第105話カワイイ俺のカワイイ影響力③


(良かった、喜んでもらえて)


 こうした短い言葉でもコミュニケーションが取れるのは、これまで過ごした二人の時間が、言葉以上の意志を伝えてくれるからだ。

 そんな優越感に満足を覚えていると、なつきさんが自身のマンゴーパフェを俺に寄せて、


「じゃあ次は、こっちのも……あ」


 不自然に言葉を飲み込んだ彼女に、俺は疑問を眼に乗せる。

 と、なつきさんは珍しく目を泳がせて、迷った素振りでパフェに添えた手を止めた。


「どうかしました?」


 彼女の性格上、俺に"あげたくない"と渋るなど、あり得ない。

 むしろ俺が「いりません」などと発しようものなら、反対に嬉々として、あの手この手で食べさせようとしてくるだろう。

 だから。俺はなつきさんに発生したらしい"アクシデント"に、首を傾げる。


「あ、と」


(……こんなに分かりやすく狼狽えるなんて、レアかも)


 ええー……かわいい……、と両目にその姿をしっかり焼き付けつつ、俺は大人しく彼女の言葉を待つ。

 なつきさんは上を見たり横を見たり、忙しなく視線をさ迷わせていたが、そう経たずして意を決したように、自身のフォークでマンゴーをひと切れすくい上げた。

 肉厚な橙黄色の果実が、彼女の明確な意図をもって俺に近づく。


「……どうぞ、ゆうちゃん」

「!!?」


 え? は? 待て待て待て待て……っ!!

 いわゆるもなにもコレは……!


(なつきさんが!? 俺に"あーん"してる……!?)


 パニックに「ふぁが!?」とか訳の分からない音が口から漏れた気がするし、その勢いで開いた口はそのままはくはくと空気を噛んでいるだろう。

 おまけに間違いなく、俺の顔面は耳まで真っ赤だ。

 でも。信じられない気持ちで見開いた瞳に映る、目の前の彼女も、苺に負けないくらい顔を赤らめていたから。


「……失礼します」


 耳横の髪を抑えて、伸ばされたフォークに顔を寄せた俺は、ぎこちない唇をそっと開いた。

 柔い果肉を歯先で食んで、ちゅるりと口内に吸い込む。


「……どう?」

「……おいしい、です」


 口元に手を添えながら答えるも、正直味なんてろくにわかっちゃいない。

 とはいえ、「おいしい」という言葉に嘘はない。

 こうやって彼女が与えてくれるのならば、道端の雑草だって「おいしい」に決まっている。


「……良かった」


 安堵したように微笑むなつきさんに、心臓がぎゅうと締まる。

 俺がおいしいと言ったことに対してか、俺が突然の"あーん"を拒絶しなかったことに対してか。

 どちらに対しての「良かった」なのかはわからないが、俺は浮かれに浮かれた自身を制するのに忙しいので、真相究明は放り投げておく。


(……今日、秋葉原デートにしなくて正解だったな)


 "俺達"を知る人の目がある……それこそ早織さんの店だったなら、こんな"恋人"イベントなんて発生しなかっただろう。


(……恋人イベント?)


 ふと過った微かな引っかかりに、俺は周囲をそっと見渡す。


(……誰も、みてない)


 俺達の隣はもちろん、店内は入店時と変わらない緩やかな雑音に溢れていて、誰も俺達のことなど気にも留めていない。


(それは……俺も彼女も、"女"の恰好だからか?)


 同性の友人同士がこうして食べさせ合う光景など、さして珍しくもない。

 ああ、もしかして。

 なつきさんがこうして"らしくない"行動を取ったのも、『今なら友人同士に見えるから』という、後押しがあったからじゃあ……。


「ゆうちゃん?」


 どうかした? と尋ねる瞳に、俺は笑顔で取り繕う。


「やっぱりそのパフェを頼まれてる人、多いですね」

「あ……うん。季節限定だからかな」

「ってことは、もう少ししたら秋のメニューに変わっちゃうのかあ。秋は何のフルーツになるんですかね?」

「あ、ちょっと待ってね。そういえば、昨日調べてたらネットに秋の告知が出てて……」


 言いながらなつきさんは、腰横に置いた鞄からスマホを取り出した。

 刹那、つられたように小さな紙切れがひらりと落ちて、なつきさんが「あれ?」と不思議そうに手を伸ばす。


「なんだろ? こんなの入れた覚え……」


 四つ折りの白い用紙を開き、中身に目を走らせた途端、なつきさんは強張るようにして言葉を切った。


「どうしました?」


 明らかな異変に尋ねると、なつきさんは「あ、とね」と戸惑いに眉を寄せ、


「……誰かが、入れたみたい」

「え?」


 一瞬、わけがわからなかった。

 だが俺は答えを導き出すよりも先に、「かしてください」と手を伸ばした。ほとんど反射だ。

 なつきさんの鞄から、知らない"誰か"のメモ用紙。

 ……嫌な予感に、心臓がギリギリする。


「……はい」


 なつきさんが数秒の躊躇を振り切って、俺に用紙を託してくれる。

 俺は急いで中身を確認し、嫌悪に眉を顰めた。


『素敵なあなたに一目惚れしました。ぜひ連絡をください』


 走り書きの文面と共に記載された、メッセージアプリのID。


(――ナンパ)


 頭にカッと血が上る。


「っ、人の鞄にこっそり入れるとか、気持ち悪い奴」


 早口で捲し立てた俺は、衝動のままその用紙の端に指先を滑らせた。

 思考が熱に支配される。指先に力がこもる。

 腹底からせり上がる不快感をぶつけるように、破ろうとして――止まった。


「……っあ、俺」


(俺は今、何を……?)


 この紙を、破り捨てようとしたのか?

 これは彼女のモノなのに?

 同意も得ず、俺の勝手な苛立ちで――。


「…………あ」


 信じらない気持ちで彼女を見上げる。

 と、なつきさんは驚いたような顔で俺を見ていた。

 無理もない。だっていくら"恋人"とはいえ、こんな暴挙――。


(……俺は、何をやってるんだ)


「……す、みません、なつきさん」


 声が微かに震える。

 ぎこちなく指先を下ろした俺は、紙につけてしまった皺を伸ばし、どこか呆然とした思考のまま彼女へと差し出した。


「……お返しします」


 瞬間、彼女が息を詰めた。

 身勝手な俺への怒りを飲み込んでくれたのだろう。だって、彼女はとても優しいから。

 案の定、彼女は文句の一つもたれないで、「……うん」と紙を受け取った。

 それから数秒の逡巡を挟み、


「……返して、くれるんだね」


 ええ、勿論。ちょっと妬けちゃいますけど。

 きっといつもの俺なら、"ユウ"らしく蠱惑的な笑みでそう告げて、肩を竦めていただろう。

 だがこの時の俺は、とにかく冷静さを欠いていた。


「……勿論です」


 石膏のように強張る頬で、必死に言葉をつなぐ。

 俺を見つめる彼女がその双眸にどんな感情を込めているのか、知るのが怖くて、視線を落としたまま告げた。


「それは、なつきさんのモノですから。……連絡をするもしないも、なつきさんの"自由"です」

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