第八章 カワイイ俺のカワイイ危機感

第52話カワイイ俺のカワイイ危機感①

 すっかり夏らしくなった陽射しは強い。夕暮れ時だというのにカーテンをひいていても、僅かな隙間を狙って遠慮なく入り込んでくる。

 そう。季節は変わり、気づけば夏だ。


 時は容赦なく移ろいで行くというのに、俺は未だ大きな進展を得られないまま、エスコートの回数だけを増やしている。


 『恋は人を臆病にする』とはよく言ったものだ。


 想いを告げると心を決めた筈なのに、いざ会ってしまうと、時にからかい、からかわれながらの絶妙なバランスが心地よすぎて、やはりこのバランスを崩してしまうのはと尻ごんでしまうのだ。


 しっかり引かれた境界線の前で、『安全』を踏み越える一歩が出ない。

 だがそうして"こちら側"にしがみつくくせに、日毎膨らみ続ける想いが『早くしろ』と駄々をこね始めて、押さえつけるにも手を焼くようになってきた。


「はぁ……」


 仕事中だというのに、大きく漏れ出た溜息。

 いつもなら即座に取り繕う所だが、今回はそうしない。理由はこの溜息が、自身の情けなさを悲観しただけではないからだ。


 内訳の半分程は人の疎らな店内で唯一盛り上がっている、目の前の"お客様方"に対する不満である。


「あっれーユウちゃん、溜息なんてらしくないね? お疲れ気味?」

「ユウちゃん先輩がこんな程度で疲れるハズないですー。さしずめ、"悩みゴト"ってトコじゃないですかー?」

「え、それならこう、もっと悩ましげな感じが欲しいトコロなんだけど」

「"色気"ってヤツですかー? その辺は先輩の得意技ですねー。やり直します?」

「……やり直しません」


 店内ホール席の角。水の減ったグラスを順に注ぎ足していく俺を見上げる"お客様"とは、拓さん、時成、俊哉の三人だ。

 事はコーヒーブレイクも過ぎた十七時過ぎ。


「ユウちゃんいるかなーって思って、来ちゃった」と語尾に星マークを付けたような調子で拓さんが現れ、シフトを終え着替えた時成(外見上は"あいら"だ)がその席に居座り、更には呼び出されていたらしい俊哉が引っ張りこまれた形だ。


 拓さんと時成はすっかり意気投合している。やんややんやと盛り上がる中で、俊哉だけはどうしたらいいのかわからない、というようにデカイ身体を縮こまらせていた。


 が、流石は"実力派"の二人。気づけば俊哉も楽しそうに相槌を打っては、時折言葉を交わしていた。

 二つ目のグラスに水を注ぎ置くと、拓さんは俺をジロジロと覗き込んで、


「なんか今日のユウちゃん冷たくない? ウチでは結構ノリいいのに」

「おれや俊さんが居るんで、恥ずかしいんだと思いますー。大目に見てあげてくださいー」

「なんか、すみません……」

「あ、そーゆーコト? 恥ずかしがり屋なユウちゃんもイイね!」

「拓さん、声大きいです」


 テンションの高い拓さんへツッコミを入れながら、三つ目のグラスを時成の隣、壁側に座る俊哉の前に置く。


「ありがと」


 笑む顔はすっかりいつもの俊哉だ。

 ったく、もう暫く拓さんのオーラに気圧されていりゃいいのに。


 八つ当たり気味にジト目で見遣ると、俊哉はビクリと肩を跳ねさせた。気づいた時成に、「もう、俊さんでストレス解消しないでくださいー」と呆れ気味に視線を両手で遮られる。


 というか。拓さんの来訪は仕方ないとしても、こうして妙な相席が出来上がってしまったのは時成が原因だ。


 お前にも言いたいことはあるぞ、と含ませた視線を送れば、時成は肩を竦めて「てへ」と言わんばかりに小首を傾げてみせた。

 まったく。本当、なんなんだこの状況。


「まっ、それはそれでカワイイんだけどねー」


 そんな俺達のやり取りなど気づかないまま、メニュー表を広げた拓さんが頬杖をついた。

 写真を順に指でさし、視線はメニューを追ったまま、


「あんまりのんびりしてると、チャンスを逃しちゃうよ」

「……え?」


 なんだって?

 思わず訊き返す。


「……どういうコトですか?」


 嫌な予感がする。時成と俊哉も、驚愕に見開いた目で拓さんを凝視している。

 漂う緊張。その中で拓さんだけはいつもと変わらない調子で「んー?」と口角を上げ、悪戯っぽく両目を細めて俺を見た。

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