続編第六章 カワイイ俺のカワイイ自由
第98話カワイイ俺のカワイイ自由①
バックヤードの扉を開ける前に、ノックを二回。着替えている最中のスタッフがいる可能性があるからだ。
案の定、中から「だ、大丈夫です……!」と慌てた声がして、念の為「開けるぞ」と声をかけてから開いた。
「あ、おはようございますっ、ユウ先輩!」
「おー。おはよ、コウ」
時刻は十一時四十五分。『おはよう』という挨拶を交わすには些か遅い時間帯だが、昼夜問わず入り時は「おはようございます」と言うのが、この店のルールである。
俺と同じく十二時入りのシフトであるコウは、既に制服であるメイド服を纏っていた。
椅子に座り、机上にはスタンドミラー。黒いポーチの周囲には化粧品が数個並んでいて、手にはマスカラが握られている。
店以外では"男"の恰好で過ごしているコウは、こうして出勤前にバックヤード化粧を施すのだ。
「すみませんっ、散らかしてて……。今片づけます!」
「ああ、俺は着替えるから平気。気にせず続けて」
空いたロッカーに荷物を置きながら告げると、コウは「は、はいっ!」と真剣な面持ちで鏡に向かう。
俺は流行りのレトロな花柄刺繍が施された半袖ワンピースを脱ぎ捨て、汗拭きシートでざっと全身を拭いてから、すっかり着慣れたメイド服へ袖を通した。
ニーハイソックスを履いて、靴も替える。髪を透いてから手鏡を取り出し、メイクの崩れをチェックした。
(……パウダーとチークだけで平気そうだな)
ポーチから取り出したプレストパウダーを開き、テカリのあるTゾーンに軽く重ね、次いでチークを携帯ブラシでふわりと足した。
(うん、よし)
鏡を手に前髪を指先で軽く直していると、隣にコウが立った。
ちらりと視線を遣ると、"店用"になったコウの顔。
どうやら化粧が終わったようだ。ポーチと鏡を黒いリュックにしまっている。
(俺もそろそろいいかな)
鏡を閉じて鞄に入れると、「あの……先輩」と遠慮がちな声。
「ん? どうした?」
見上げた先のコウが、へなりと弱々しく笑んで両手を身体前で合わせる。
「あの、ありがとうございました。……お店に来る前、ちーちゃんのところに行ってくれてたんですよね」
「ああ……知ってたのか」
「はい。ちーちゃんから昨日、連絡があって」
見に来てほしい、と指令を受けた俺は早速とアポを取り、今日の出勤前に千佳ちゃんのお店へ様子を見に行ってきた。
来店時間を告げていたからか、扉を開けると待ち構えていたかのように千佳ちゃんが飛び出してきて、
「やーっと来た! ホラっ! 早くコッチ来なさいよ!」
「えと、おはよう千佳ちゃん。受付処理は?」
「そんなの、とっくに終わってるに決まってるでしょ?」
うっかり寝坊して来なかった、なんて、微塵も考えなかったらしい。
業界の先輩としては注意すべきか悩んだけれど、"絶対に来る"という信頼がちょっと嬉しかったので、今回は目を瞑ることにした。
「ホラ、早く!」と急かす彼女に苦笑して、早足でその背を追う。
「……はい、アンタの席はココ!」
既にテーブルセットが済んでいる一席は、店内奥の角席だった。
千佳ちゃんは椅子を引きながら、
「ここなら店内がよく見えるでしょ」
なるほど、"のえるの接客を精査する"という、ちゃんと目的に沿った場所を選んでおいてくれたらしい。
ありがとう、と腰掛けると今度はメニュー表をパラパラとめくり、あるページを開いてから渡してくれてる。
おや、と思いながら受け取ったそこには、『Tea List』の文字。
「あんまり時間ないんでしょ?」
そうそう、こういうところだ。千佳ちゃんの持ち味は。
ぶっきらぼうのようで、キチンと考え、与えてくれる。
事前に昼からシフトが入っていると告げていたから、気遣ってくれたのだろう。
俺は礼を伝えてから、ホットのアッサムをミルク付きで注文した。それから、
「ごめん、サンドウィッチあるんだっけ? 朝ごはん食べて来てなくて……」
「ちょっと、そんなんじゃ体調崩すじゃない。これから仕事だってのに、ったく……。ホラ、ここが軽食のページ。サンドウィッチはこれだけど、それだけでいいの?」
「うん、休憩中に昼も食べれるから。じゃあ、それでお願いします」
「はいはい、承りました。すぐ準備するから、これでも見てて」
そう言って千佳ちゃんはオーダーを用紙に書き込むと、一冊のノートを置いて去った。
クラシックなデザインの表紙には、黒いマジックで『メイドへの言付け』と書かれている。
(言付け?)
