第92話カワイイ俺のカワイイ弟子取り④
とりあえず座りなよ、と促した俺は、千佳ちゃんの希望を聞いてから、目の前の自動販売機へ向かう。
注文されたレモンティーの冷えた缶を手に戻り、彼女の隣へ腰掛けた。渡すと、千佳ちゃんがプルを開け、喉を潤す。
夕暮れとはいえ、長居は遠慮したい暑さだ。俺は単刀直入に切り出す。
「千佳ちゃん。この勝負、今のままだと負けるよ」
「……なんで言い切れるのよ」
「コウには俺や俊哉だけじゃなくて、他にも協力者がいる。対して千佳ちゃんは一人だ」
「……たった三人そこらの協力者がちょっと"応援"したところで、簡単に人気ランキングが上がるわけじゃ」
「違うよ。コウは"客観的"な意見を貰って、改善して、活かすコトが出来る。だから確実に実績に繋がっていく。手探りで試していくしかない千佳ちゃんとは、大きな差がつくよ。おまけにこの勝負は、短期戦だ。それとまあ、なによりも……」
人差し指を添えた唇を、ゆっくりと釣り上げる。
「僕がついていて、負けるワケがないでしょ?」
百聞は一見にしかず。語るより雄弁だろうと"ユウ"の顔で微笑んでみせれば、案外素直な千佳ちゃんは不意打ちを食らったように、目を見張って静止した。
だがすぐにハッとして、「……ふん」と視線を逸らす。
反論は飛んでこない。当然だ。だって俺は文句なしに、可愛いから。
実力で納得させたところで、俺は話を続ける。
「……本当にさ、コウには勝ってほしいと思ってるんだよ。大事な後輩だし、コウ自身もウチの店を好いてくれてるみたいだし。でも、さっき千佳ちゃんの話を聞いて、千佳ちゃんを助けてあげたいって思ったんだ」
「……なにソレ、矛盾してる」
「そうなんだよ。でも思っちゃったんだから、仕方ないだろ。コウにも事情は伝えてある。あとは千佳ちゃんさえよければ、勝負が終わるまでの残り三週間、アドバイザーとしてサポートさせてほしい」
千佳ちゃんの視線が下がる。どうやら思案するだけの価値はあるらしい。
彼女は数秒の逡巡を挟んで、
「……コウの方はどうすんの」
「勿論、コウも今まで通りサポートするよ。さっき言った通り、コウにも勝って欲しいから」
「……わかったわよ」
千佳ちゃんは小さな声で「それなら、お願いする」と呟いた。それから迷いの残り香を断ち切るように、ぐっとレモンティーを仰いだ。
ゴクリと大きく鳴る喉。ふう、と息をついた千佳ちゃんの目に、もう、迷いはない。
――強い子だ。いや、コウへの気持ちが、強くあらせているのだろうか。
"好き"という気持ちは、時折、潔いほどの強さを生む。
俺だって何度も経験していた筈なのに、なぜだか、今の俺にはその感覚が思い出せない。
「ちょっと、返事はしたでしょ。やるって言ったのはソッチなんだから、さっさとアドバイスしなさいよ」
うっかり思考の淀みにはまっていた俺を、千佳ちゃんが急かす。
向けられた双眸には、口調とは裏腹にどこか心配そうだ。
やっぱり、思っていた通り。彼女は口が悪いだけで、本当はとても優しい子だ。
「ああ、うん。そうだね」
何でもないと笑ってみせた俺は咳払いをして、「んじゃ言わせてもらうけど」と思考を"オン"モードに切り替えた。
「まず、"のえる"のキャラ付けな。見た感じでは"ご主人様に一生懸命仕える、妹系のメイドさん"ってトコだと思うんだけど、合ってる?」
千佳ちゃんはちょっと驚いたような顔をしてから、
「……その通りよ」
「それ、変えよう。悪くないけど、それだけじゃありきたりで、"のえる"の武器にはならない」
「……どうしろって言うのよ」
怪訝そうに、千佳ちゃんが腕を組む。
すかさず俺は彼女の腕を指差し、
「それだよ。"生意気で高圧的。でも接客は献身的で、時々デレる"。いつもの千佳ちゃんみたいな感じにしよう」
「……私のコト、生意気だって思ってたのね」
「あ、ごめん」
つい、と口をおさえた俺に、
