第94話カワイイ俺のカワイイ揺さぶり②
お盆に乗せてきた空のグラスを洗い場に置きながら、時成が嘆息する。
「違うって判断するならするで、それなりの根拠がないとー。どーして先輩は自分のコトになると、途端に詰めが甘くなっちゃうんですかねー」
「……そんなつもりはないけど」
「よっく言いますよー! ホントはわかってるくせにー。そーやって自分にも嘘ばっかりついて、終わってから後悔したって遅いんですからねー!」
時成はベーっと舌を出すと、俺が面食らっている間にさっさとフロアへ戻ってしまった。
……なんか、いつもより辛辣じゃないか? 虫の居所が悪かったんだろうか。
入れ違いのようにして、今度はコウがやってきた。
時成を呼び止めようとしていた体制のまま固まっている俺をみて、「ど、どうかしましたか!?」と焦燥を浮かべる。
「あ、いや、なんでもない。平気だから」
「……あの、先輩」
コウは突然、かしこまった様子で、
「おれの……せいですよね」
「へ? いや、ちが――」
「いいんですっ! 気を使わないでください! 先輩も、あいら先輩も優しいから……ほんと、ご迷惑をおかけしてて……。わかってるんです。おれが辞めてちーちゃんのトコに行けば、全部丸く収まるって」
「ちょ、ちょっと待てコウ」
まてまて。とんだ被害妄想だ。
「あいらの機嫌が悪いのは、俺のせいっていうか……いや俺もちょっと納得いかないけど。とにかく、お前の事じゃないから」
「……そ、なんですか?」
「うん。誓って違う。あー……その、元凶は詳しく言えないんだけどさ」
こんな曖昧な釈明で、信じるどころかこれっぽっちも疑惑が晴れないだろうってことぐらい、わかってる。
それでもコウに言えるのは、ここまでだ。
申し訳なさと不甲斐なさに頬を掻きながら様子を伺うと、コウはへにょりと笑って、
「おれ、早とちりしてたみたいで、すみません。……あの、おれに出来ることがあったらなんでも言って下さい。何でもしますので……っ!」
両手で拳を握り、意気込んでみせるコウ。
ああ本当、陽光のような素直さが心のヒビに染みる。沁みすぎて、うっかり涙が出てきそうだ。
ありがとな、と返した俺に満足したのか、コウは嬉しげに破顔すると、本来の目的だったらしいメニュー表を一冊手にして、フロアへと戻っていった。
いい子か。いい子だな。俺に将来息子が出来たら、あんな風に育ってほしい。
コウを生み育ててくれたご両親への感謝を胸中で述べ、ナイスタイミングでキッチンから出てきたカレープレートをお盆に乗せる。
お陰で大分立て直せた。俺はしっかり"ユウ"の顔をつくって、トシキさんの元へと向かう。
道中、他席のお客様に愛想を振りまく余裕すらあった。
……その時が来るまでは。
「お待たせしました、トシキさん。カレープレートです」
「ありがと! うーんスパイスのいいニオイ!」
お腹ペコペコだよー! と自身の腹部をさすったトシキさんは、俺が皿を置く間にグイっと水を呷った。
残り僅かになったグラスが、コンと机上を鳴らす。
……これは、おかわりが必要だな。そう考えながらスプーンを受け渡すと、トシキさんはウキウキと先端に巻かれた紙ナプキンを解いて、「いただきます」と手を合わせた。
あむりと大きな一口を咀嚼して、「うん、うまい!」と満足げに笑む。
が、次の一口分をすくった途端、ハッとしたように「あ、いや……」と微妙な顔で苦笑した。
ん? なんだ?
「どうかしましたか?」
トシキさんはしどろもどろに、
「あー……いや、えっと……。カレーが好きって、あんまりカッコよくないよなーって」
と、トシキさんは思案顔で、
「……カイくんがカレーを食べてるトコって、想像出来ないなー」
「っ」
どうしてここで、カイさんが出てくるんだ。
息を詰めた俺には気づかず、トシキさんは「カイくんならさあ」と続ける。
「もっとお洒落な感じの食べ物のが似合うってか……ああでも、カレー屋に連れて行けば笑顔で食べてくれるだろうけど。カッコいいんだろーなー、カレー食べるのも! もっとこう、スマート? っていうか。ナンちぎってるのとか、最早インドの王族って感じになりそうだよね!」
同意を求めるように向けられた、満面の笑み。
無邪気ともとれるトシキさんの空想に、俺はなんとか口角を上げて「そうですね」と頷いた。
……大丈夫だろうか。この顔は、ちゃんと微笑んでいるだろうか。
冷え切った心臓が神経を凍らせて、筋肉がちゃんと動いていない気がする。
ただの映像と化した視界が、他所事のように網膜を滑っていく最中。
額にあたる送風機のそよ風だけを鈍い感覚で享受していると、もう一口を咀嚼したトシキさんのボンヤリとした声が鼓膜をついた。
「……カイくんって、フリーなのかなあ」
――俺がいる!
そう、胸中で叫んだ刹那、
「あ、いたいた先輩ー! さがしましたよーう! あ、トシキさんちょっと先輩かりますねー」
俺を回収してくれたのは、可愛く優秀な後輩様である時成で、腕を引きながら半ば強引に俺をバックヤードに押し込むと、
「もーダメです先輩。全然ダメダメなんで、休憩行ってきてくださいーっ!」
バタン、と閉じられた扉が音を立てる。
俺は呆然としながらも、時成の言葉を脳裏でなぞった。
……ダメ、というのは、接客すべき表情を忘れた"ユウ"のことだろうか。
それとも、咄嗟の衝動に暴露しそうになった、"俺"のことだろうか。
「……どっちもだな」
徐々に思考が冷え、自身の失態が明瞭になってくる。途端にやるせなさが襲ってきて、俺は倒れこむようにして椅子に腰を下ろした。
机に腕を伸ばし、上半身を預ける。化粧が崩れないよう、顔はしっかり横を向かせた。
いま、俺を飲み込むこの感情は、一体なんなのだろう。
危機感、嫉妬、落胆、焦燥。どれもハズレで、どれも正解な気がする。
とにかくこの、泥を胃に詰め込まれたような不快感から逃げたくて、のろのろと立ち上がった俺は縋るような心地で自身の荷物置きへと向かい、鞄を漁った。
スマホを取り出す。カイさんとのメッセージを流し見るつもりだったが、画面の電源を入れた途端、新たなメッセージの受信を告げてきた。
差出人は、カイさん。
たしか今日は一日、エスコートの予約が入っていた筈だ。忙しい合間を縫って、返信してくれたのだろう。
タイミングがタイミングで、なんだか泣き出しそうになるのを必死に堪え、メッセージを開く。
『おつかれさま。今日は拓さんと一緒でね、あの小説、ちゃんと読んでるのかってテストされたよ』
柔らかい声と共に、クスクスと笑む彼女が浮かぶ。
空想の彼女に癒されながら次のメッセージに移ると、定期的に教えてくれる、彼女が読み進めたぶんの内容が記されていた。
どうやら例の生徒会長くんは、思わぬライバルの出現に四苦八苦しているらしい。
とてつもない親近感。まるで今の俺みたいだ。
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