第8話カワイイ俺のカワイイ再挑戦②

「……うっし、完璧」


 壁に備え付けられた全身鏡で前後をくるりと確認して、小ぶりの鞄と手提げを持ち、再び店内へ繋がる通路へと踏み出した。

 いつもならば控室から続く裏口へと向かうのだが、おそらく未だ居座っているであろう俊哉と時成に一声かける為だ。

 思った通り、例の小部屋に近づくにつれて、知った話し声が聞こえてくる。


「で、何がスゴいってユウちゃん先輩すぐに落としちゃった子の横にしゃがんだんですけどー、お皿を拾うのかと思いきやお客様を涙目で見上げて『許して……っ!』って。ユウちゃん先輩の敬語じゃない謝罪とかちょうレアですしー、表情もポーズも抜群だったんですよー。けっきょくお客様は怒るどころかテンション上がっちゃて、店内も暫く妙な熱気でしたねー」

「そ、れは良かったって事でいいのかな?」

「……なんの話ししてんだ」

「あ、お疲れ様ですー。俊さんがユウちゃん先輩のこの店での様子を気にされてたんで、武勇伝をいくつかご報告してましたー」

「すっかりベテランのいい先輩なんだね、ユウちゃん」

「勝手に余計な事をしゃべんな。そんで何でお前もそのエピソード聞いてその感想なんだ……」


 ニコニコと笑顔を浮かべる俊哉と、頬杖を付きながら呑気にストローでジュースを吸い上げる時成に、やっぱりツッコミが追いつかない。

 これ以上は気にしたら負けだと、額を片手で抑えて浮かぶ言葉を振り切ってから、俊哉のお冷を一口奪った。氷はすっかり溶けている。


「ユウちゃん先輩、今日も気合バッチリですねー」

「トーゼン。じゃ、行ってくるから、報告はまた後でな」

「はいー、健闘をお祈りしてますー」

「気をつけてね」


 ニヤリと不敵に口端を上げカーテンをくぐり、再度控室を通って今度こそ裏口へ。

 もう地図は必要ない。向かうは敵の本拠地、『Good Knight』だ。


(……よし、予定通りだな)


 辿り着いた雑居ビルの前で確認した時刻は、予約の七分前。

 我ながら絶妙の塩梅だ。背筋を伸ばして階段を登り、扉へと手をかける。

 開いた先には前回と同じく黒が目につく空間と、低く響く、


「いらっしゃいませ。待ってたよ、"ユウちゃん"」

「え?」


 告げる前に呼ばれた自身の名に、受付に立つその人を凝視する。

 明るい髪色に茶色の目と、片耳に光るピアス。ニコニコと愛想の良い笑顔を浮かべているのは。


「っ、拓さん!」

「お? 覚えててくれたね。良かった良かった!」


 安堵の息をついた拓さんは、「不審がられたらどうしようかと思ったよ」と軽く頭を掻いた。俺は微笑みながら、受付前へと歩を進める。

 カイさんから聞いたのだろうか。前回の丁寧な口調や仕草とは違い、今日はなんだかカジュアルだ。

 おそらくこれが、本来の"拓"さんの"キャラ"なのだろう。


「お久しぶりです。今日も出勤になられたんですね」


 確か俺が予約をとった時点では、休みだった筈だ。

 繋げた会話に拓さんは驚いたように目を丸くして、それからゆるりと悪そうな笑みを作り、綺麗な仕草でカウンターに肘をつく。


「オレのシフトもチェックしてくれてたんだ?」

「はい。前回お会いした時に素敵な方だなーと思ったので、つい」

「へぇ、嬉しいね。てっきりユウちゃんはカイ一本かと思ってたケド、これならまだ可能性アリかな」


 探るように目を細めて小首を傾げる仕草も様になっていて、少しだけ羨ましくなる。

 俺の身長では、そのカウンターに肘をつくだけでも不格好になるだろう。


(やっぱり、カイさんが尊敬してる先輩なだけあるな)


 随分と板についている"キャラ設定"に、相応しい容姿。

 纏うオーラも、ひと味違う。


「……ひとつ、イイコトを教えてあげるよ」


 返答を忘れマジマジと観察してしまっていた俺に、拓さんは色を含んだ声を小さく響かせた。


「ユウちゃんに会いたくて、無理矢理シフト開けたんだ」

「え……?」

「ひと目だけでもって思って。……カイにはナイショね」


 人差し指を口元に添えて、パチリと片目を瞑る。


(……すっげぇな)


 おそらくカイさんを指名して予約しているオレの代金には、拓さんへの特別手当は入っていていない筈だ。

 それでもこれだけ全力で、"サービス"を提供してくれる。

 この人も"プロ"だな、と思わず尊敬の眼差しで頷けば、拓さんは笑みを深め、


「やっぱユウちゃん可愛いね。次はオレとデートしてよ」


 ニコニコとお誘いをかける拓さんの後ろで、黒いカーテンが揺れた。


「……先輩、受付でナンパしないでください」

「っと、カイ」


 現れたカイさんは、それ以上を制するように拓さんの肩を掴んだ。

 眉間には複雑そうな皺。その顔のまま俺に「こんにちはユウちゃん」と一言かけると、大きなため息を零す。


「全然呼ばれないと思ったら……ちゃんと仕事してください」

「ごめんごめん。つい、ね」

「"つい"、で口説かないでくだいよ。オレの"お嬢様"です」

「もー、相変わらずお固いなぁカイは。あ、ユウちゃんお会計四千円ね」

「あ、はい」


(コレは……"そういう"サービスか?)


