第76話カワイイ俺のカワイイ本当⑧
「メール来てた。拓さんが代わりに行ってくれてるみたい。でも、店番を知り合いに任せてるから、エスコートが終わるまでには帰ってきてって」
「知り合い……って、まさか」
このタイミングで『知り合い』と言ったら……。
受信を終えたメッセージを慌てて確認すると、時成からの新着メッセージには『ごゆっくり』と書かれていた。
なにが、ごゆっくりだ。
この状況で、どうゆっくりしろって言うんだ。
「ともかく……戻りましょうか」
「そうだね」
互いに苦笑を向け合って、俺たちは肩を並べて歩き出す。
真っ赤な空は西側から薄い紫が伸びてきていて、夜気を含んだ風が小さく髪とスカートを揺らした。
ふと、頬にかかった髪がはらわれた感触。あくまでさり気ない、けれども今までは無かった接触に驚いて見上げると、視線のかち合った彼女はつい、といった様子で「あ、ごめんね」と肩を竦めた。
「髪、伸びたね。最初に会った時は、肩くらいだったよね」
懐かしそうに双眸を細める彼女の余裕に、ふつりと小さな反発心が芽生える。
「……そろそろ、切らないとですかね」
引かれた指先を追って柔く握りこむと、彼女の歩が乱れた。
驚いたように瞠目した彼女はキョロキョロと視線を彷徨わせていたが、やがて照れに染まる頬を隠すように、少し反対側を向いて俺の指先を握り返す。
「……私は別に、今のままでもカワイイと思うけど」
「……そうですか。なら、まだ暫く伸ばしておきます」
「うん、っ!?」
彼女の肩がビクリと跳ねたのは、俺が拙い握りを、指を絡めたモノに変えたからだ。
これで余裕の笑みを向ける事が出来たのなら、かっこ良くキマるというのに、わかっていながらも出来ないのは、俺が所謂『ヘタレ』だからなのだろう。
――あつい。
触れ合った掌だけじゃなくて、身体も、顔も、耳も、頭のてっぺんまで、全部あつい。
彼女を見遣る事も出来ず、それでも振りほどかれない安堵に心を緩めながら、俺も前を向いたまま口だけで尋ねた。
「……名前、訊いてもいいですか?」
「……藍沢なつき。夏生まれだし、名前にも『なつ』って入ってたから、連想ゲームの要領で、海の『カイ』」
「そうだったんですか。……じゃあ、なつきさん、ですね」
「呼びやすい方でいいよ。どっちも、私だから」
照れを含んだ声で告げた彼女は、それから少しの逡巡を挟んで、やはり照れたように、はにかんだ。
「ゆうま、なら、ユウちゃんは、ゆうちゃんだね」
さり気なく呼ばれた名に息が止まりそうになっただなんて、絶対に、誰にも言えない。
***
見慣れた雑居ビル。その前で歩を止めた俺達は、どちらからともなく視線を合わせ、そっと指を解いた。
店に入る以上、『スタッフ』と『客』という立場を重んじようと思ったのか、ただ羞恥が勝ったのか。俺にも定かではないが、なんとなく、そうした方がいいように思えた。
感情に素直な心が、失った体温に物寂しさを訴えてくる。掌から消え行く熱が少しでも長く残るようにと、こっそりと指を丸めた。
先導するカイさんに続いて、開かれた扉の先に踏み入れる。途端に響いたのんびりとした声が、微かな緊張を和らげた。
「あー、もう戻って来ちゃったんですねー」
「……やっぱりお前達か」
カウンターに両肘をついて寛いでいるのは、私服姿の時成だ。
その隣に立っていた俊哉が、泣きそうな顔で笑みをつくる。
「おかえり。良かったね、悠真」
「……ああ」
心底安心したという響き。照れに視線を逸らす俺にも、俊哉は嬉しげに微笑みを深める。
ちょん、と。袖を引っ張られた感覚に斜め後ろを見上げると、カイさんは戸惑いを浮かべている。
そうだった。拓さんが頻繁に出入りしていたせいですっかり忘れていたが、カイさんは二人と初対面だ。
「店の後輩のあいらと、幼馴染の俊哉です。二人共、拓さんとは知り合いです」
「あ、じゃあ、拓さんがお願いしたのって……」
「なんかしょっちゅう会話に出てたんで初めましてな感じは全然ですけどー、初めましてー」
「悠真がお世話になっています」
「あ、ううん、こちらこそ」
三人で順に頭を下げる様をどうしたもんかと眺めていると、店の扉が開かれた。
立っていたのは勿論、拓さんだ。
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