第6話カワイイ俺のカワイイ初対面③
(でも、なあ……)
カイさんの告げた俺のオーダーを書き留めた店員が、クルリと背を向ける。
去っていこうとするその人を「スミマセン」と呼び止め、
「カイさん、コーヒーと紅茶どっちが好き?」
「え? コーヒーかな」
「じゃあ、追加でコーヒー二つ。ホットでお願いします」
「かしこまりました。ホッとのコーヒーをお二つですね。少々お待ちください」
低頭し、にこやかに去っていく女性とは反対に、俺へと視線を向けたカイさんは眉間に皺を寄せた。
「そんな、よかったのに……」
困ったような表情で語尾を弱めるその人に、気にしないでくれと肩を竦めて微笑む。
同じ席についているのに、相手は水だけというのも気が引けるもんだ。
女の子ならストイックで格好良いと思えるのかもしれないが、残念ながら、男の俺にはその心情が装備されていない。
「勝手にホットにしちゃってスミマセン。冷たいほうが良かったです?」
「ううん。むしろ嬉しい」
(おや?)
捻り無く直球で返って来た感謝に、つい、小首を傾げる。
視線で疑問の理由を尋ねるカイさんに、「いえ」と小さく笑んで、
「てっきり、『キミの選んでくれたモノなら何でも嬉しいよ』的な言葉が来るのかと」
「その方が良かった?」
「いえ、今のほうがキュンとしました」
軽い調子で答えた俺に、カイさんはユルリとした仕草で机上に頬杖をつき、追求するように双眸を細める。
「ホントかな?」
「カイさんこわーい」
俺はその視線から逃れるように、恥じらいながら斜め下へと視線を落とした。暫くして、再び上げる。
(……あれ?)
捉えたカイさんは、やはり俺を観察するようにじっと見据えているだけだった。二度ほど瞬きをすると、自然にグラスを取り口へと運ぶ。
入店前でのやり取りと似た、微かな違和感。
何かを告げるでもない。勿論、俺の仕草に頬を染めた訳でもない。
(……なんなんだろ)
「あ、来たみたいだね」
緩やかな沈黙を破ったのは、特に変化のない落ち着いたカイさんの声。
足音を拾ったのだろう。後方を振り返ったカイさんの視線の先を追うと、皿を片手にこちらへ向かってきている先ほどの店員さん。
「お待たせしました。いちごワッフルになります」
確認もなく当然と俺の前に置かれたプレートから、ほのかな湯気と甘い香りが漂う。
カイさんはカトラリーの入る籠を自身へと寄せると、ナイフとフォークを一つずつ取り出し、揃えた柄を俺に向けた。
手渡し。一瞬戸惑うも、会釈をして受け取る。その間に一度戻っていた店員さんが、今度はコーヒーを二つお盆に乗せて現れ、置いていってくれた。
「食べてみて」
促されるままナイフを入れると、サクリと音をたて崩れた甘茶色。切れ目に甘色のメープルシロップと、果肉の残る紅色のいちごソースが流れ込む
一口大より気持ち小さめに切り分け、吹いて冷ましてから口の中へ。
カリリとした表面。その奥の生地はふんわりと弾み、見た目とは反して控えめな甘さのソースがワッフルの甘みを際立たせる。
「っ、おいし」
今まで口にしていたモノとは明らかに異なる食べやすさ。
感動からバッと顔を上げた俺に、カイさんは「良かった」と嬉しそうに頷いて、
「絶妙だよね。オレのお気に入りなんだ」
コーヒーもね、と白磁のカップを優雅に傾ける仕草も、少女マンガに出てくる"イケメン"そのもの。
本当、細かい所作までよく研究している。
こっそりと盗み見ながらもう一口運ぶと、やはりほっこりとする甘さが口内に広がった。
咀嚼しながら浮かんだ考えは、本当にたまたま。
「あの、ちょっと待っててくれますか」
一言断りを入れて席を立ち、不思議そうに首を傾げたカイさんを残してカウンターへと向かう。
店員さんから受け取ったのは、一枚の小皿だ。俺の姿を追うカイさんの視線は、一瞬たりとも離れない。
苦笑しながら席へ戻り、再び腰を落とした。新しいシルバーを手にとり、まだ手をつけていない一枚を半分に切ってから、小皿に乗せてカイさんの前へ。
