第102話カワイイ俺のカワイイ自由⑤

 前回の失態が思っていたよりもショックだった俺は、今回は努めて平静に、そして慎重に"ユウ"の仮面をかぶり続けた。

 そのかいあってか、未だ予約戦争に苦戦していると嘆くトシキさんの愚痴にも、うっかり口をついて出たようなカイさんへの敬愛にも、俺はきちんと"カイの友人のユウ"としての態度を貫いた。


 これまでの経験と、プロ根性の成せる技。

 さすが俺。


 だが時成はやはり心配が拭えなかったのか、俺がトシキさんの元へ向かえばさり気なく様子を伺っていたし、少しでも俺との接触を減らそうとしたのか、いつもよりもトシキさんに絡みに行く場面が多かった。

 コウの言う"サポート"とは、こうした所だろう。

 本当に、よく見ている。


「実はさ、いま休憩中なんだよね。あー! お腹も心もエネルギーチャージ出来たし! この後も頑張れそう!」


 食事を終え、水を継ぎ足しに来た俺に、両手を上に伸ばしたトシキさんが満足げに笑んで両腕をおろす。


「ユウちゃんも無理しないように、残り頑張ってね!」

「ありがとうございます。トシキさんも、あまり頑張りすぎないでくださいね」

「うーわー……。今のすんごいズキュンときた。キュンキュンだわ。ごちそうさまです」

「もう、ホントに心配してるんですからね?」

「だから嬉しいんだって。ありがとね、ユウちゃん。その心配を無駄にしないよう、程々に頑張ります」


 じゃあ、また来るね。ユウちゃん。

 そう言ってトシキさんはニカリと笑い、手を振って店を後にした。

 ほら、何も問題なかっただろ。

 得意げに時成を振り返ると、あいつは心底安心したかのように息をついていた。


「……あいらはさ、俺のこと、大好き過ぎるんだよ。うちの店に来た時から、俺のファンだって言ってたし。……たぶんだけど、俺のためにって頑張ってくれた結果が、今の"あいら"なんだと思う」


 時成がアルバイトとしてやってきた頃はまだ、従業員も数人で、お客様も一日に数人という日々だった。

 当時の俺はやっとみつけたこの店をなんとか存続させようと躍起になっていて、お客様がいない時は大通りでビラ配りをしたり、常連さんにお友達への紹介を頼んだりもしていた。

 転機を迎えたのは、そんなある日のことだった。


「ユウ先輩ー! お腹すきましたぁー」


 とても"勤務中"とは思えない台詞と共に、"あいら"が"ユウ"に抱き着いてきたのだ。

 途端、ざわつく店内。


「ちょっ、あい――」


 ――違う。

 異変に気付いた俺は、喉元まで出かけていた叱咤を飲み込んだ。

 このざわつきは、嫌悪じゃない。

 むしろ、その正反対の――。


(――これだ)


 こうして生まれたのが、今でこそすっかり板についてしまった、"ユウ"と"あいら"のパフォーマンスサービスだった。

 結果は言わずもがな。

 今現在の『めろでぃ☆』の成長ぶりが、そのままの答えだ。


「……やっぱり、羨ましいです」


 ポツリと落とされた声に、コウを見遣る。

 コウは伏目がちに、


「大好きな人を助けることが出来て、しかも、ちゃんと気持ちも受け取ってもらえてて……おれは、おれには、とても」

「……コウも、大好きな人がいるのか?」


 言ってから、俺はハッと思い出した。

 そうだ。前に千佳ちゃんが言っていた。

 コウには大切な人がいる。そしてその人のことを、幸せにしたいと思っている。

 だから千佳ちゃんは、自分の想いを言わないのだと。


「あ、と。悪い、答えなくていい――」

「はい」

「っ」


 コウは弱弱しい笑みを浮かべ、


「おれ、大好きな人がいるんです。でもおれ、その人に何もしてあげられなくて……笑っていてほしいのに、悲しませるようなことばっかりしちゃうんです。その人は、おれに好かれてるなんて、夢にも思ってなくて。……信頼されてないんだって、思ってるみたいなんです」

