第87話カワイイ俺のカワイイ襲来②

***


 俊哉と例の彼女を引き連れてやってきたのは、店から一番近いチェーン店のファミレスだ。

 女の子ひとりに、(見た目がどんなに可愛くても)男ふたり。下手に洒落込んだカフェより、こうして雑多な空間の方が警戒心も解けやすいだろうという算段だ。


 ましてやここは秋葉原。それぞれの熱中する"何か"の話題に夢中な客が多い。

 壁など無くとも、他の目を気にする必要もない。


 俺達はドリンクバーを、彼女はプラスでチーズケーキを注文した。

 ひんやりと熱を癒すトロピカルアイスティーをストローで吸い上げた彼女は、ようやく冷静さを取り戻したかのように小さく息をついた。


 それでもまだ全身から、拭いきれない敵意が滲み出ている。

 これは手がかかりそうだ。

 脳裏で苦笑を零しながら手にしていたアイスティーのグラスを置くと、俺達の対面に座る彼女がじろりと睨め上げてきた。


「……コレ、もちろん驕りなんでしょうね」

「連れてきたのは僕達ですから。ちゃんと驕りますよ」

「あ、もしかしてお腹すいてる? ケーキだけじゃなくって、ご飯も頼んでいいよ?」


 こういう時ばっかりはいい意味で鈍感な俊哉が、純度100%の気遣いで「見る?」と彼女にメニュー表を差し出す。

 彼女は数秒の逡巡を挟んで、「……いらない」と呟いた。


「そっか。もし追加したかったら、遠慮なく頼んでね」


 こうした俊哉の柔和さは本当に強い。俺には逆立ちしたって得られない、天然モノだ。

 彼女の針先が丸くなった気配がする。俊哉のほほんとした雰囲気に、絆されたのだろう。

 彼女はチーズケーキをフォークで一口大に切り、今度は俺のコトを無遠慮にしげしげと眺める。


「……男、なのよね?」

「男ですよ。"オトコの娘"ってご存知ですか?」

「……知ってるわよ、当然。ただ、ちゃんと見たの初めてだから。ホントに女の子の格好して、メイクまでしてるのね」


 どうやら敵意より、興味の方が勝ってきたようだ。

 俺は山盛りにされたかき氷の端を崩すように、少しずつ、確信へと掘り進める。


「色んなタイプがいますよ。僕はこうして、普段からこういう格好もしますが、"コウ"みたいに普段は男の格好しかしない人もいますし」

「っ、そうよ。こーちゃんは、ずっと"普通"で頑張ってたのに……! アンタ達が、余計なコトするから……!」

「"頑張ってた"ってコトは、以前からコウがこうした界隈に興味があったと、知ってたんですね。"ちーちゃん"さんは」


 指摘した途端、彼女はピタリと手を止めた。

 俺は苦笑を浮かべて、


「"こーちゃん"、"ちーちゃん"と呼び合う仲で、おまけにそうして過去の話もご存知となると、貴方はやっぱり"コウ"のお客様ではないんですね」

「……だから何よ」

「ごめんなさい。確信が欲しかっただけなんです。"こういう"仕事をしていると、お客様とのトラブルがつきものなので」


 そのせいで以前痛い目をみたのは、勿論秘密だ。

 まあ、客の顔は殆ど覚えているし、ましてや希少な女性ともなれば分からない筈もないので、彼女が"客"ではないのは明らかだったが。


 それでもこうして慎重に言質をとったのは、俊哉という第三者の前で、キチンと明確にする為だ。

 彼女は"客"ではない。故に、保守的になる必要はない。


「"客"じゃないなら、こちらもここからは敬語はなし。僕は最初に言ったとおり、あの店でコウの教育担当をしてるユウ。こっちは友人の俊哉。フルネームは勘弁ね。ほら、一応、なにかあるといけないし」

