第106話カワイイ俺のカワイイ影響力④

***


「やっちまった……。頼むから今すぐ地下三千メートルぐらい掘ってくれ。俺は埋まる」

『えええっ!? 急になに言ってるの悠真!?』


 帰宅後。俺の意味不明な通話を受けた俊哉が、素っ頓狂な声を上げた。

 突っ込みを入れる気力すらわかなくて、俺はベッドに倒れこみながら「……うるせえ」とだけ呟く。

 ドサリ、という鈍い音が伝わったのだろう。


『え……!? ちょっと悠真! 死なないで!』

「死なねえよ。……精神面は、ギリギリってトコだけど」

『……あれ? たしか今日って、カイさんと会ってたんじゃなかったっけ?」


 困惑の声に俺は長い溜息をついてから、事の経緯を説明した。

 カイさんが女性的な服装で来たこと、ミニスカートのチャンスを逃したこと。

 突然の「あーん」に浮かれていたら、彼女の鞄に、どこの誰とも知らない野郎のナンパ用紙が入っていたこと。

 そして俺がその紙を、咄嗟に破り捨てようとしてしまったこと――。


 あんなに楽しみにしていたケーキの味など、微塵も覚えていない。

 正直あの後、店から出るまで、彼女と上手く話せていたかも朧気だ。


 うん、うん、と相槌を打ちながら大人しく聞いていた俊哉は、俺が話し終えると暫くしてから、


『……え? それだけ?』

「それだけって……お前、俺のこの深刻な声が聞こえないか?」

『いや、それは分かるけど……そんなに落ち込む所あった? あ、そっか。カイさんが紙? 貰ったから、俺だって可愛いのにって嫉妬しちゃったんだね!」


 どうだ! と言わんばかりの声に、俺は頭を抱える。

 こいつはいま絶対に、誇らしげな顔をしているに違いない。

 ……腹が立つ。

 俺はそんなイラつきを全面に押し出した低い声で、「ちげーよ」と訂正を突き付けた。


「言っただろ。カイさんが貰った紙を、勝手に破ろうとしちまったんだよ」

『……ええと?』

「だからっ……かっこ悪いだろーが! あんなの、独占欲丸出しで、みっともねえ」


 思い出しただけで、心臓の辺りが吐き出しそうな、叫び出したいような靄がこもる。

 額に当てた掌が熱い。

 そうだ。これは"独占欲"だ。相手を縛り付ける、醜く愚かな感情。

 理解しているから、必死に見ないようにして、抑え込んでいたのに。


『……あのさ、悠真』


 恐る恐るといった声が、俺を呼ぶ。鼓膜に意識を戻し、額から手を退けた。

 途端、俊哉が疑問を放つ。


『ちょっと分からないんだけど、それって、そんなに悪いこと?』

「…………あ?」

『いや、だってさ。まだ付き合ってないならちょっとなーとは思うけど、付き合ってて、恋人同士でしょ? 俺だって恋人がそんな紙貰ったら、嫌だなって思うし……。確かに、勝手に破っちゃうのはカイさんもびっくりするかもだけど、悠真が落ち込んでるのはそこじゃなくて、"独占欲"ってトコなんだよね? なら、別に何も変じゃないと思うけど……』

「…………」

『悠真は"独占欲"は良くないモノだって思ってるみたいだけど、この場合はむしろ……嬉しいんじゃないかな』


 嬉しい? こんなみっともない"独占欲"が?

 混乱に脳がショートする。一ミリも理解出来ない。


「…………俺は、カイさんを、縛りたくない」

『うん』

「お互いを……"自由"を、尊重したいんだ」

『それは……"大人"だから?』

「そうだ」

『違うよ、悠真』


 俊哉らしからぬ、明瞭な声。


『それは"大人だから"じゃなくて、"カイさんを好きだから"って考えなきゃ。だから悠真の"本当"の気持ちとズレちゃって、あべこべになっちゃうんだよ』

「!」


 窓外で鳴くヒグラシの声が、いっそう際立ち鼓膜を突く。


『ねえ、悠真。"本当"の悠真は、カイさんとどうなりたいの?』

「……」


 答えられない俺の沈黙が、通話時間だけを伸ばしていく。

 俊哉はどこか悲し気な声で、『俺は、悠真にもカイさんにも、幸せでいてほしいよ』と呟いた。


***


「――って、ユウちゃん先輩聞いてますー?」

「え? あ、ああ」


 虚を突かれたように呆けた顔を向けた俺に、"あいら"姿の時成が「もうー」と不満げに頬を膨らませた。

 場所は近頃自宅よりも入り浸っている、『めろでぃ☆』のパントリー。

 ついさっき開店したばかりで、店内にはまだ微睡んだ空気が流れている。

 俺のお盆にお冷入りのグラスを乗せた時成は、「ですからー」と唇を尖らせて、


「コウの勝負の結果、もうすぐですねー」

「……そうだな」


 一か月後、と千佳ちゃんに指定されたあの時は随分と先に思えていたが、気づけば約束の日は三日後に迫っていた。

 最後の追い込み。どちらが勝っても負けても、コウと千佳ちゃんの未来がこの日で決まってしまう。

 本当ならば、今はこの勝負だけに注力すべきなのだろう。

 ……が。


『ねえ、悠真。"本当"の悠真は、カイさんとどうなりたいの?』


 脳裏で繰り返される、俊哉の問い。

 答えを出せないままの議題が、ずっと、思考を蝕んでいる。


「……千佳ちゃんには、二日前に、最終日まで順位は教えないでくれって伝えてあるから」

「りょーかいですー。後でコウにもそう伝えておきますねー」


 俺は昼過ぎ上がりで、コウは午後からの入りだ。出会うタイミングはない。

 時成はロングのシフト帯に入っているから、任せて問題ないだろう。

 俺は「よろしくな」と頷いてから、"来店セット"を乗せたお盆を持ってフロアへと踏み出した。

 直後、そわついた双眸と目が合う。

 トシキさんだ。こうして開店直後にやって来るのは珍しい。


(今日は店、休みなのかな?)


 随分と疲れた面持ちをしていた前回を思い出しながら、俺はニコリと笑んで彼の元へと向かう。


「お待たせしました、トシキさん。もしかして、もう注文決まりました?」

「え!? あと、いや……ごめん、マダなんだ」


 申し訳なさそうに頭を掻くトシキさんに、俺は「あ、ごめんなさい」とお冷を置きながら言う。


「なんだか僕を待っていたようだったので、てっきりオーダー待ちなのかと……」

「そ! れは……あはは」


(……なんだ?)

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