第101話カワイイ俺のカワイイ自由④
時成は「あ、そうでしたー」と思い出したように手を打って、
「トシキさん、来てますよー」
「! ……そうか」
「……まあ、おれはカワイイだけじゃなくってちょう優秀な後輩なんでー、担当をさりげなーく変わってあげるってのも余裕なんですけどねー?」
白々しくチラチラと見遣る時成に、俺はつい苦笑を漏らす。
時成は最初から、トシキさんの担当を請け負うつもりで来たのだろう。
前回、トシキさんを相手に失態を犯した俺を、案じてくれたのだ。
だって彼は可愛くて、ちょう優秀な後輩様だから。
(……まったく、俺には"お人好し"だって言うくせに)
時成だって、俺には十分過ぎるほど甘い。
「……いや、大丈夫だ」
俺はゆっくり首を振る。
「トシキさんは"ユウ"のお客様だからな。ちゃんと責任もって、"仕事"するよ」
「……わかりましたー」
不服、というよりは心配を映した眉間に、俺は「でも」と目元を緩めて近づいた。
少しだけ高い位置にある頭を、ポンポンと軽く撫でる。
「また何かやっちまったら、フォロー頼むな。あいらは"ユウ"の"ちょう優秀な後輩"なんだから、それくらい余裕だろ」
強がらずにこうして素直に頼める相手がいるというのは、何とも恵まれている。
時成はちょっとだけ目を丸くしたが、嬉し気に綻んだ顔を下を向いて隠してから、了承の笑みで俺を見据えた。
「"カワイイ"が抜けてますー」
「ん? ああ、"俺の次に"、な」
「……むう、反論しにくいじゃないですかー」
「次は"おれの方がカワイイ"って、即座に返せるようになれよ」
肩を軽くたたいて時成の前を通り過ぎた俺は、扉をくぐり、パントリーへと向かうべく歩を進める。
……ああでも、そうか。
俺は足を止め、
「時成」
「なんですかー?」
小首を傾げた時成を、振り返る。
「ありがとな」
ありったけの感謝を込めた笑顔と共に告げてから、俺は今度こそとパントリーへと踏み出した。
暫く呆気にとられていたのか、数秒遅れてやってきた時成の、
「どーして先輩はこーゆー時だけ……。ってか出来るのに出来ないっていうか……でもおれにはこれ以上は」
などというよくわからない呟きは、意味がよくわからないので無視を決め込んだ。
***
ダークブラウンの店内に流れる、滑らかなクラシック。
この街の喧騒から隔離されたような店内では、一人読書にふける常連風のおじ様や、会話に花を咲かせるお姉様がたがそれぞれの時間を楽しんでいる。
久しぶりに口にした苺のショートケーキとアールグレイに舌鼓をうつ俺の向かい側で、同じケーキを注文したコウは、ロイヤルミルクティー入りのアンティークカップに緊張の面持ちで口をつけた。
こくんと小さく鳴る喉。途端、パッと顔を咲かせ、
「すっごくおいしいです……っ!」
「だろ? やっぱコウは砂糖増量のが好みだと思った」
ロイヤルミルクティーの砂糖増量は、メニュー表には記載のない、いわば"裏オプション"というやつだ。
あしげく通っていたからこそ、知り得た情報。
それなのに、数十年時を遡ったかのような空気感や、舌上に広がる控えめな甘さに懐かしさを覚えてしまうのは、ここ最近はすっかり足が遠のいていたからだ。
(ここんとこ、早織さんの店ばっか行ってたからなあ……)
秋葉原における自分の"一番のお気に入り"は、このカフェで決まりだと思っていた。
未来を見て来た訳でもない俺の"絶対"は、ちょっとしたきっかけで簡単に覆る、"予測"でしかないようだ。
(……まさか、"仕事場"で好きな相手が出来るなんて思ってもいなかったし)
しかも、その相手が恋人になってくれるなんて。
対面に座るコウがカップを置き、いそいそと手にしたフォークで、慎重にケーキを切り取った。
初めての食材を前にした小動物のように、興味津々といった様子で数秒観察してから、口に運ぶ。
「! 生クリームがふわっふわなのに、濃厚です……! 牛乳の味がする……っ」
言うコウの目は感動にキラキラと輝いている。
甘党の彼には少々物足りないかと思ったが、これはこれで気に入ってくれたようだ。
「食べやすいから、あっという間に食べ終わっちゃうんだよなあ」
「確かにこれは、手が止まらないです……! あ、でもちゃんと味わって、大切に食べますのでっ!」
代金は俺が持つ、と告げてあるのを、気にしてくれたようだ。
慌てふためきながら、まるで弁明するかのように言うコウに、俺は「いいよ」と噴き出す。
「気に入ったんなら、もう一個頼んでもいいし。なんなら、別のケーキを試してみるか?」
「え! そ、そんな……っ、大丈夫ですっ!」
「そうか? 遠慮すんなよ。あいらなんかいっつも遠慮ゼロで、好きなモンを好きなだけ注文するし」
「えと、それは……あいら先輩なりの、ユウ先輩への愛情表現だと思うんですっ」
「!」
ちょっとだけ、驚いた。
コウの言う通り時成の無遠慮な注文は、あいつなりの"甘え方"だ。
その事実を、コウは見抜けるのだ。
時成よりもずっと昔から時間を共にしている、千佳ちゃんの想いには気付けないのに。
(……"幼馴染"だからあり得ないと思っている? それとも、自分の事になると鈍感になるタイプか?)
