第88話カワイイ俺のカワイイ襲来③


「とりあえず座れよ。流石に目立つ」


 促してやれば、千佳ちゃんは静かに端に寄り、コウはその空けられたスペースに腰を下ろした。

「コウくん、ドリンク以外もいる?」と俊哉。

 コウが「いっ、いえ……」と首を振ったのを確認して、追加注文をしてくれた。


 さあ、役者は揃った。

 ひとまずコウにドリンクを取りにいかせる。その間、千佳ちゃんは難しい顔でストローに口をつけていた。

 と、これからって時に、俺のスマフォが受信を告げた。膝上でロックを開くと、画面には時成からのメッセージ。


『コウをお願いします』


 言われずとも。

 席に戻ってきたコウは、「すっ、すみません、先輩。俊哉さんも……」と薄い肩を縮めて頭を下げた。

 俺はグラスを置いて、「コウ」と呼びかける。


「お前、千佳ちゃんトコで働く約束だったんだって? ウチにくるならくるで、ちゃんと断りをいれないと――」

「ちっ、違います! それは、ちーちゃんが勝手に……っ! おれは、あの店に行くなんて一度も」

「なによ!? ウチの店に文句があるって言うの!?」

「そうじゃないよっ。でも、おれは……」


 コウが視線を落とす。

 千佳ちゃんは何かを言いかけたが、飲み込んで、苦々しそうに、


「……凛子さんには、なんて言ってるのよ」


 凛子さん?

 疑問に顔を見合わせた俺と俊哉に気づいたコウが、「あ、おれの、"かあさん"です」と補足する。


「……秋葉原の飲食店でバイトしてるって言ってある」

「……そう。間違いではないわね」


 沈黙。周囲の騒音だけが、鼓膜を通り過ぎていく。

 が、程なくして、千佳ちゃんが意を決したように「……わかったわよ」と机を叩いた。


「コウ、あんた、私と勝負しなさい! あんたが勝ったら、このまま黙って引き下がってあげる。その代わり……私が勝ったら、ウチの店に移ってもらうわっ!」


***


 風呂上がり。濡れた髪をタオルで拭きながら、スマフォを片手にベッドに腰掛ける。


「……というワケで、唐突な勝負に巻き込まれるコトになりました」


 電波に乗って、クスクスと笑う吐息が届く。

 彼女はとっくに寝支度を整えているだろう。あまり遅くまで付き合わせては悪いと思うのに、楽しげな声につい、もう少しとベッドに寝転がる。


『いったいどんな勝負をするの?』

「……期限は一ヶ月。店の人気ランキングで、上位だった方の勝ちです」

『ん? 千佳ちゃんの働いてるお店って?』

「お店の名前は"百華邸"。……ウチの二つ奥の通りにある、最近話題のメイド喫茶です」


 これも神の悪戯なのかなんなのか、千佳ちゃんは例のメイド喫茶の、メイドさんだったのだ。

 現在の順位は六位だという。コウと似たり寄ったり。

 そのコトを知っての提案なのかは定かでないが、結論として、コウは持ちかけられたこの勝負に乗った。


 一ヶ月後、順位が彼女よりも低ければ、コウはこの店を辞めて百華邸に移る。

 そしておそらくそれは、コウの"本当"を捨てるという意味も持つ。


『それで、策はあるの? ユウちゃん"先輩"』

「……俺の勝負じゃありませんよ」

『勿論。でも、大事な後輩の勝負を知っているのに、黙って見てるなんて、ユウちゃんらしくないし。それに』


 カイさんは一呼吸おいてから、いっそう声を和らげる。


『……コウくん。本当は、今のお店で働いていたいんでしょ? ユウちゃんは何よりも、その気持ちを守ってあげようとするんじゃないかなって』

「……買いかぶりすぎですよ」

『そうかな? ユウちゃんは優しくて、格好いいから。きっとそうだよ』


 なんだ。なんなんだこの人は。よくもまあ恥ずかしげもなく、サラッと言ってくれる。

 思わず腕で覆った瞼裏には、嬉しげに綻ぶ顔。

 ……今更か。何度だって受けた"攻撃"なのに、正直な心臓がバクリバクリと煩い。


「……正直、"コウ"って人材を失うのは、ウチにとっても痛手ですからね。さすがにランキングの不正はしませんけど、この一ヶ月間、出来る限りのサポートはしようと思ってます」

『うん、そうしてあげて。……こっちのコトは、後回しでいいから』

「っ」


 飲み込んだ息。

 ザラリとした不快感が、喉奥で固まっていく。


(……なんだこれ)


 彼女はただ、俺のコトを考えて、気遣ってくれたにすぎない。

 優しい優しい、大人な対応。有り難いはずなのに。


『……ユウちゃん?』

「あ、はい。……ありがとうございます」


 たぶん今、一番正しい返答は、これだろう。

 たぶん、なんて浮かんだ時点で、迷走しているのが丸わかりだが。


「そういえば、あの本って進んでますか?」


 戸惑いが伝わる前にと、話題を転換させる。

 その場凌ぎの質問だったが、カイさんは特に不審を示すこと無く『うん。少しずつだけど』と答えた。


『今ね、主人公の女の子に想いを寄せる生徒が出てきたんだ』

「イケメン生徒会長さんじゃなくてですか?」

『うん、そう。同じクラスの、無口くん。彼も生徒会長とはタイプの違うイケメンって感じだけど』

「まあ、それくらいのスペックないと戦えないですもんね。展開上、必須項目というか」


 そんな分析ありきの感想を述べると、カイさんは『確かに』と吹き出した。


『生徒会長くんの頑張りが報われるといいんだけど』


 分かっていて、楽しそうに言う。

 確か、最終的には生徒会長くんとくっついた筈だ。先が知れているフィクションはいい。不測の事態がおきても、結末は決まっているのだから。

 ――なら、俺達は?


「……カイさん」

『ん?』

「……カットモデル、本当に興味ないんですか?」


 カイさんはちょっとだけ、間を置いた。


『……ユウちゃんは、どうしてほしい?』


 ――俺?


「……お、れは」


 正直、カットモデルとして整えられたカイさんは見てみたい。何ならその写真も欲しい。出来ればポスターサイズで。

 けれども店頭に飾られれば、確実にファンが増えるだろう。女性だけじゃない。トシキさんのように、男性でも興味を持つ人が出て来る筈だ。


 ――くるしい。

 喉の奥が、酸素を拒んでいるようだ。代わりに肺の中には、むせ返りそうな淀みが溜まっていく。


(……いや、だなあ)


 想像した状況もそうだが、こうして理性とは裏腹に嫌悪を抱いてしまう自分が、一番イヤだ。

 今、彼女が目の前にいなくて本当に良かった。声だけならば、どうにでも取り繕える。


「……カットモデルをしてるカイさん、絶対カッコイイんだろうなあ。でもカイさんを好きな人が増えるのは、ちょっと妬けちゃいます」


 おどけた調子で、あくまで俺に偏った意見はないのだと。

 理解ある大人のように声を和らげて、心配ないと笑ってみせた。


「……カイさんがどっちを選んでも、俺は応援しますよ」


 数秒おいてから静かに告げられた『……そっか』という声に、なぜだか彼女の感情は見えなかった。


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