俺は思考を整理しつつ、手早くテーブルを回っていく。
(……"悲しい"、じゃないな。"落胆"でもない)
頭は妙に冴えていて、ただ、身体の中心部にぽっかり風穴が空いたみたいな感覚がしている。
この感情を何と呼ぶのか。考えたところで、きっと、俺に答えは見つけられないだろう。
鼓膜を掠める、擦れたビニール袋の音。
その振動に重なるようにして、無感情な脳裏に"なぜ"の問いだけが重なっていく。
(どうして、俺じゃなくてトシキさんに)
簡単な方程式。
こんなにも敏い自分が、嫌になった過去はない。
(……つまりそれは、彼女の"知りたい"相手がトシキさんだったってことで)
(早織さんと買いに行ったって嘘をついたのは、俺に"本当"を告げるのは後ろめたかったからで)
(――ああ、もしかしたら)
彼女があの服を着て隣に並びたかったのは、俺じゃなくて、トシキさんだったのかもしれない。
(まずは俺に見せて、"変じゃないか"って反応を確認してから、見せるつもりだったとか?)
(違う。彼女はそんな、俺を"利用"するような人じゃない)
即座に否定が浮かぶくせに、どこか祈るような心地になってしまうのは、彼女を信じきれていないからだ。
どうして。簡単なことだ。
――だって俺は彼女に、"好き"だと言われたことがない。
(……"恋人"なのに、俺は彼女の"本当"を、全然知らないな)
気づいてしまった事実が、心の芯をぎりりと握りつぶしてくる。
意識の外で流れ行く、薄いエアコンの風音に、アップテンポなアイドルの曲。
押し潰されそうな鬱屈に、俺はひとり、息を潜めて密かに蹲った。
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