「よろしくね。えっと……ちーちゃんさん?」


 俊哉が小首を傾げると、彼女は唇を尖らせて、「……千佳≪ちか≫」と呟いた。


「ちーちゃんは、やめて。……アンタ達には呼ばれたくない」

「それじゃあ、千佳ちゃん。さっき店で"コウを守れるのは自分だけだ"って言ってたけど、どういう意味? コウ、何かトラブルに巻き込まれてるの?」


 俺の見立てでは、コウは嘘や隠し事が苦手なタイプだ。これまでを思い返しても、何か大きな問題事に関わっているような気配はない。

 千佳ちゃんは言い渋るように唇を固く引き結んだが、諦めたように嘆息して、ポソリポソリと話し始めた。


「……コウは、幼馴染なの。昔っからひょろひょろで、気が弱くて……だからしょっちゅう、イジメの標的にされてて。だから私が守ってあげてた。……コウは、馬鹿みたいにヘラヘラ笑ってるのが、お似合いだから」


 古い記憶の糸を手繰りながら、千佳ちゃんはチーズケーキを一口放り込んだ。


「……中学生の時、コウは私の着てた制服を見て、"かわいいね"って言ったの。髪飾りとか、色付きのリップとか。私が新しい"女の子"の道具を使う度、"かわいい"って。……初めは褒められてるんだと思った。でも、違った。羨ましがってるんだって気付いたのは、中学を卒業する頃。今度は高校の制服を、"かわいいね"って……。ホント、隠すつもりがあるんなら、もうちょっとマシな笑顔をつくんなさいよって言ってやりたかったわ」

「……コウくんには、訊かなかったの?」


 俊哉が訊ねると、千佳ちゃんはキッとは目尻をつり上げた。


「訊くわけないでしょ。だって、コウは隠そうとしてたのよ? 私にはそれがわかってた。だから、コウがどんなに悩んでても、話してくれるまで待とうって決めてたのに」

「……打ち明ける前に、ウチの店で働き始めたと」


 コウが初めて"客"として現れた時、随分と悩んでいるようだった。

 踏み込むか引き下がるか、ギリギリの瀬戸際。そんな風に。

 だから俺は、"こちら側"の情報を与えたのだ。無理矢理引っ張り込まないよう、細心の注意を払って。


 結果、コウは"オトコの娘"として働く道を選んだ。


 あのまま"客"として通うだけの日々だって選べたのに、飛び込むと決めたのは、紛れもなくコウ自身だ。

 この目の前の、グラスを割らんする勢いで指先に力を込め、不安と傷心に眉根を寄せる彼女に、話さないと決めたのも。


「っ、コウは、夏休みになったらウチの厨房でバイトするって約束してたの……! それなのに、アンタが余計なコト吹き込んだから、コウは、コウは……!」

「うーん、多分、それはちょっと違うと思うよ」


 静かに制止をかけたのは、苦笑を浮かべた俊哉だった。


「大切な人に話してもらえなかった悔しさは、俺も経験があるから、よく分かるよ。けど、それを誰かのせいだって当り散らすのは、自分の大切な人を傷つける事にもなっちゃうんじゃないかな。それに、ユウちゃんはその、"余計なコト"にすっごく真面目で慎重だから。まあ、俺はユウちゃんの幼馴染だから、どうしてもこっち寄りになっちゃうけど……コウくんがユウちゃんの"せい"で約束を破ったって責めるのは、違うと思うな」


 口調はあくまで穏やかだが、だからこそ言い聞かされているようで、反撃が出来ない。

 千佳ちゃんが苦虫を噛み潰したように顔を顰めた刹那、「……ごめんっ、ちーちゃん」と呼吸混じりの声がした。


 コウだ。

 急いで走ってきたのだろう。髪は乱れ、肩が休むこと無く上下している。

 メイクは綺麗に落としていて、服装も柔らかな半袖トップスにジーンズ。余程の常連じゃない限り、彼があの"コウ"だとは気づかないはずだ。


「こーちゃん……」


 複雑そうに零した千佳ちゃんは、言葉に迷っているようだ。

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