第72話カワイイ俺のカワイイ本当④

「わかったでしょ? 自分の立場が」


 さながらチェックメイトを宣言した勝者のように、レナさんが口角を上げる。

 と、カイさんがゆっくりと、視線を上げた。


「……お言葉ですが」


 その瞳は曇りなく、真っ直ぐにレナさんを射止め、


「『迷惑極まりない』のはユウちゃんではなく、貴女では?」

「っ! 調子に乗って……っ!」


 レナさんがヒールを荒々しく鳴らしてカイさんへと詰め寄ったのと、俺が驚愕に雷を受けたのは同時。赤いネイルの指先がカイさんの首元へと伸びていく様が、スローモーションのように流れていく。


 引きちぎられた銀色の鎖。宙に舞い、濃い黒に染まったアスファルトへと落ちていく。


「!」


 追いかけるように手を伸ばすカイさん。

 レナさんは暗く淀んだ瞳で、しゃがみ込んだ後頭部を見つめると、意図を持ってゆっくりと右足を上げた。


 街灯に照らされた紅色のヒールが、鈍く光る。

 気づいた時には、地面に膝をついたカイさんを守るように、ヒール靴との間に割入っていた。


「! ユウちゃん!?」


 レナさんが瞠目する。背後でカイさんが、息を詰めた気配がした。

 そそくさと足を下ろしたレナさんは、信じられないという顔のまま、数度口を開閉させる。顔色が悪く見えるのは、路地に落ちた影のせいだけではないだろう。


 無言のまま立ち上がると、ビクリと跳ねた肩。自身を守るように胸元へと手を寄せ、「ち、違うの……!」と必死の形相で叫ぶように言う。


「これはっ! その! ユウちゃんの為で……っ!」

「すみません、レナさん」


 自身の口から発された声は、やけに落ち着いていた。

 レナさんはヨロリと一歩下がり、目尻が裂けんばかりに見開きながら、言葉の意図を探るように視線を彷徨わせている。

 俺は彼女をしっかりと見据えながら、


「今回の件は、あなたの変化に気付けなかった『俺』に責任があります。もっと早くに、接触を控えるか……切り捨てるべきでした」

「……せ、接触を控える? 切り捨てる? なにを言っているの? ユウちゃ……」

「レナさん」


 遮るように強く呼ぶ。

 レナさんが、息を呑む。


「……貴方の知る『ユウ』は、あの店の『商品』です。お客様に払って頂いた金額への対価として、『サービス』を提供する。……あの店の『客』であるあなたにも、例外なく、『サービス』を提供したまでです」

「っ、そんな……! だって、ユウちゃんはあんなにもっ、私をちゃんと見てくれて……!」

「それが『ユウ』という商品の、『サービス』なんですよ」

「!!」


 悲痛な顔でレナさんが固まる。

 俺の言葉には容赦がない。わかっている。けれどもここで、手を緩める訳にはいかない。

 俺にも落ち度があるとはいえ、レナさんは俺の、『一番』を傷つけた。


「い、嫌……ウソよ。だって、ユウちゃんは」

「残念ですが、あなたの『好意』は、幻想に向けられた都合のいい『期待』でしかありません。『ユウ』は『俺』の一部なだけで、全てではない。そして『俺』は、あなたを『客』の一人としか思っちゃいない」

「っ!」

「はっきり言えば、迷惑です。勝手な妄想で、俺の周囲を巻き込んで。『客』としての節度が守れないのなら、金輪際、二度と俺の前に現れないでください。もし、頭が冷えて、『客』としての立場を守ってご来店くださるのなら……その時は『ユウ』として、ちゃんと代金分の『サービス』をご提供させて頂きますよ」


 いつも通りの『ユウ』の顔で、ニッコリと微笑んでみせる。レナさんは赤い唇を戦慄かせると、歪んだ顔を覆ってその場から駈け出した。

 カツカツと響くヒールの音が、夕暮れの空に消えていく。


 もっと早く、レナさんが抱いていた想いに気づいてあげられたなら、もう少し上手く……深手を負わせること無く、躱せていたのだろう。


 俺の力不足だ。ごめんなさい、と胸中での謝罪を空に投げてから、俺はゆっくりとカイさんを振り返った。


 未だ地面に膝をついたままの彼女は、事態が飲み込めないと言わんばかりに、見開いた双眸を戸惑いに揺らしている。


 俺は先程とは違う、苦笑に近い笑みを浮かべて、見上げるカイさんと視線を合わせるように屈みこみ、そっと片手を差し出した。

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