第81話カワイイ俺のカワイイ進捗④

「あー、コホン。そろそろいいかしら? お二人さん」


 態とらしい咳払いと、からかうような声が降ってくる。視線を向けると、ニヤニヤと口角を上げた吉野さんが見下ろしていた。

 あ、という顔をしてしまったのだろう。吉野さんは俺の前へ水とおしぼりをおきながら、


「ごめんねー邪魔する気はないんだけど! オーダーはもうちょい後かしらね」

「す、すみません……」

「いいのよー! そーやって幸せそうなユウちゃん見てると癒されるし!」


 パチリとウインクを飛ばす吉野さんに、カイさんが疲れたように「里織……」と呟いた。

 勿論、吉野さんはどこふく風だ。「あら、いいじゃない」と歌うように笑って、次のオーダーへ向かっていく。

 カイさんと吉野さんのよくある一幕。心から気を許している間柄なのが、よくわかる。


 こうしてカイさんと通ううちに気が付いたのだが、多分、吉野さんは俺というより、カイさんをからかっているのだと思う。

 けれどもカイさんは俺へのアクションだと勘違いして、ああして毎回、窘めるような行動を取っているのだ。


『違うと思いますよ?』


 そう、ほんの一言。思い違いの可能性を示唆してあげてもいいのだが……。


(勿体無い、しなあ……)


 カイさんの小さな独占欲が見え隠れして、ちょっぴり気分がいいだなんて、口がさけても言えない。


 結局、カイさんはきのこのドリアを、俺はトマトとモッツァレラのパスタを頼み、軽い近況報告を交わしながら食事をとった。

 俺達が互いの想いを知るに至った例の一件で、時成や俊哉とも顔見知りになっているので、些細な日常でも話題にしやすい。

 最近のカイさんは、新たに後輩となったコウの話しがお気に入りだ。曰く、「ユウちゃんが生き生きとしてるから」らしい。そんなつもりはないのだけど。


 追加でオーダーした食後のデザートまでしっかりと平らげ、残り僅かの紅茶を会話の合間に流し込む。

 どうにもちびちびとしてしまうのは、少しでも長くと共の時間に縋ってしまうからだ。

 砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを傾けるカイさんも、同じように思ってくれていたらと願いながら。


 粘りに粘ったカップの中身が三分の一程になった頃、不意にくぐもったバイブ音が会話を止めた。

 スマートフォンを取り出したカイさんが、画面を見つめて「あ」と小さく呟く。


「拓さんからだ」

「電話ですか? いいですよ」

「あ、ううん……電話してもいいかってメッセージだから、後でかけ直すよ。ちょっと、返信だけごめんね」


 すまなそうに断りを入れたカイさんが、指先で操作しながら「たぶん、明日のシフトのことだと思う」と笑む。

 気を使ってくれたのだろう。嬉しいが、ひょこりと顔を覗かせた仕事脳の俺が、シフト関連なら早いレスポンスがほしいだろうなと考えて、「いいですよ、電話」と促した。


「え? でも今は……」

「シフト系って、返事がないと次に動けなかったりしますし。拓さん、困ってるかも。かけてあげてください」


 机上に肘をつき上体を傾け、伸ばした指先でほらほらと急かすようにカイさんのスマフォカバーをつつく。

 明らかな迷いを顔にするカイさん。追い打ちをかけるように上目遣いで「ね?」と小首を傾げてみせると、カイさんは瞳を彷徨わせた後に「……ありがとう」と苦笑した。

 遊んでいた指先が、別の体温に包まれる。


「すぐ戻ってくるから」


 そういいつつ立ち上がったカイさんは、足早に店の扉付近へと向かい、いくつか操作して耳元へスマフォをあてた。

 店内の照明を背にした事で、端正な横顔にくっきりとした陰影が浮かぶ。


(……やっぱ、かっこいいなぁ)