「いいけど。否定する気はないし。それより……そんな接客して平気なの? 今日来てわかったと思うけど、ウチの店にいるメイドは皆、お店の雰囲気に合った物静かな感じよ? ランキングで上位を占めてる先輩達も、大人っぽい人ばっかり。それなのに……」
「だからこそ、だって。既に確立した人気の人達がいるのに、同じ傾向で勝負するなんて効率が悪いだろ。だから、新しい方向から攻める。大丈夫だって。俺もこっちの仕事はそこそこ長いけど、"そーゆーキャラ"が好きな人って、案外多いもんだよ」
「……」
レモンティー缶を両手で包んで、考え込む千佳ちゃん。
揺らいでいるのを横目に見つつ、俺は「ただし」と続ける。
「簡単なようで結構難しいよ、このキャラ。所謂"ツン"と"デレ"の塩梅が大事だし、その加減はお客様をよく見て、一人一人調整しないといけない。"ツン"がただの暴言になってもいけないしね。……けど、千佳ちゃんなら出来ると思うんだ。方向性は違うけど、今日だってそういう"相手"をよく見た、細やかな接客をしてたから」
凄いよ、と笑みを向けると、千佳ちゃんは「……そ」とソッポを向いた。
頬の赤みは夕陽の反射ではない。照れているのだろう。
俺は彼女にバレないよう小さく笑って、「だから、大丈夫。俺を信じてみてよ」と続けた。
千佳ちゃんは探るような眼で俺をじっと見て、それから大きく肩を上下した。
「……そこまで言うなら、やってみるわよ。上手く行かなかったら、アンタのせいだからね!」
鋭く睨めつける双眸に「うん、わかってるって」と頷くと、千佳ちゃんは腹を括ったような顔で前を向き、再びレモンティーを傾けた。
じっくり味わってからポソリと、
「……ちょっとだけ、安心した。アンタみたいな人のいるトコなら、きっとコウは、泣かないだろうから」
「…………」
本当に。本当に、大好きなのだろう。こうした何気ない言葉の端々に、彼女の抱えた想いが滲んでいる。
……だからこそ、わからない。
俺は少しだけ迷ってから、「……ねえ、千佳ちゃん」と切り出した。
「……どうしてコウに、"好き"だって言わないの? その、"幼馴染"って関係を壊したくないから?」
千佳ちゃんは一度、嫌そうな視線を向けたが、俺の顔をみると仕方なそうに息をついて、「……それもあるけど」と空を見上げた。
「コウには大切な人がいるの。その人のコト、幸せにしなきゃって思ってる。私のコトなんて眼中にないって、わかってるの。……だから、言わない。言っても無駄だし、知ったらコウは、絶対に困るから」
「それ、じゃあ……好きでいても、千佳ちゃんが辛いだけじゃ」
「そうね。でも、いいの。私はそうやって、目標に向かって頑張ってるコウが好きだし、報われて欲しいって思ってる。昔から、今もずっと。……コウが傷つかないようにって、守ろうとするのは私の勝手。好きでいるのも私の勝手。私の心ひとつで、いつでもやめられるし、理屈だけじゃやめられない。……"好き"って、そういうモノでしょ?」
酷く澄んだ、純真な瞳が俺を突き刺す。
そうだ。理屈じゃない。カイさんの"特別"を求めていた俺も、しょっちゅう感情が暴走していた。
……でも、今は?
何故か後ろめたさを感じた俺は、視線を路地に逃がし、
「……それ、なら」
……"感情"よりも"理屈"が勝るようになった恋は、一体、なんなのだろう。
「いや、ごめん。なんでもない」
胸中の蟠りを、取り繕った笑みで隠す。
「聞きたいことあったら、いつでも連絡して」
立ち上がり、終了を示すと、千佳ちゃんは二度ほど瞬いてからレモンティーの缶を掲げ、軽く振った。
「……そうね。せーぜー利用させてもらうわよ」
立ち上がった千佳ちゃんの向こう側で、眩いオレンジ色の夕陽が傾いていく。
――心ひとつで、いつでもやめられる。
ひとり駅の喧騒に紛れた後も、その言葉が耳奥にこびり付いていた。
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