「ユウちゃん?」
「お腹いっぱいだったらごめんなさい。良かったらコレ、食べてくれませんか?」
一応、お昼からはだいぶ経っているし、お気に入りだというのなら"別腹"かもしれない。
迷惑だったら失敗だなぁ、とイチかバチかで差し出した皿。
カイさんはそれと、俺の顔とを交互に見て、
「そんな……悪いよ」
「悪い、ってことは、迷惑ではないんですね」
「そ、だけど……」
予想だにしていなかったのだろう。
明らかな動揺を含む瞳に、少しだけ"カイ"さんの仮面の奥を見た気がして。
(やっと、崩れた)
「じゃあ、貰ってやってください。『僕の為』に」
強調した言葉に、ピクリとカイさんが反応する。
俺だって計算派だ。丸め込む話術だって、それなりに持っている。
「一人で食べるより、二人で食べたほうが美味しいでしょ?」
はい、と柄を向けて差し出したのは先ほど取り分けたシルバー。
本当なら新しいモノを渡したい所だが、生憎この席には二人分しか用意されていない。
いまいちカッコつかないな、と苦笑した俺の眼前。戸惑いがちに伸ばされた細い指先が、シルバーを掴んで離れていく。
「……そこまで言われちゃ、仕方ないね。ありがとう、ユウちゃん」
軍配、俺の根気勝ち。
折れてくれたカイさんは小皿のワッフルを一口大に切り、形の良い唇を薄く開きハクリと食んだ。
本当に、好きなのだろう。伏し目がちのまま味わうように綻んだ顔は、今までのどれよりも柔らかで。
「……ん、美味しい」
たぶん、コレは。
"カイ"さんではなく、"ホントウ"の。
「っ!」
認識した瞬間に駆け上がってくる熱。
ヤバイ。
色づいてしまっただろう頬がバレないようにと慌てて顔を伏せ、乱雑に切り取ったワッフルを口へ放り込んだ。
(なんで俺、こんなに動揺してんだ!?)
自分でも理由が掴めない動悸。『おさまれ、おさまれ』と繰り返し念じながら、今度はコーヒーを流し込む。
口内に広がり鼻を抜けたほろ苦さに、鼓動が徐々に通常へと戻っていく。安堵に薄く息を吐き出して顔を上げると、こちらを見つめる双眼とバッチリ目が合ってしまった。
「っ」
(い、いつから見られてたんだ!?)
「……ユウちゃんってさ」
マジマジとした視線に、ピタリと石化する身体。
(ば、れたか!?)
「可愛いだけじゃなくて、面白いね」
「う、あ、りがとうございます……?」
(良かった、引かれたワケじゃなかった……)
その言葉の真意が読めないままとりあえず告げた礼に、返されたのは満足気な笑み。
ひとまず、序盤でのゲームオーバーは免れたようだ。
軽い談笑を交わす中、くぐもったバイブ音が耳に届いたのは、皿の上がソースまで綺麗に無くなる頃だった。
届間もなく訪れる、終了時刻を示す合図。
「ちょっとごめんね」
席を立ったカイさんの皿からも、切り分けたワッフルはとっくに無くなっている。見ればカップも、すっかり空になっていた。
もしかしたら、無理やり空にしてくれたのかもしれない。けれども、あの笑顔は"装った"モノには見えなかった。
「お待たせ、あと十分くらいみたい」
「そうですか……」
(終わり、か)
微かに湧きでた感情に名前をつける前に、最後のコーヒーをゆっくりと飲み込んだ。
両の指先を机の上で組みながら、カイさんが小首を傾げる。
「ユウちゃん、今回が初めてだったよね? どうだった?」
すっかり"カイ"さんのキャラ通りだ。
近づいたのはほんの一瞬だったなと密かに落胆しつつ、ニコリとした笑みを作りながら、肩を狭めて両手は可愛らしく膝の上へ。
「初めは緊張してたんですけど、カイさん話しやすいし、紳士的だし、すっごく楽しかったです。ここも本当、美味しかったし」
「そっか。喜んで貰えたなら良かった」
「それと、受付の……拓さん? もすごく素敵な方でしたし」
「拓さん、ね」
カイさんの双眸が細まる。
(んんん?)