「……なんでそこまでわかってるのに、違うって言わないんだ?」


 俺の問いに、コウは一度静かに瞼を閉じた。

 決意を固めたように開き、しっかりと俺を瞳に映して、苦笑を浮かべる。


「……おれ、知らないフリは、得意なんです」

「! お前……」


 まさか。

 可能性に絶句する俺の胸中を悟ったかのように、コウは小さく頷き、


「……ちーちゃんがおれを"そういう意味"で好きでいてくれてるってことも、本当は、知ってます。でも、ちーちゃんは言わないから、きっと、知られたくないんじゃないかなって思って……"知らないフリ"を続けてきました。それが、気持ちに応えられないおれに出来る、唯一の"優しさ"だと思ってたんです」

「……"思ってた"ってことは、今は、違うのか?」


 コウは数秒の逡巡を挟んでから、肩幅を狭めて、小さく頷いた。


「……ユウ先輩とあいら先輩を見てたら、"好き"って気持ちはあげるだけでも、貰うだけでもダメで、こう……お互いに渡しあえるのが一番だなあって……。すみませんっ、ちょっと、うまく言えなくて」

「……いや」


(お互いに渡しあえる、か)


 確かにおれは時成が好きだ。だから俺に出来ることは何でもやってやりたいと思うし、時成も俺を好いてくれているとわかっているからこそ、安心して頼ることが出来る。

 言葉で、態度で、何度も互いに伝え合っているからこそ、同じ重さの"好き"なのだと、確信しているからだ。


(……なら、カイさんは?)


 "好き"という言葉を未だにくれない彼女は、俺を、俺と同じように、想ってくれているのだろうか。


「――だからおれ、決めたんです」

「っ」


 緊張の響きを持ったコウの声に、渦巻く思考を打ち消した。

 コウは姿勢を正して、


「今回の勝負に勝って、ちーちゃんにちゃんと、"ごめん"と"ありがとう"を伝えようって。……もう、おれの為に頑張ってくれなくても、大丈夫だよって。勝って、証明して、自由にしてあげたいんです」


 ――自由。

 必死に見ないようにしていた胸奥の"疑惑"に、チクリと針が刺さった。


(……カイさんは、本当に俺と付き合って良かったのだろうか。いや、でもいつも、楽しそうにしてくれているし)

(本当は、窮屈を感じているかも。でも別に俺は、縛り付けるようなことは何も)


 そうだ。

 俺は、俺達は、互いに"自由"を尊重している。

 だから、仕方ないのだ。

 ――たとえカイさんが、トシキさんを好きになってしまったとしても。


「っ」


 途端、心臓がグッと押し潰されて、俺は咄嗟に胸元に手を遣った。


「先輩?」


 瞳に心配を映して、小首を傾げるコウ。

 気づいた俺は即座に手をおろし、「あ、いや、何でもない」と笑ってみせた。

 今は、コウの話が優先だ。


「そんな大事な決意があるんなら、余計に頑張らないとだな」

「はい! ユウ先輩とあいら先輩のご協力を無駄にしないよう、もっともっと頑張りますっ! あ、でも、ちーちゃんの指導の件は、どうか今まで通りに……」

「安心しろ。それはそれ、これはこれだ」


 摘まみ上げたティーカップに口をつけ、唇で弧を描いた俺に、コウは心底安心したように笑む。


(……わかってる。俺のことより、まずはコウ達の勝負だ)


 カイさんからも、暫くはこちらに注力しろと言われている。

 だから、大丈夫だ。俺の判断は、間違っていない。


「……勝とうな」


 励ましの言葉を口にすると、コウは笑顔を咲かせて「はいっ!」と頷いた。

 その背に広がる窓の外で、夕日が沈む。

 まだ明るいオレンジ色を保っている空の下、彼女はまだ、誰かの"エスコート"に勤しんでいるのだろうか。


 ――俺ではない誰かに、心を寄せて。


 刻一刻と時を進める時計。

 心地よく耳を撫で行く音楽も、舌上に広がるクリームの滑らかさも、彼女は知らない、俺だけの"好き"で溢れていた。


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