第70話カワイイ俺のカワイイ本当②
不穏な単語に、思わず低い声が出た。
時成は怯むこと無く、駄々っ子に言い聞かせるかのようにはっきりとした発音で言葉を続ける。
『レナさんの言動と雰囲気から、行動を起こすなら今日だと思いました。ただ、カイさんに向かうのか先輩に向かうのかは検討がつかなかったので、俊さんにお願いして、先輩の後を追ってもらってたんです。おれにとって、優先すべきは先輩の安全なので』
「!」
あの時の"休憩"は、俊哉に連絡する為だったのか。
『俊さんが直ぐに向かってくれたので、先輩の上がりに間に合って良かったです。何事もなく喫茶店に入っていったって連絡を受けて安心してたんですけど、さっき仕事終わったら、知り合いから"カイさんがいる"って興奮したメッセージが届いてて……』
時成の声が沈む。
『その子、ここのフレンチトースト美味しいよって写真も送ってくれたんですけど、その写真に、レナさんが写ってました。遠目だったのでピントは合ってませんでしたけど、あれは、間違いなくレナさんです』
「っ」
疑う余地を与えない明瞭な断言。心臓が存在を主張して縮む。
息を詰めた俺の動揺なんて確実に伝わっているだろうに、時成はそれでも理解を促そうとしたのか、重々しい声で、
『あの喫茶店に、レナさんがいたんです』
夕暮れの生暖かい風が、ざわりと肌をなで上げる。
スマフォを耳に当てたまま、俺は咄嗟に駈け出した。
先程別れを告げたカイさんの柔らかな笑顔が、脳裏に浮かぶ。朱色に染まる店前に立ち周囲を確認してみても、やはりカイさんの姿は何処にもない。
(おちつけ、おちつけ)
焦りは思考を鈍らせる。そんな事は重々承知だ。
なのに何度念じても、昂ぶる鼓動が耳から離れない。暗い穴の中で、唯一の出口が徐々に閉じられていくようだ。精神が削がれ、呼吸を奪われていく。
(っ、おちつけ!)
確かに少し分かり難い位置にあるが、この店は駅からそう離れている訳じゃない。レナさんだって、うちの店以外の施設に寄ることもあるだろう。
時成が示したのは、可能性の一つだ。そう、思考を誘導しようとした瞬間。
『それもきっと、次に来る時には解消されているでしょうし』
混乱のノイズが犇めく脳裏に掠めた、何処か核心めいた笑み。
「っ、時成!」
『はい』
「俊哉は何処にいる!?」
『"Good Knight"の周辺を捜索して貰ってますけど、まだ見つけたって連絡はきてません』
「俺もこっちから辿ってみる。お前は拓さんに電話して、カイさんから連絡が来てないか確認してくれるか」
『! わかりました』
通話を切る。別れた時刻から逆算しても、そろそろ店に戻っていないとおかしい。
スマフォを握りしめたまま駈け出す。日中でも薄暗く、表通りから隔離されたような雰囲気を放つ裏路地が、一足を踏み出す度に濃い黒に飲み込まれていく。
等間隔に並んだくたびれた電灯の、心許ない薄明かりの中。自身の鳴らすヒールの音だけがカツカツと忙しなく響き渡る。
蹴りあげた後ろ足にスカートが弾かれ、代わりに引き寄せられた前面が太腿に纏わりつく。
煩わしい。こんなことなら、ズボンかショーパンで来るんだった。
(っ、どこだ……!?)
いつもカイさんと並んで歩く道を駆けても、それらしき人物は一向に見当たらない。
息苦しさに足を止め、肩で息を繰り返しながら握りしめたスマートフォンを見遣った。と、メッセージの受信を告げている。
『連絡、とれないみたいです』
飛び込んできた文字の羅列に、沸騰していた身体中の血液が、瞬間に凍りつく。
「ユウちゃん!」
「! 俊哉」
対面から駆けてきた俊哉は俺の眼前で立ち止まると、両膝に手をつき、荒い息を繰り返した。
長い間探してくれていたのだろう。特別な手入れを好まない髪は、乱雑に跳ね上がっている。
「ごめん、全然、みつかんない」
「っ、いや」
『迷惑をかけて悪い』とか、『俺のためにありがとな』とか、告げるべき言葉はいくらでもあったのだろう。だが停止したままの脳は何一つ伝令を出せず、俺はただ狼狽えたまま俊哉を見つめ続けた。
不意に、額に汗を浮かべた俊哉が、俺を捉えて瞳を緩めた。
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