第91話カワイイ俺のカワイイ弟子取り③

 口にした途端、千佳ちゃんを俺をキッと睨みつけ、


「そんなワケないでしょ! 勝つのは私よ。……絶対、私が勝たなきゃ駄目なの」

「……」


 なんでそんなに、思い詰めた顔をするのだろう。

 当惑する俺とは対照的に、向かいの俊哉が柔らかく瞳を緩めた。


「千佳ちゃんは、本当にコウくんが好きなんだね」

「っ」


 好き。その言葉に、思わず息を飲み込む。

 ハッとしたような顔をした千佳ちゃんは、「あ、ごめん、のえるちゃんだったね」と謝る俊哉に、「……別に」と瞳を伏せた。


 今度は迷ったような顔をする。

 が、きゅっと下唇を噛むと、「……紅茶、注ぐから」と白磁のティーポットを持ち上げ、ティーカップに傾けた。


 こぽこぽと鳴る水面から、ゆっくりと立ち上がった湯気を見つめるその瞳には、強い決意と、微かな憂い。

 ポットが再び机上に置かれたと同時に、ナチュラルピンクの小さい唇が、秘め事を零すように動いた。


「……好きよ。ずっと、ずっと好きだし、これからも好き。でもコウにとって私はずっとただの"幼馴染"で、これからもそう。絶対に私を見てくれるコトなんてない。……だから、付きまとってやるの。これは単なる、嫌がらせ」

「なっ」


 そんな理由で、と口にする前に、俊哉が首を傾げ、


「どうして嘘をつくの? あ、もしかして俺達がコウくんに言うと思った? 大丈夫。言わないよ」

「っ」


 明らかに狼狽する千佳ちゃん。

 というコトは、図星なのか……?

 どういうことだ。そんな目で見遣った俺に、俊哉は困ったように笑った。


「千……じゃない、のえるちゃんはさ、コウくんを守る為に、勝たなきゃって思ってるんだよね?」

「守る為? なにから?」

「それは俺にもわからないかな……。何から?」


 俊哉から唐突にパスを受けた千佳ちゃんは、そのあまりの自然さにキョトンとしていたが、数秒してぷっと吹き出した。


「ほんっとアンタ達って、人の事情に土足でズカズカと入ってくるわよね」

「え? あ、ごめん。言いたくない事情だったら全然――」

「いーわよ。なんかもう、面倒くさくなってきた」


 千佳ちゃんはハア、と大きな溜息をつくと、片手を腰に当てた。


「コウは凛子さん……コウの"お母さん"に、あの店で働いてるのは隠してるって言ってたでしょ。ううん、それだけじゃない。コウは"まだ"、自分の『本当に好きなモノ』だって隠してるのよ。けどほら、コウって嘘つけないタイプでしょ? 隠してるって言ったって、どうせ下手くそだろーし。だからせめて、あんたの店の件だけでも、バレる前に"安全"な所へ逃しておかなきゃ」

