第十章 カワイイ俺のカワイイ本当
第69話カワイイ俺のカワイイ本当①
沈み始めた太陽は一秒毎に角度を変え、目を奪うような暖色を少しずつ濃くして、包む青色にもジワジワと色を移していく。
白い頬の輪郭に鮮やかなオレンジを落とし、甘く瞳を緩めたカイさんが形の良い唇を開いた。
「じゃあ、またね。ユウちゃん」
また、ということは、次も許されたという事だろうか。
尋ねられない俺は、「はい、また」と笑みを返して背を向けた。
結局、肝心な本心は告げられないままだ。が、コレはコレで良かったのではないかと、歩を進めながら考える。
胸中には確かな充実感。
カイさんがあのネックレスを身に付けてからの記憶は、白膜の霞がかかり、ボンヤリとしている。朝靄に浮かぶ泡沫の夢のようだ。
口数はいつもより断然に少なかった、と思う。
それでも流れる時間は春の陽だまりのような心地よい穏やかさで、時折目が合っては微笑むカイさんの表情も、常より格段に豊かな感情を覗かせていたように感じた。
気の緩んだカイさんは、素直に可愛い。
(……格好いい、けど、可愛いとか、贅沢盛りかよ……)
誰に対しての文句ではない。
未だ先程の余韻に浸ったままの脳が、本来の仕事を放棄しているだけだ。
(……喜んでもらえて、よかった)
たまたま好みドンピシャだったのか、予想外の方向から祝われた驚愕が勝ったのか。わからないが、ともかく想像以上の反応だった。
なんとか手繰り寄せた記憶の中の光景に、心臓が甘く締め付けられる。
が、次いでその糸を辿るように思い起こされたカイさんの『異変』に、舞っていた桜色が木枯らしに一蹴された。
ああ、そうだった。
カイさんは、恋をしている。
(……困った、なぁ)
突っぱねてもらえなかった俺は、今後の対応を自分の意思で選ばないといけない。
負け戦だとわかっている分、これまでよりも体当たりし易いと言えばそうだし、わざわざ砕け散る必要もないと、自身を防護する理由にもなる。
思考は妙に冷静だ。ただ、胸の内は砂利混じりのコーヒーを飲んだように、重苦くザラついている。
とりあえず、今後を考えるのは一旦後回しにして、報告を心待ちにしているであろう時成に連絡をしてやろう。
ともかく何だか誰かに縋りたいような衝動は必死に見ないフリをして、鞄からスマートフォンを取り出す。と、まるでタイミングを見計らったかのように、画面に着信が表示された。
発信者は時成。時刻は彼の勤務終了時刻から、七分ほどしか経っていない。
どんだけ待ちきれないんだか。嘆息しながら通話を押し、耳元に当て、
「ったく、おま――」
『先輩、今、どこですか』
「へ?」
『カイさん、一緒ですか』
短簡的に畳み掛けられた問いから、緊張が伝わる。
背筋を駆け上がった不穏に歩を止めた俺は、困惑に眉根を寄せ言葉に迷った。
『先輩』
焦燥が滲む、急かす声。
「あっ、と、さっきカイさんと別れて、駅向かってるとこ」
『周りに誰かいますか』
「まわり? いや、特にいないけど……」
『カイさんと別れて、どれくらい経ちました』
「え、と、三分くらいか?」
考えこむような気配が、電話口から届く。
『……先輩。すみませんが、カイさんが近場にいないか戻って確認してもらえませんか』
「別にいいけど……」
依頼というより、司令だ。
理解するよりも早くクルリと身体の向きをかえ、元来た路地を足早に辿っていく。
眼は忙しく周囲を見渡しながら、
「一体なんなんだ? レナさんの件といい、なんか変だぞ」
不審を隠すこと無く尋ねると、時成は押し黙ってしまった。
時成個人の問題なら、特に深追いしないまま片付けてもいい。だがレナさんにカイさんと波紋が広がっている現状、このまま知らないフリは出来ない。
無言のままの時成は、逃げ道でも探しているのだろうか。俺相手では下手な言い訳は通用しないと、アイツなら言わずともわかっている筈だ。
吉野さんの店を出て最初の分岐点まで戻った俺は、店頭へと戻るべく左折して辺りを見渡した。先の路地に広がっているのは、先程より茜色に近づいた夕焼け空だけだ。
細長い影を落としていたその人は、とっくに自身の店へと戻って行ったのだろう。当然だ。
「いないな」
告げると、時成が間を置いて『……そうですか』と呟く。
それから覚悟を決めたように薄く息を吸う音がして、『先輩』と届けられた硬い声に不安が満ちる。
『これは、確定ではありません。おれの杞憂の可能性が高いんですけど』
「ああ」
『カイさん、危ないかもです』
「……は?」
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