たとえば俺みたいに、とうっかり続いてしまった思考は打ち消して、俺は「うん。そうだな」と笑みを返した。
途端にコウはホッとしたような顔をする。
それから言うべきか言わざるべきか、といった風に数度口を開閉してから、
「……おれ、ユウ先輩とあいら先輩を見てると、すっごく幸せな気持ちになるんです。お二人とも本当に、お互いを大切にされてるって感じで……。あ! もちろん、人としてって意味で、決してお似合いだなーとかそういう気持ちで見ているわけでは……っ」
「あー、うん。大丈夫だから、そこは」
まあ、別に見て楽しむ分には好きにすればいいと思っている派なので、そこはコウの好き想像してもらって構わない。
けれどもコウがあまりにも必死に「ほんとに! 違いますからっ!」と重ねるので、俺は心得たという顔で頷いた。
カワイイ後輩が違うというのだから、違うのだろう。
「とりあえず、落ち着け。な?」
「はっ、はい……」
コウは俺に促されるまま紅茶に口をつけ、ひと息ついてから、再びポツポツと言葉を落とし始めた。
「……ちょっとだけ、羨ましいんです」
「うん?」
「あいら先輩って、可愛くて、愛嬌があって。お客様のお相手で忙しい筈なのに、ちゃんとおれの事も見ててくれて、すぐに助けてくれるんです。それだけでもすごいのに、しっかりユウ先輩のサポートも、さり気なく、でも確実にこなされるじゃないですか。……本当に、すごい人だなって」
「…………」
今日の勤務前、時成の申し出を断ったあの後、フロアに出た俺は早速とトシキさんの元へ向かった。
"ユウ"の客である彼はおそらく"あいら"に俺の所在を聞いて、注文待ちをしていると踏んだからだ。
案の定、ソワソワと周囲を見渡しながらメニュー表を立てていたトシキさんは、やっぱり今日も以前と同じく"爽やかなお兄さん"スタイルを貫いていた。
「お帰りなさいませ、トシキさん。お待たせしてすみません」
「!? っいや、全然だよ! いやー、丁度ユウちゃんのいる時間帯に来れてよかったあー」
学生の夏休みも影響して多忙な日が続いているのか、向けられる笑顔にはどことなく疲労の影がチラついている。
「暑い日が続いてますし、ちゃんと水分とって、少しでも身体を休ませてくださいね」
心配げに眉根を寄せて覗き込んだ俺に、
「っ、うん、ヘーキヘーキ。……って言いたいんだけど、ホントはやっぱちょっと疲れててさー! こーやってユウちゃんに心配して貰えただけでも、来たかいあったなあ」
勢いよく机に突っ伏するトシキさんに漂う、以前の砕けた雰囲気。
(……ホントに疲れてたんだな)
俺は胸中で安堵の息をつく。
スタイルを変えた前回から、どこか堅苦しさを感じていたんだけども……たぶん、それは彼女にふさわしくあろうと、必死に背筋を伸ばしていたからだろう。
――俺にも、身に覚えがある。
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