第73話カワイイ俺のカワイイ本当⑤

「……大丈夫ですか?」

「え? あ、うん」


 例えば。


 『つい』とか『思わず』とか。人間という生物の中に組み込まれた『無意識』を表す言葉はいくつかあって、普段の冷静さを欠いた時ほど注意力が散漫になり、どんなに心に留めていても、その言葉のどれかを使用する事態に陥ってしまう場合がある。


 けれどももし、その『無意識』が、他方の仕掛けた『意図的』による罠だったのなら。

 きっとそれは逃れられない、『覚悟の決別』にもなるのだと思う。


 戸惑いがちに伸ばされた指先が、差し出した掌に重なる。

 初めて知った彼女の体温は、緊張からか、ひんやりと冷たかった。


「瀬戸悠真」

「…………え?」


 告げた名と、クッと握りしめた指先。

 彼女の肩がピクリと揺れ、限界まで見開かれた双眼が、薄く笑んだ俺を映す。


(ごめんね、カイさん)


 結局、最後の最後まで振り回してしまった。

 謝罪を胸に、俺はもう一度、ゆっくりと紡いだ。


「『俺』の、本名。瀬戸悠真っていいます」

「!」

「『ユウ』っていうのは、店で使ってる名前で。……オトコの娘カフェで、働いているんです。さっきの彼女は、俺のお得意様で。……巻き込んでしまって、スミマセンでした」

「っ、それは、それよりも……っ、どうして……?」


 絞りだされた困惑の声が、心臓にチクリと針を刺す。

 夕陽の紅を反射して揺れ動く瞳を、場違いにも、綺麗だと思ってしまった。


「好きです」

「……!」

「『俺』は、『あなた』のことが、好きです」


 一文字一文字、はっきりと告げた俺に、彼女は硬直したまま更に目を見開く。

 初めて見る顔だ。この人は本当に驚いた時は、こんな顔をするのか。


 覚えていたい、と思考の片隅で願いながら、俺は握る指先に力を込め、『本当』を口にする。


「……初めは、利用してやろうと思ったんです。由実ちゃんへの株上げもそうですけど、似た業界で働く者として、"使える"技術を盗んでやろうと思って。ついでに仲良くなれれば、強力なツテになると思いました。……全部、計算で近づいたんです。好意なんて、全くありません。酷いでしょう?」


 微動だにしない彼女に、自嘲気味な苦笑を浮かべ、


「……それなりに自信があったんです。なのにカイさんは意外に手強くって、全然思うように攻略させてくれなくって。苦労しました。どうしたら、気を許してくれるのかなって、散々悩んで。……そうやって考えれば考えるほど、もっと知りたくなって、知ろうとすればするほど、『カイ』さんと垣間見える『あなた』に、振り回されるようになりました。気がついた時には、好きになっていて。……望んでいた以上に、欲しくなりました」

「っ」

「上手く隠してたつもりだったんですけどね。なんでか、拓さんや吉野さんにはバレちゃったんです。でも、二人共優しいから黙っててくれて。……知られて、拒絶されてしまうくらいなら、善良でカワイイ『ユウ』として、このまま『カイ』さんの『客』の一人でもいいかなって思ったりもしてたんですけど……やっぱり、駄目ですね」


 俺はもう片方の掌を乗せて、彼女の指先をそっと包み込んだ。


「ゆう、ちゃ」

「『男性のお客様は、決してギャルソンに触れないこと』」

「!」

「『俺』は、ルールを破りました。……もう、あなたの『客』にもなれません」


 肩を竦めて柔く笑むと、彼女はくしゃりと顔を歪めた。

 俺を映していた視線が下がる。手の内にある指先は小刻みに震えていて、その手を引いて抱きしめたい衝動を、グッと堪える。


 彼女の涙する理由が『失望』なら、これ以上、拒絶されたくはない。


(ホント、身勝手だな、俺)


 結局、彼女を一番に傷つけたのは、他の誰でもなく俺だ。

 振りほどかれないのをいい事に、俺はただ、掌から伝わる温もりだけを頼りに、彼女の言葉を待つ。


 嘘で塗り固めていた『俺』の、この気持ちだけは、紛れも無い『本当』として伝わることを願って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る