 財布を取り出し会計を済ませつつ、今の状況を整理する。

 見方によっては、お目当てのギャルソンと、その先輩が"俺"を巡って言い争っているようにも思える。

 あれだ。漫画とかドラマでよく見る、『私の為に争わないで!』という。


「んー? カイ、顔怖いよ?」

「……心配しているんです。唯でさえユウちゃん、先輩のこと気に入ってるんですから」

「え!? そうなの!? じゃあやっぱり一回くらい一緒にデートしよーよー!」

「だから、止めてくださいって」

「選ぶのはユウちゃんの自由だろ?」


 ふむ、成る程。確かにこれは美味しいシチュエーションだ。

 鉄板といったら鉄板ネタだが、リアルに体感すると何とも言えない優越感がある。


(今度、ウチでもやってみっか)


 時成辺りなら、喜んで協力してくれるだろう。

 そんな思惑に浸り沈黙を保つ俺に、気づいた二人が不思議そうに首を傾げた。


「あれ? どうかした?」尋ねる拓さんに、

「あ、いえ。お二人のやり取りを見て、初めて"奪い合い"の良さがわかりました。中々グッときますね、コレ」


 素直に述べた感想。二人は面食らったようにパチクリと瞬く。

 次いで「ブハッ!」と勢い良く吹き出したのは、拓さんの方だった。


「アッハハ! やっぱりいいね、ユウちゃん!」


 お腹を抱えて笑い出した拓さん。今度は俺が首を傾げる番だ。


(……『僕の為に争わないでくださいっ』と割って入った方が良かったんだろうか)


 問いかけようとした矢先、俺と拓さんの間が急に黒に阻まれた。

 カイさんだ。見上げると、辿った先には渋い顔。


「時間とっちゃってごめんね。行こう」

「え? あ、はい」


 俺の記憶しているカイさんの"キャラ"ならば、促す際は『行こうか』と伺うような口調だった筈だ。

 きっぱりと言い切るなんて珍しい。目新しいからか、ちょっとドキリとした。

 開かれた扉へ足早に歩を進めると、


「あーあ取られちゃった」


 笑いを噛み殺す声に振り返れば、お腹を擦りながら中央まで進んだ拓さんが、カツリと床を鳴らした。

 シャンと伸ばされた背。纏う空気が変わる。


「それでは、良い夢を」


 うん、やっぱり格好良い。

 片手を胸に添える姿がいつもよりも近く思えて、俺は頷きながら微笑みを返した。


「今日はどうする?」


 尋ねるカイさんは「足元気をつけてね」と前回同様に注意を促しつつも、まだ不満が残っているらしい。

 お得意の柔い笑みを作っているつもりだろうが、残念ながら、目が笑っていない。


「……またあのカフェに連れて行ってもらってもいいですか? 別のメニューも食べてみたくて」

「うん、いいよ。嬉しいな、ユウちゃんも気に入ってくれて」


(あ、駄目だ)


 甘い言葉を吐いてみせるのに、未だ固さの残る目元を見つけて、堪えきれずに頬が引きつる。


「……どうかした?」


 俺の"技"をも見破るカイさんが、この不自然を見逃す筈がない。

 歩を止めずに覗きこむ眉間に、不可解そうな皺が寄る。

 俺はを意を決して、


「カイさん、まだ怒ってる?」


 当たり障りのない言葉で躱すことも可能だったが、敢えて切り込む事にした。

 先ほどの"奪い合い"で知った俺に執着する姿に、少々浮ついているのかもしれない。


「……どうして、そう思うの?」

「目、笑ってないです」


 悪戯っぽく人差し指を口元に寄せ、


「僕の目は誤魔化せないですよ」


 見つめる双眸を細め両の口角を上げる笑みは、"ユウ"ではなく"俺"のお得意技だ。

 カイさんは虚を突かれたように、目を見開き、


「……さすが、だね」


 綺麗にセットした前髪をクシャリと掻き上げて、諦めたように苦笑を零す。


「拓さんがユウちゃんのことを気に入ってるのは分かってたんだけど、まさかあそこまで露骨に迫ってくるとは思わなくて」


 『分かっていた』ということは、やはり拓さんとの間に俺の話題が上がっていたようだ。

 何を話したのかは定かではないが、拓さんの様子から察するに、今の所は俺に不利益な内容ではないだろう。

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