 惚れた欲目によるフィルターを抜きにしても、カイさんはかっこいい。おまけに綺麗だ。

 纏う雰囲気だとか、立ち振る舞いだとか、そーゆー諸々としたたゆまぬ努力によって"構成"されているのだと知ってはいても、本当に魅力的な存在を目の前にすると、ただただシンプルな感想しか出てこなくなる。


 こうしてガッツリと観賞できる機会も珍しいから、と。すっかり自身の体温に戻った指先をすり合わせながら、電話に夢中なカイさんをこれ幸いと眺める。

 うん、真面目な顔も格好いい。

 程なくして、視界によく知った色が飛び込んできた。焦点を合わせ、この店のエプロンだと認識すると同時に、それが吉野さんだという事に気づく。

 片手には水の入る透明なポット。


「お冷や継ぎ足ししまーす」

「すみません、ありがとうございます」


 会釈ついでにチラリと腕時計へ視線を流す。

 そろそろ、ラストオーダーの時刻だ。


(……もうすぐ終わりか)


 毎度の事ながら、どうにもこの瞬間は息が重くなる。

 近づく別れに、落胆の息をこっそりと溢した刹那、


「ちょっとちょっとユウちゃん!」


 グラスを机上に戻した吉野さんが、ぐっと顔を近づけてきた。

 反射に思わず肩が跳ねる。退いてしまった距離を追うようにして更に詰め寄った吉野さんは、真剣な表情で声を潜め、


「ねえ、こんなしょっちゅう"デート"の場所にウチを選んでいいの? あたしとしては有り難いけど……ここじゃチューだって出来ないでしょうよ」

「チュッ!?」


 思った以上の声量が出てしまい、咄嗟に自身の口を覆う。

 吉野さんも慌てたように「ちょっ! シーっ! ユウちゃんシーっ!」とカイさんを見遣っていたが、電話に夢中なようでこちらのやり取りに気付いた様子はない。


 殆ど客のいない時間帯でよかった。

 小声で「スミマセン」と呟くと、安堵の息をついた吉野さんは次いで何かを悟ったように「ははーん」と片目を眇めた。

 嫌な汗が背中に浮かぶ。


「……ユウちゃん」

「…………はい」

「まあ、正直ね? 正直な所、そんなことだろーなーとも思ってたのよ。だってあの子もそんな、グイグイいくタイプでもないしね? ユウちゃんもほら、色々と慎重派って感じだったから」

「……すみません」

「ううん、いいのよ。まあちょっとだけ安心しちゃったってのも本音。……でもね」


 眉根を寄せた吉野さんは首を傾げる。


「どうして未だに『カイ』って呼んでんの? 付き合ってるんでしょ?」


 向けられた双眸には、心配の色が強い。

 おそらくだが。"本当"の名を知る間柄であるというのに、"仕事"の呼び名を使う俺達を、他人行儀過ぎではないかと言いたいのだろう。

 気持ちはわかる。が、これには俺達ならではの理由がある。


「お互い、仕事が仕事なんで、秋葉原では"カイ"と"ユウ"って呼ぶようにしてるんです。僕もカイさんもそれなりに認知度が上がってきたんで、いつどこでお客様の耳に入るか、わからないですし。ほら、本名が知られてしまうと、色々と厄介な事に繋がりかねないんで」


 更に付け加えると、この街周辺での"あからさまな接触"も止めている。

 手を繋ぐとか、抱き締めるとか。つまり、見られたら"言い訳"のしようがない行為。

 俺はともかく、『特定の相手がいる』という事実はカイさんの仕事の妨げになりそうで、俺から提案したのだ。


 カイさんは「知られても構わない」と言ってくれたが……"また"、彼女を危険に晒してしまいそうな因子は、出来るだけ取り除いておきたい。

 そんな俺の気持ちを汲んで、了承してくれた。

 そして今のところ、吉野さんの言う通りカイさんとの逢瀬はこの店が殆どなので、『なつきさん』と呼んだ回数は片手で足りる程度で留まっている。


 だからだろう。

 未だに俺としては、『カイさん』のほうが口馴染みがいい。

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