「……その"安全な所"が、ここ?」

「そう。信頼度100%の"私"がいる、この店よ」


 つまり千佳ちゃんは、お母さんに嘘をついているコウを守ろうと、躍起になっているということか。言葉通り、コウを"守る"ために。自分が悪役になってまで。

 少しずつ雲が薄れて、隠されていた"ホントウ"が顔を出す。

 この感覚には覚えがある。懐かしい。

 そして話してくれる彼女からも、"懐かしい"、恋の香りがする。


「さ、もういいでしょ。それ食べたら大人しく出てって。あ、わかってると思うけど、今話したコトはぜえーったい! コウには内緒だからね!」


 ビシリと人差し指を俺達に向けて箝口令≪かんこうれい≫を敷いた千佳ちゃんに、「うん、約束ね。じゃあ、いただきます」と手を合わせて俊哉が笑む。

 同意を示して俺も頷くと、千佳ちゃんは納得したのか、小さく息をついて踵を返していった。


 他のテーブルで愛想よく"仕事"を初めた千佳ちゃんをこっそり見遣りながら、ティーカップを持ち上げ、淹れてもらったダージリンを一口。

 うん、美味い。緑茶に似た水々しい若葉の香りが、ふわっと鼻を抜けいていく。

 さっぱりしていて、飲みやすい。


 向かいではフルーツサンドを咀嚼した俊哉が、「わっ、ふわっふわー」と花を飛ばしている。

 カップをソーサーに戻し、フォークを手に取った。

 ピンク色をしたムースの中央には、絞られた白いクリーム。その上に座するハート型にカットされた苺もまた、上品ながらも愛らしい。


 これ、いいな。

 そんなことを考えながら、一口分を口内へと運んだ。程よい冷たさの甘酸っぱいクリームが、土台のスポンジ生地と溶け合って、じわりと溶けていく。

 ……美味しい。


「……なあ、俊哉」


 ボンヤリと、だが徐々に形になりつつある熱を胸に呼びかけると、俊哉は次のフルーツサンドを手にして、


「うーん、それはコウくんに聞いてみないとかなー」

「……お前、なんでわかった?」

「だって、幼馴染だし」


 苦笑する割に、妙な説得力がある。

 とはいえ、幼馴染だからといって、全てがわかるワケではないだろうに。

 現に、千佳ちゃんとコウは、"幼馴染"なのにすれ違い続けている。


 千佳ちゃんの、献身的ともとれるコウに向けた想いは、本人に全く伝わっていない。

 彼女はその事実を知った上で、それでいいと思っている。


 勿体無い。ほんの欠片でも伝われば、違う道が開けてくるだろうに。

 胸に過ぎった侘しさに、薄く息を吐き出す、それから腹を決めて、スマフォを取り出した。

 送信先はコウ。要件を打ち込み、送信。無事表示された自身のメッセージを再度確認してから、机上へ伏せ置いた。

 ……あとは二人次第、だな。


「悠真は本当に優しいよね」

「は?」


 呼ばれた名と内容に声が低くなる。

 文句を言ってやろうと顔を上げた俺は、「でもさ」とアイスティーのグラスを手にした俊哉の表情に、言葉を飲み込んだ。

 過去の記憶に思いを馳せているのか、伏せられた瞳には、どことなく憂いが潜んでいる。


「優しいって、誰かを救えるだけじゃないよね。一歩間違えば、相手を傷つけるコトもある。まあ、俺も最近気づいたんだけど」


 見えない感情を乗せた双眸が、訴えるように俺を写した。


「悠真はそうならないようにね」


 戸惑う俺の脳裏には、何故か、後ろ姿で佇むカイさんの姿が浮かんでいた。


***


 空を伸びていくオレンジ色の夕暮れ。

 まだ昼を残した青の気配が濃く、ほんの数時間後には夜が覆うというのに、気分は高揚したままだ。

 俺が座っているのは、駅に近い商業施設横のベンチ。以前、カイさんとシュークリームを食べた、あの穴場スポットだ。


 視線を空から手元に移して、握り締めていたスマフォを確認する。

 来るとしたら、そろそろだろう。が、連絡はない。

 まあ、選ぶのはあちらだ。あと三十分したら帰ろうと決めて、再び空を仰ぎ見る。


「……どーゆーつもり」


 呆れたような、探るような。

 好意とは異なる感情を乗せた待ち人の声に、視線を上げた。


「来てくれたんだ、千佳ちゃん」

「……あんなメール来たら、気になるに決まってるでしょ」


 あの時。俺はコウに俺の想いを伝え、許可してくれるのなら千佳ちゃんのアドレスを教えて欲しい、とメッセージを送った。

 するとコウは同意を示し、『よろしくお願いします』とメッセージを添えて、教えてくれたのだ。


 俺はそのアドレスを使い、千佳ちゃんに『本気で勝負に勝ちたいのなら、協力する』とメールを送った。

 俺の手を借りるつもりが少しでもあるのなら、仕事終わりにこの場所へ来てほしい、と。

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