開いてみて、俺の疑問は即座に払拭された。
様々な向きで書かれた、大小異なる筆跡の文字。中にはイラストもある。
どうやらこれは、お客様が自由に記入出来るメッセージノートのようだ。となると、次は『なぜ千佳ちゃんはこれを渡していったのか』を考えなくてはならない。
"見ていけ"と言ったのだから、書いてほしいという意図ではないだろう。
簡単に流し読みながら、ペラペラと捲っていく。
進むにつれて、新しい記載になっているようだ。
(…………あれ?)
異変を感じたのは、十数ページを捲ってから。
白紙の中に増えていく、"のえる"の文字。今度は似顔絵まで。
"のえる"とは千佳ちゃんのことだ。
……そうか。千佳ちゃんは、コレを俺に見せたかったのか。
「――はい、お待たせ。前あけて」
ティーセットとサンドウィッチを乗せた銀のトレーを手に、千佳ちゃんが見下ろしてくる。
俺がノートを退けると、サンドウィッチ、ティーセットと順に給士してくれた。手つきは相変わらず淀みない。
傾けたティーポットから注がれる紅茶も、立ち込める湯気と共に茶葉の香りが鼻孔で開き、水色も綺麗だ。
「……みたよ、コレ。ホントに人気者なんだ」
「……なによ。疑ってたの?」
差し出したノートを受け取った千佳ちゃんは、少しだけ唇を尖らせている。
怒っているのではなく、拗ねているらしい。
「ごめんごめん、そーゆーわけじゃなくて」
苦笑した俺は「いただきます」と手を合わせ、ティーカップへと指をかけた。
持ち上げ、少しだけ吹き冷ましてから、口をつける。
注がれる緊張の気配。一口を飲み込んでから「うん、美味しい」と告げると、千佳ちゃんの頬が嬉し気に和らいだ。
さて、ここまでは問題ない。むしろ、十分すぎるくらいだ。
だがこの給士は、あくまで"対俺用"だろう。そろそろ"のえる"としての給士を見たい。
時間もないし……事情を話して、他のお客様の所に行ってもらおうか。
そんな画策をしていると、「あ」と呟いた千佳ちゃんがクルリと背を向けた。
進んでいくのはサロンの入口付近。見れば二人組の男女が立っている。
カジュアルな服装で露出が多く、高校生か、大学生になったばかりくらいの印象だ。
たった今、入店してきたのだろう。他のメイドが受付に向かおうとしていたが、千佳ちゃんは彼女に会釈をして合図を送ると、代わりに二人の元へ歩を進めた。
と、向かってくる"のえる"の姿を見つけた途端、彼らは嬉し気に破顔した。
「あー、ホラ。いたじゃん、のえるちゃん」
「やったあー! あーやっぱちょうカワイイ! おはよ、のえるちゃんっ」
語尾にハートマークが付いたような調子で、お客の女の子が腰をかがめた。
千佳ちゃんは呆れたように双眸を細めると、腕を組んでため息を一つ。
「……おはよう、じゃないわよアンタ達。予約とってないでしょ?」
「んーそうなんだけど、まだ早い時間だから入れるっしょって思った」
「つうかー、のえるちゃんいなかったら、帰るつもりだったし」
ねー? と彼女が同意を求めるように振り返ると、男の子は「ホンそれ」と首肯する。
千佳ちゃんは「ハイハイ」と話を打ち切り、レジ横のメニュー表を抱えた。
「案内してあげるから、今日いた私に感謝しなさいよ」
「よっしゃー」
「わーい、のえるちゃん大好きー!」
沸き立つ二人を連れて、千佳ちゃんが席へと歩き出す。
うん、スムーズだ。おそらく選んだあの席は、予約客の入っていない席なのだろう。
おまけに俺の席から近すぎず遠すぎずで、観察にはもってこいだ。
二人が着席すると、メニュー表を開いて説明し、それから「お水持ってくるから、メニュー決めといて」と去っていく。
「はーい」といい返事を返す二人。
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