第66話カワイイ俺のカワイイ贈り物⑤

(ホントもうこの人は……)


 良い人なのは間違いないのだが、扱いに困る。

 グッタリと頭を垂れた俺の耳に、カツリと床を叩く靴の音が届いた。


「……もし本当にユウちゃんに何かあったなら、それを聞くのはオレの役目ですよ」


(っ、カイさん……!)


 眉間に不満を刻んで現れたカイさん。

 拓さんは降参を示すように両手を上げると肩を竦め、


「わーかってるって。そんなコワイ顔してると、ユウちゃんに怖がられるよ?」

「……今更です」


 そう言いつつも、カイさんは伺うような目でチラリと俺を見る。

 勿論、カイさんのこうした不満顔はもう見慣れているし、そもそも恐怖を感じた事はない。大丈夫だと微笑んでみせると、カイさんは安堵したように小さく笑んだ。


 そんな俺達のやり取りを見ていた拓さんが、「ははーん」としたり顔で口角を上げる。

 すると今度は仮面を被るかのように、腹の見えない笑顔をにっこりと浮かべた。


「ユウちゃんはカイの、よく出来た"お客様"だね」

「!」


 カイさんが息を詰めた。瞳が揺れている。動揺、しているのだろう。

 別に、拓さんの言葉は何一つ間違っていない。カイさんにとって俺は"客"で、事実、よく思われたいと行儀よくしている。


 カイさんだって、これまで何度も俺を『お客様』と称していた。

 一体どうしたのか。

 拓さんはそんなカイさんに何故か、満足気に口角を上げた。受付の机を回り、俺の方へと歩を進めて来る。


(な、んだ?)


 狼狽える俺の目の前で、拓さんがコツリと靴底を鳴らした。

 カイさんから、拓さんの表情は見えていない。それもわかった上で、拓さんはその顔を作ったのだろう。


 悲しそうな、嬉しそうな、柔らかく瞳を緩めた笑み。

 驚愕と戸惑いに立ち竦む俺に、拓さんは腰を折り曲げ、そっと耳打ちをしてきた。


「――ありがとうね」

「!?」

「さ、会計も終わってる事だし。いっといで、カイ」

「……はい」


 振り返った拓さんは、いつもの表情に戻っている。カイさんは複雑そうに一度くしゃりと顔を歪めたが、なんとか取り繕い、「行こう、ユウちゃん」と扉へ歩を進めた。


(なんだ? 今のは)


 後方を何度か見遣りながら、俺もカイさんの後を追い扉へ向かう。

 拓さんは目があっても、軽薄な笑みを崩さない。


(……また今度訊けばいいか)


 拓さんとは、ウチの店でも会える。

 そう思いながら店外へと踏み出した俺に、拓さんはいつもの胸元に片手を添える仕草で「いってらっしゃいませ」と頭を下げた。

 扉が閉まる直前、頭を上げた拓さんの唇は、音無く何かを形どっていた。


***


 なんて言っていたのだろう。動きから推測するに、四文字の言葉だ。

 "がんばれ"ではない。"ばいばい"でもない。多分、始まりは"お"の系列で、終わりは"いう"の列だ。


(そういや拓さん、今回は「よい夢を」って言わなかったな)


 別に拘りがあるワケではないが、あの店のコンセプトでもある決め台詞をすっ飛ばした拓さんに、何となく違和感を覚えて俺は胸中で首をひねる。

 あの人がうっかりで忘れる筈ない。言わなかったのも、意図的だろう。


 すっかり常連の域に達している上に、個人的な(といっていいものかは微妙だが。なんせ互いに本名も連絡先も知らない)接触を重ねているからと、気を許した接客になっているだけなのだろうか。

 だが直前の謎の礼もあり、どうにも引っかかる。


「……ゴメンね、ユウちゃん」


 向かっているのは、吉野さんの喫茶店だ。

 道中、ポツリと落とされた謝罪に、俺はカイさんを見上げた。


「なんのコトですか?」

「その……さっき、拓さんが、あんな言い方して……」


 あんな言い方?

 咎めるように示されたのは、きっと『客』と称したあの発言だろうが……。


「……いえ、気にしてませんよ? 僕がカイさんの"客"なのは、事実ですし」

「っ、そう、だよね」


(なんかカイさん、変だな)


 いつもの余裕がない。視線も時折ボンヤリと宙を漂っているし、何より隣に立つ距離がこれまでよりも僅かながら遠い。

 果たして本人に自覚はあるのか。俺の見立てで言うのなら、無意識だろう。


 モヤモヤとした蟠りを胸中に押し留め、程なくして辿り着いた吉野さんの店。

 今日は平日だというのに、人が多い。人の目を振り切り定位置となっている奥の席へと腰掛けるなり、俺は早速切り出した。

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