第10話カワイイ俺のカワイイ再挑戦④

 例えば俊哉や時成が相手なら、スプーンごと渡してしまえるだろう。だがカイさん相手ではそうにもいかない。

 たっぷりと悩んだ末、中央よりやや左側から慎重にスプーンを差し込み、崩さないようにそっとすくい上げて取り皿へと横たえた。その上に、いちごをコロコロと乗せる。


「……見た目悪くてすみません」

「ううん、ありがとう」


 無言のまま楽しげに見守っていたカイさんの前に小皿を置くと、「嬉しいよ」と返してくる。


(なんだかな……)


 出来る限り頑張ったつもりだが、やはり無残な姿だ。

 今度はパフェ以外にしよう、と心中で決意を固める。と、カイさんが伸ばした指先で、カツリとパフェグラスを鳴らした。


「ほら。そんな顔してないで、食べて」

「っ、いただきます」


 片手を口元に添えて笑う、あの仕草。

 ドキリと跳ねた心臓を誤魔化すように、慌てて一口を含む。いちごの酸味と生クリームのまろやかな甘さが、舌上に広がった。

 うん。やっぱり、美味しい。


「どう?」

「おいしいです、スゴく」

「ワッフルとどっちが好き?」

「う~ん……でもやっぱりワッフルの方が好みですかね。って、なんだか今日は質問ばかりですね」

「気になる人の事は知りたくなるから」

「そ、ですか」


(急にダイレクトだな!?)


 サラリと告げられた"告白"に、つい手元が止まる。

 あからさまな動揺。そういう"キャラ設定"なのだと理解していても、体温が上がってしまうのは仕方ないだろう。

 悲しいかな、『アイドル』的な扱いを受けつつも、それだけで決してモテているとは言い難い人生を歩んできた俺は、こうした実直な好意の言葉に慣れていない。

 こんな時、やっぱり俺は食べることに集中するしかなくって、せっせとスプーンを動かしてアイスとクリーム、そして砕かれたスポンジを咀嚼していった。先がガラスをこする度に、鈴のような高音が響く。

 視線だけでこっそりと伺うと、対面で優美にコーヒーカップを傾けるカイさんは、ご機嫌そうな笑みを浮かべていた。スプーンを動かす手もゆったりと、余裕が滲む。


「……お客さん、勘違いしませんか?」


 こういう商売では、"サービス"を本気にした客とのトラブルが後を絶たない。

 恨めしさ半分、興味半分でポソリと尋ねた俺に、カイさんはやはり柔らかな視線を向け、


「嫉妬?」

「違いますよ。純粋な"心配"です」


 茶化してくるカイさんに、緩く首を振る。

 カイさんは数秒俺の表情を観察すると、カップを置き、弱ったというような苦笑を浮かべた。


「相手は選んでるよ」


 きっと、経験があるのだろう。確信をボカした返答に、その意図を汲み取る。

 わかっている。いくらこちら側が気をつけていても、対処しきれないのが現状だ。

 ましてやカイさん程の人気なら、様々な人を相手にしてきているだろう。

 でも、だったから尚更じゃないか。俺は呆れたように息をつき、


「……ホント、気をつけてくださいね」

「……うん」


 困ったような笑みに、微かな違和感。けれども俺はそれ以上の追及をやめた。なんとなく、引き下がった方がいいように思えたのだ。

 それからの会話は、殆どがとりとめもない内容だ。カイさんの返しはやはり所々"らしい"が、俺が反応する度に、楽しそうにしていた。

 程なくして会話を遮った、控えめなバイブ音。二回目である今回からは、終了五分前にかかってくると言っていた。


(もう、か)


