続編第一章 カワイイ俺のカワイイ進捗

第78話カワイイ俺のカワイイ進捗①

 始まりには終わりがある。そんなことを謳っていたのは誰だったか。

 物語はいつだってハッピーエンドに辿り着くわけじゃない。

 不安に曇った眼では、『選択肢』など簡単に間違えてあっという間に終了だ。


 疑心暗鬼な『恋』ほど、脆いものはない。


***


 容赦なく照りつける日射しと、じんわりと纏わりつく熱気。応対するフロアの空調は、午前中からしきりなしに、ごうごうとうなり声をあげている。

 当然、従業員のみが使用する窓のないバックヤードも似た通りだ。とはいえ、お客様の入るフロアよりも空調が劣るのは言わずもがなで。

 俺はプラスで稼働させた小型扇風機の微風に目を細めながら、体内の熱を吐き出すように小さく息をついた。


 季節は夏、真っ只中。世間の学生達が長期休暇にうかれ、心も体も活動的になる時期だ。

 ここ、秋葉原の男の娘カフェ『めろでぃ☆』も、連日様々な客層で賑わっている。


(あと十分くらいか……)


 横目で壁掛け時計を確認して、重い腕を頭上に伸ばす。

 昼のピークを越えた三時間半ぶりの休憩が、もうすぐ終わる。

 十分に伸ばした腕を脱力させ、机端に置いていたナイロン製のメイクポーチを掴み寄せた。取り出した手鏡を覗き込みながら、汗で崩れた箇所のメイクを無心で直していく。

 と、二度のノック音を挟んで、背後にあった店内に繋がる扉が開いた。「おつかれさまですー」と間延びした口調に、俺はおやと振り返る。


「休憩、早くないか?」

「ちょっと落ち着いてきたんで、早めにって店長がー」


 オレンジジュース入りのグラスを片手に扉を閉めたのは、この店で不動の二番人気を誇る"あいら"こと時成だ。黒髪のツインテールを揺らしながら俺の対面へと歩を進めると、椅子を引いて疲れたように腰を下ろす。

 今日は時成も昼前からのシフトだった。実際、疲れているのだろう。

 体重を預けるように両腕を机上に乗せると、掌で包み込んだグラスから伸びるストローに、桃色の唇をつける。


「お前、昼飯は?」


 時成はどうも夏に弱い。去年の夏も食欲が湧かないとか言って、何度も昼食を抜こうとしていた。

 そのたびに「軽くでもいいから何かつまめ」と指導していたのだが……。

 時成は俺の質問の意図に気付いたのか、ごくりとオレンジジュースを飲み込むと、微苦笑を浮かべて、


「ちゃーんとオムライスをオーダーしてきましたよー。ちょうどお客様の注文と被っちゃったんで、順番待ちですー」


 再びストローに口をつけ一気に三分の一程を吸い込んだ時成は、やっと一息ついたのか、ふうと小さく息を吐き出した。

 そのまま上目遣い気味に、視線だけを俺に投げる。


「そーいえばユウちゃん先輩、今日この近くでイベントやってるの知ってますー?」


 知っているもなにも、ここ秋葉原というのは元々が屈指の観光地、及びサブカルの聖地とも言うべき街だ。集客のある夏休みとなれば、連日どこかしらで"イベント"が行われている。

 把握している"イベント"をずらっと脳裏に浮かべた俺は、その中から一つを採用し、「ああ」と首肯した。


「近くに出来たメイド喫茶……確か『百華邸』(ひゃっかてい)って名前だっけか。そこがやってるやつだろ? ランキング上位者のミニ写真集を発売するとかで、当人達の手渡し即売イベント」

