第96話カワイイ俺のカワイイ揺さぶり④

 それから俺達はいつもの手順にのっとり、互いに簡単な近況報告をした。

 カイさんは拓さんのことを中心に、俺はコウと、千佳ちゃんの事を。

 千佳ちゃんの複雑な恋心は、あえて伏せたままだ。

 カイさんが千佳ちゃんと会う事はないだろうが……。あの時、俺と俊哉にだけ教えてくれた彼女の意思を、大切にしたかったから。


 というか。俺には正直勝負の件よりも、探っておかなければならない案件がある。

 さて、どう切り出したものか……。


 そう待たずして、カイさんには豆乳鍋定食、俺には生姜焼き定食が運ばれてきた。

 互いに「いただきます」と合わせた手を、箸に移す。その時だった。


「そうだ。トシキさん、お店に来た?」


 カイさんから発された、些細な話題のひとつ。

 ――まさか、カイさんから振ってくるとは。。

 微かな動揺は自然な笑みで隠して、「はい、二日前に」と首肯した。


「彼、凄く変わってたでしょ?」


 穏やかな表情で尋ねるカイさんは、トシキさんの真の目的にまだ気づいていないようだ。

 ……以前、早織さんがカイさんは"そーいった気配"には敏感だと言っていたけれど。

 俺の件といい、相手が男性となると、勝手が違うのだろうか。


「めちゃくちゃ驚きましたよ。最初、誰だかわからなかったですもん」

「どう? かっこよかった?」


 ……それを、俺に聞くのか。


「……かっこよかったですよ。さすがはカイさんの見立てです」


 いくら本人が気づいてないとはいえ、恋人の前で恋敵を称賛するのはなんとも微妙な心境だ。

 そんな葛藤に微笑んだ筈の頬が微かに強張ってしまったが、カイさんには分からなかったようで、「よかった」と目を伏せた。


「トシキさんがね、『ユウちゃんを驚かせてみたい』って」

「え? ……俺、ですか?」

「うん、そう。それで思い付いたのが、大胆なイメージチェンジみたい。その協力をしてくれって依頼だったから、トシキさんがユウちゃんに会うまでは黙ってないとでしょ? ずっと結果が気になってたんだけど、上手くいったみたいでよかった」

「…………」


 つまり俺は、体のいい口実に使われたってことか。

 トシキさんが本当に驚かせたかったのは俺ではなく、カイさんだ。意中の相手の好みを知り、そう変わる為に、直接本人と街に出て選んでもらったのだろう。

 つまりトシキさんはカイさんに好かれようと、今まで貫いてきた自分のスタイルを捨てたのだ。


(……凄いな)


 今、使える全てを賭ける。

 なんとも情熱的で、実直な想い。

 素直に"凄い"と思う一方で、喉奥が鈍い重力を溜め込む。

 ……気持ち悪い。張り付く不快感を少しでも拭おうと、冷水に手を伸ばした。と、


 ピコン。


 控えめながらもハッキリとした電子音。

 え、と思うと同時に、再びピコンと鳴り呼ぶ。

 聞き覚えのある……メッセージを受信した音だ。


「私のじゃないから、ユウちゃんじゃないかな」


 視線を巡らせた俺に、カイさんが諭すように笑む。

 デートの時はいつもマナーモードにしているのだが、緊張ですっかり抜け落ちていたらしい。

 慌てて「すみません」と鞄を探り、スマホを取り出した。

 その瞬間を待っていたかのように、再びピコンと受信音。画面に表示されたポップアップの差出人は――。


「……千佳ちゃん?」


 珍しい。連絡をするのはいつも俺からで、その返信でもなく千佳ちゃんから送られてきたのは、これが初めてだ。

 慌ててメッセージを開くと、その瞬間にも新たなメッセージが画面に浮かんだ。

 送られてきたのは上から順に、『ちょっと』『きいて』『信じられない』『まだ数日なのに』そして新たに、


『今日、五人もチェキの指名くれたの』

『今までで最多記録!』


「さ……!?」


 興奮に漏れ出た声を、とっさに片手で塞ぐ。

 対面のカイさんが、「大丈夫?」と心配そうに眉根を寄せた。


「あっ、えと、大丈夫です……っ!」


 言う俺は興奮に飲まれていて、ちっともそうは見えないだろう。

 不思議そうな眼に説明せねばと、俺は必死に単語を紡ぐ。


「さっき話した、千佳ちゃんからで。チェキの指名数が、今まで一番多かったみたいで……っ!」


 スマホを握る手のひらが熱い。

 先ほどまで充満していた胸中の靄なんて、あっという間に吹っ飛んでしまった。

 俺はきっと同じような心地でいるであろう、スマホの向こう側の彼女を思い浮かべながら、


「……千佳ちゃんからしたら、かなり勇気のいる決断だったと思うんです」


 あの時、アドバイスを受けると決めてくれたのは、俺の口車に乗せられたからだろう。

 家に帰って冷静になってから、本当に俺を信じて実践するか、たくさん悩んだ筈だ。

 それでも、彼女は踏み出してくれた。信じてくれたのだ、俺を。

 事情を知らない他のスタッフに、お客様に、本当に受け入れてもらえるか、怖かっただろうに。


「……よかった」


 自信はあった。千佳ちゃんが実践してくれれば、結果は出ると確信していた。

 それでもこうして、こんなにも早く、目に見える形で結果が出てくれたことに、心から安堵している。

 霜柱が朝日に溶け行くような、じんわりとした温かさが胸中を占めていく。

 その感動を指に乗せ、文字を打とうとした所で、俺ははたと気が付いた。

 今は、カイさんと"デート"中だ。

 しまった、と顔を跳ね上げると、目の合ったカイさんは苦笑気味に、


「いいよ、返してあげて。きっと彼女も、待ってるだろうから」


 そう言って、綺麗な仕草で箸を進める。

 俺に気を使わせまいとした、配慮だろう。大人だ。そしてやっぱり、優しい。

 流石だ……と脳内で悶絶しながら「ありがとうございます」と告げた俺は、素早く千佳ちゃんへメッセージを送った。

 あめでとう。よかった。でもまだ、気は抜けないよ。

 すると即座に既読が付き、『わかってる』と返ってくる。


『こんなマグレで満足してない』


 真面目で貪欲な向上心。

 そうこなくっちゃ。つい、口角が上がる。


『今度見に来なさいよ』


(……今のやり方で問題ないか、確認してほしいって事か)


 短い指示の意図を瞬時に翻訳した俺は、「うん、わかった」と了承を返す。

 いったん、ここまででいいだろう。

 一区切りの気配に、俺は「ありがとうございました」とスマホを鞄に戻した。

 勿論、今度はしっかりマナーモードに設定済みで。

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