第97話カワイイ俺のカワイイ揺さぶり⑤
「上手くいったみたいだね」
「はい。まだまだこれからですけど、ひとまずは。……コウにも千佳ちゃんにも勝って欲しくて、複雑です」
箸を取り、食事を再開しながら吐露すると、カイさんは「そうだね」と笑みを浮かべた後に、
「……ユウちゃん、すごく楽しそう」
髪を耳にかけながらの、ポツリとした呟き。
え? と凝視した俺に気づくと、カイさんはニコリといつもの柔和な笑みを浮かべ、
「ユウちゃんが後悔しない結果になってくれれば、いいな」
なんだろう。何処にも不自然は見当たらないのに、微かな違和感が俺の双眸を縫い留める。
どんなに見つめてもやっぱりわからなくて、それどころかカイさんが「ん? どうかした? あ、一口いる?」と満面の笑みで小首を傾げるもんだから、その破壊力に俺の思考はすっかり吹き飛ばされてしまった。
(……情けない)
思春期なぞ、とうの昔にすっかり終えたというのに、二十歳を超えてまで"間接キス"じゃないかと狼狽える羽目になるとは。
丁重に断りをいれたものの、心のどこかで「せっかくのチャンスだったのに」と落胆する俺もいる。
クスクス笑うカイさんは、いったい何を考えいるのか。……謎だ。
初めから断るだろうと踏んでの、"からかい"だったのか。もし俺が「ください」と言ったら、「うん、いいよ」とくれたのか。
……やっぱり、謎だ。
日が暮れ、夕食時になると、穏やかだった店内は飲食店らしい活気に満ちてきた。
人が増えれば、目も増える。両隣どころか近場に座る女性客達の素直な視線は、チラチラとわかりやすくカイさんを捉えていた。
けれどもすっかり慣れっこの俺達は、たいして気にすることなくデザートまで平らげる。
他の目が向くと心持ち気合の入るカイさんが、今日はどことなく自然体だったのは、ここが仕事場である秋葉原じゃないからだろう。
カイさんは砂糖とミルクがたっぷりのコーヒーを、俺はアイスティーを。互いにゆっくりと流し込みながら、デザートの感想とか、拓さんが寂しがってるとか、とりとめもない会話を紡いでいく。
一組、また一組と去っていく客。
「……そろそろ行きましょうか」と促したのは俺で、店内にかかる時計を確認したカイさんは「……そうだね」と寂しそうに口元だけで笑みを浮かべた。
デートの代金は交互に持つのが、俺達のルールだ。
今日はカイさんの日で、会計を待つあいだ俺は店外に出た。
日中より少なくなった蝉の声。しっとりとした夜風が、冷めていた身体に熱を移す。
「お待たせ」
「いえ、ご馳走様でした。……帰り、こっちから行きません?」
来た道とは異なる、東京ドームへと続く道を指さすと、カイさんは「うん、いいよ」と俺の横に並んだ。
トンネルのような薄暗い通路を進む。
施設を抜けると、頭上を走るコースターのレールが現れた。さらに進むと視界が開けて、薄明りを放つ東京ドームが出迎える。
その左側へと目を遣ると、透明なピラミッド型のオブジェが、いくつもの光を閉じこめて輝いている。
「わあ……」
カイさんが口元を綻ばせる。
光輝くピラミッドの先には、下るように大階段がある。その階段を左右に分かつようにして、中央には川のような水場があるのだが、水面に点々と並んだ小型のライトによって、流れる水面が幻想的な光を携えていた。
煽情的な赤紫に、幽玄な黄緑。次は清涼な青と、たおやかに次々と色を変えていく。
「綺麗だね」
近寄り、うれしそうに笑む彼女に、俺は「本当ですね」と満足げに首肯した。
いうまでもないが、これは偶然などではない。
この時期はこうした特別なライトアップがあるのだと知った俺は、帰りに寄ろうと決めていたのだ。
そしてあわよくば――。
「……"なつき"さん」
呼んだ名に、彼女が勢いよく振り返った。
その双眸には不意打ちの驚愕が宿っていて、俺は脳裏で「よっしゃ」と掠める。
動揺に揺らぐ二つの眼。
俺は真っすぐに見つめ返しながら一歩を進め、彼女の腕をとると、少し背伸びをしながらその距離を詰めていく――計画だった。
実際には、見つめ返しただけ。その途端に、
「あ……えと」
らしくなく視線をさ迷わせた彼女の頬が、暗がりでもわかる程に一気に色づいた。
水面から溢れる、人工的な光源ではない。
それが羞恥だと悟ったのは、彼女が自身の顔を隠すようにして、口元に手を遣ったからだ。
硬直する俺から視線を逃がし、しどろもどろ、
「……ごめん。"そっち"で呼ばれるのは久しぶりだから、ビックリして。……えと、ゆうま……くん?」
恥ずかしそうに、でも甘い声で。俺の名を舌に乗せた彼女が、はにかみながら小首を傾げる。
無理。こんなの全然、無理だ。
視界も鼓膜も、心臓まで奪われて、計画の実行など出来る筈がない。
「あ……"ゆうちゃん"で、大丈夫です」
そこかよ!? と突っ込んだのは紛れもなく自分自身。
当然ながら胸中での出来事で、反応豊かなそちらとは正反対に、俺の顔面は見事に色々と抜け落ちているだろう。
それでも彼女は「うん」と頬をほころばせ、
「あっ、話。止めちゃってごめんね。何かな?」
俺の話を聞こうとして、少しだけ身をかがめてくれる。
(…………あーー)
わかってる。願ってもないチャンスだ。
それこそ一歩踏み込んでしまえば、簡単に"奪える"だろう。
でも、無理なものは無理。
時成あたりに"ヘタレ"と笑われそうだが、それでも今は、無理なんだ。
告白が"ああ"だったから、記念すべきファーストキスくらいは、スマートにカッコよく決めたい。
だというのに、こんなに心臓が馬鹿みたいに煩くては、到底理想は叶わないだろう。
「…………手、つないでもいいですか」
まるで初めから、そう言いたかったかのように。俺は瞼を伏せて、右手を差し出した。
数秒の沈黙の後、「……よろこんで」という柔らかな了承と共に、温かな重みがかさなる。
――ああ、やっぱり好きだな。
瞼を上げながら、そっと滑らせた指先。
彼女も意図を察したようで、俺達は自然と互いの指先を絡めた。
「……綺麗だね」
「……はい、すごく」
握り合わせた掌の、僅かな隙間にこもる熱。
しっとりと汗ばむ感覚すらたまらなく胸を締め付けて、なんだか無性に切なくなる。
そっと隣を盗み見ると、変わりゆく色に包まれる綺麗なひと。
甘くほどけた瞳が光を拾って、キラキラと瞬いている。
(……すき、だ)
もっと触れたい、もっと知りたい、もっと大切にしたい。
欲望はこんなにも明確なのに、どうして何一つ、上手くいかないのだろう。
……ずっと、こうしていられたら。
そんな子供じみた独占欲を飲み込みながら、俺は彼女と同じ景色を瞳に刻み続けた。
水面を映していた涼やかな双眸が、俺を映して悲し気な影を落としていたことなど、微塵も気付かずに。
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