「さっすがユウちゃん先輩ー。それですそれですー」


 夏が本格的なる少し前、通りを二つ挟んだ先に、新しいメイド喫茶がオープンした。

 数年前の"メイド喫茶全盛期"時に開店した店舗が次々と姿を消すなか、新たに参戦してくるとは。

 一体どれほど趣向を凝らしているのかと色々な意味で興味を惹かれた俺は、可能な範囲でチェック済みである。


 コンセプトは『正統派クラシカル』。

 メイド服は一般的にイメージの強いミニスカートではなくロングスカートで、純白のエプロンは肩の部分だけがフリル調になっている。

 強いて言えば、ウエスト部分にあしらわれた編み上げのデザインが、さり気なくこの街独特の趣向を反映しているように思えた。


 店内はダークブラウンを基調としているようで、アンティーク風の家具がお客様をお迎えする。

 最大の売りは、認定を受けた本格的な紅茶が振舞われるということ。

 フードメニューも専属シェフ考案の季節限定メニューを用意する力の入れっぷりで、"メイド"と"食"の二本柱が楽しめる喫茶店になっている。


 ただやはりと言うべきか、この街で『メイド喫茶』を名乗るだけあって、しっかりメイドとのチェキサービスや専用ブログがあり、今回のようなプチイベントを行うなど、おさえるべき所はおさえているようだ。


「ああ、そっか。それで早めに休憩きたのか」


 あちらは純粋な"女の子"によるメイド、こちらはイレギュラーな"オトコの娘"のメイド。一見畑違いに思えるが、そうとも言い切れないのがこの界隈の奥深い所である。

 イベント終了の影響でこの後の混雑が予想されると、店長が判断したのだろう。

 時成は首肯すると「まあでもー」と笑みをつくり、


「今日は先輩が18時までいてくれるっていうんでー、心強いですー」

「ま、せっかくの夏休みだし、稼げるうちに稼いでおかないとな」


 閉じたコンパクトが、パチンと鳴る。最後の仕上げにと前髪を指先で直していると、鏡を持つ左手の下に、無気力な腕が転がり込んできた。時成が突っ伏したのだろう。

 気にせず続けていると、邪魔をするように腕を指先でつつかれる。


「コラ、やめなさい」

「でもー、いいんですかー?」

「なにが?」


 脈絡のない問い。見当がつかず眉をひそめて視線を遣れば、向けられていたのはどこか不満気な顔。

 時成は片頬を伸ばした自身の腕に乗せたまま、


「夏休みになってから沢山シフト出てくれてるの、おれはいっぱい会えるんで嬉しいですけどー、それってそれだけカイさんを放置してるってコトですよねー?」

「……別に、放置してるワケじゃないけど」

「だって最後に会ったのって五日前ですよねー!? 付き合いたてですよー! ホヤホヤですよー! 職場が近いんだから、もっと会ったっていいじゃないですかー!」


 どうしてそう、お前が駄々をこねるんだ。

 嘆息しそうになるのをギリギリで抑え、最小限の動きで時成から視線を外した。俺は呆れ顔を作り、再び鏡を覗き込む。

 大丈夫。頬は引きつっていない。

 微かな安堵は胸中で。なぜならば実のところ、時成の言葉は無理やり押し込めた微かな陰りを、全力の無邪気さで連れ出してくるから。


 ――もっと会いたい。


 そんな本音は綺麗に畳んでしまって。

 俺はただ、普段の調子でもっともな理由を舌に乗せる。


「付き合って、すぐ夏休みに入ったからな。カイさんも忙しいんだよ。あの店の人気ドコロだろ?」

「まぁ、それはそうですけどー……」

「お互いの生活ってモンがあるし、暫くは仕事優先。それと、今日この後、会う約束してるから安心しろ」


 閉じた手鏡とポーチを片手に持ち、立ち上がった俺は時成の後頭部を指後ろでコツリと叩いてから、自身の荷物置きへと歩を進める。


「つーわけで、今日は延長無理だから。……心配してくれてありがとな」


 時計を確認すると、針は思っていたよりも先の時刻を示している。

 そろそろ戻らないと。

 キャラメル色の鞄に荷物をしまい、くるりと向き直ると、どうにも不満気なジト目とかち合った。

 思わず面食らった俺に、時成は上体を起こしながらわかりやすく頬を膨らませ、


「あの時の必死な先輩は、どこにいったんですかねー」


 確かに、カイさんに近づこうと必死になっていた数ヶ月前が、なんだか既に懐かしい。

 つい零れそうになった苦笑を押し込み、代わりに余裕たっぷりの笑みを口元に浮かべてやる。


「大人なんだよ」


 "ユウ"の休息時間はここまで。

 顔を切り替えて、フロアへと戻るべく開いた扉をくぐり、後ろ手に閉める。


「……それでいいんですかー」


 完全に閉まる直前、向こう側から届いたふて腐れたような声は、聞かなかったことにした。

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