 断りを入れて席をたつカイさんの背を見つめながら、紅茶を流し込む。パフェグラスはなんとか空になった。カイさんに渡していた小皿の上も同様だ。

 お試しコースではなく正規の予約となった今回は、三十分のエスコートだ。十分の差が思ったよりも大きい。会話が盛り上がってきた所で、終わってしまう。

 ならば一時間のコースが理想かと思案するが、思い起こされたカイさんの出勤表に、それは難しいかと打ち消した。

 人気なこの人の表は、殆どが『予約済み』で埋まっている。


「ごめんね、お待たせ」

「あと五分ですか?」

「うん、早いね」

「同じこと思ってました。一緒ですね」


 小首を傾げると、カイさんは席につきながら肩を竦め、


「ユウちゃんも気をつけてね」

「何をですか?」

「可愛い子に"勘違い"はつきものだから」

「っ」


 揶揄しているのは、先程のやり取りだろう。思わぬチャンスに俺は脳を駆け巡らせる。

 本音は「カイさんにだけです」と返したい所だが、きっとそれではまた、カイさんの疑念を深めてしまうかもしれない。

 ついでに言うのなら、『手慣れている』と勘ぐられても面倒だ。


「……相手は選んでますよ」


 笑顔で同じ言葉を返し、俺は立ち上がる。カイさんも俺に習って立ち上がると、しゃがみ込んで荷物を取り出してくれた。

 鞄と手提げを手渡してくれるその眉間には、微かな皺。


「それなら良いけど……」

「不満ですか?」

「心配してるだけだよ」


 どうやら珍しく主導権はこちらにあるようだ。

 この好機を逃すほど、俺は馬鹿じゃない。


「心配、しててください」

「え?」

「そうすれば、俺がカイさんの心配をしててもいい理由になるでしょ?」


 ニコリと笑んだ俺に、カイさんは目を見開いて固まった。珍しい。なんだか一本とったようで嬉しくて、俺はクツクツと笑いながら伝票を掲げる。


 「先、外で待っててください」


 そう背を向けると、「あ、うん」と虚をつかれたような声が届く。

 こっそりと吹き出して、背筋を伸ばしレジへ。

 どうやらカイさんは、"言われる方"には慣れていないらしい。

 少しだけ、優越感。何故だろうか。


 レジで伝票を処理してくれるのは、勿論あの店員さんだった。俺の背後を通り過ぎ、店の扉から踏み出したカイさんにポニーテールを揺らして手を振ってから、


「どう? 美味しかった?」


 俺に向き直り訪ねてくるので、笑顔で肯定する。と、


「でしょでしょ~!? もうこの味にたどり着くまで何回試作を重ねたことか……」


 大きく息をつくその人に、納得する。なるほど、やっぱり研究を重ねているのか。

 すると、その人は閉まった扉を確認してから、前のめり気味に上体を傾けた。外からの視界を遮るように口横に掌を立て、


「カイね、本当はブラックよりミルクと砂糖たっぷり派。良かったら参考にして」

「へ?」


 そっと耳打ちされたのは、貴重な本当の"彼女"の情報。

 どうして。

 顔を跳ね上げた俺に、その人はカラリと笑って、


「あんたがあんまりにも健気だからね。おねーさん、ちょっと応援したくなっちゃった」

「え、と」

「あたし、吉野里織よしのさおり。またのお越しをお待ちしてます」

「っ、はい! ごちそうさまでした」


 下げられた頭に反射でペコリと返し、手を振る吉野さんに見送られながら店を出た。

 そこでやっと、俺の脳が仕事する。


(応援って、バレたワケじゃないよな?)


 彼女と言葉を交わしたのはたったの数回。それも、店員と客としての、形式的なものばかりだ。

 俺の実の目的が見抜かれた可能性は極めて低いが、それなら彼女の"応援"とは、何を示していたのだろうか。

 紐解くにはまず。


(ってかあの人、俺の性別どっちだと思ってるんだ?)


「ごちそうさま」

「っ、いえ」


 俺に気づき振り返ったカイさんに、困惑を胸中に押し込める。

 何はともあれ、リークしてもらった情報は、次回にでもありがたく使わせて貰おう。

 脳内でちゃっかり算段を立てながら、


「付き合って頂いてありがとうございました」微笑んだ俺に、

「こちらこそ。こんなこと言ったら怒られるかもだけど、ユウちゃんといるの楽しいからいい息抜きになるよ」

「拓さんには黙っておきます」

「うん、お願い」


 苦笑して頬を掻くカイさんに笑顔で首肯して、「それじゃあ」と両の掌を身体前で重ねた。

 この後も予約が埋まっていた筈だ。早めに帰してあげないと。


「また、次に」

「うん。待ってるね」


 去り際は、あっさりなくらいが丁度いい。

 頭を下げて背を向けようとすると、カイさんが「そうだ」と零す。

 視線を遣ると、


「今日は"この間"みたいなの、やらなかったね」

「!」


(気づいて、たのか)


 特にそれらしい反応は無かった。てっきり、覚えていないのかと。


「またね、ユウちゃん」


 『してやったり』というように、カイさんが笑う。その笑みがあまりにも嬉しそうだから、俺はただ苦笑して、


「はい、また」


 片手を振るカイさんに、俺も手を振り返す。

 今度こそ踵を返して、一人路地へと踏み出した。


(……やっぱり強敵だな)


 でも今日は、収穫が多かった。

 満足感に浸りながら、振り返らずに歩を進めゆく。


 この時の俺は、少しずつ縮まっていく距離が、ただただ嬉しくて。

 俺の辿る"計画"が綻び始めていた事など、知る由もなかった。



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