なんだか含みのある言い回しに、俺は瞬きだけを繰り返して続きを待った。
気づいたカイさんは「いや」と軽く肩を竦め、
「先輩、なんだ。凄く尊敬してるし、本当に格好良いと思う。ただ、さ」
薄くはにかみながら、指先を唇へそっと寄せて。
「今日、本当に楽しかったから。もしまた来てくれるなら、次も選んで貰えると嬉しいなって思ってたんだけど……拓さん相手じゃね」
敵わないや、と苦笑を浮かべるカイさんに、即座に首を横に振る。
わかっている。こうした人気商売は、いかに『自分の客』を増やすかが勝負になってくる。
どうせコレも、どの客にも使う常套句なんだろうけど。
(今のは、ちょっと掴まれた)
「僕もまた、カイさんとお出かけしたいです。お願い出来ますか?」
「本当に? 勿論、喜んで。……なんか、押し付けちゃったみたいでごめんね」
「そんなコトないです。カイさんにそう言ってもらえて嬉しいです」
そう。俺の目的は単なる男装の麗人のエスコートではなく、あくまで"カイ"さんそのものだ。
そのスキルと、人脈。それ以外に興味はない。
(そう、それだけ)
「そういえば、まだ名刺渡してなかったよね」
「え? あ、はい」
ほんの、一瞬。ツクリと感じた息苦しさに沈みかけた意識が、カイさんの明るい声で浮上する。
どうして、と問いかけた自身の心は、答えをくれる筈もない。
「はい、これ。いらなかったら捨てて」
「捨てませんよ。大事にします」
"ユウ"の顔を取り繕い、内ポケットから取り出された顔写真入りの名刺をありがたく両手で受けとる。
書かれている住所と電話番号は、もちろん店のもの。そういえば、俺も教えられない"ルール"だった。
先は長い。胸中で嘆息しつつ、口元で笑んでみせた。
そろそろ、時間だろう。
「行きましょうか」
何となく、こちらから告げた方が良い気がして、伝票を片手に掴み自ら立ち上がった。
頷いて席を立ったカイさんはしゃがみ込むと、ハンカチーフを退け、鞄を俺に手渡してくれる。
「お店の外で待ってるね」
柔い微笑みで告げるカイさんに頷いて、俺はそのままレジへ。
レジに立ってくれたのは、入店時から世話になった店員さんだ。精算しながら「美味しかったです」と告げると、「また来てくださいね」と明るい笑顔で頭を下げられた。
居心地が良い。なんだか本当に、常連になってしまいそうだ。
「お待たせしました」
何かを考えていたのか、そういう"設定"なのか。
ズボンのポケットに指を軽くかけながら遠くを見つめていたカイさんが、店外へ踏み出した俺の声に振り返る。
「ありがとうね、ごちそうさま」
「いえ、付き合って頂いてありがとうございました。ここでお別れですか?」
「うん、申し訳ないけど」
「いえ。本当、ありがとうございました」
客による待ちぶせを防ぐ為、きちんと去ったのを確認してから店へ戻るのだろう。
気をつけてね、と上げられた片手に、会釈をして背を向ける。
「ああ、そうそう」
帰路へ向けて踏み出した瞬間。思い出したような声に、立ち止まって振り返る。
捉えたカイさんは、ニコリと爽やかな笑みを浮かべると、
「次に、会えた時はさ。もっと自然体でいてくれていいよ」
「え?」
「ユウちゃん、そのままで十分可愛いから。"ワザと"可愛いことをしなくても、オレは好き」
「っ!?」
(そういう、コトだったのか)
意地悪げに細められた瞳に、全ての合点がいく。俺が感じていた違和感の正体は、これだったのだ。
あの観察するような間は、俺が"そう"していることを見抜きつつも、敢えて黙っていたが為の『不自然』だったのだ。
見破られた理由が『カイさんだから』なのか、『女性だから』なのかはまだ判断がつかないが。
「……わかりました」
(これは、思ってたよりも強敵みたいだ)
「次、楽しみにしててください」
「うん、絶対に覚えてるからね。……気をつけて」
「はい。カイさんも」
頷き、振られた掌に今度は軽く手を振り返して、背を向ける。
俺の懇親の可愛さアピールは逆効果。頭の中でペケをつけ、路地を一人進んでいく。
(……しょうがない)
下手な小細工が通用しないのなら、このままで勝負するしかないだろう。
"俺"自身を示したままで、カイさんを懐柔しなければ。
「……どうすっかなぁ」
ここだけの話、交際の経験は数年前の一度だけだ。それも、俺の容姿に釣られただけの相手で、『思ってたのと違った』とほんの数週間で去られてしまった。
誰かを振り向かせる、なんて、一度も挑んだ試しがない。
「でもま、"恋人"じゃなくて"友達"で良いんだし、何とかなるだろ」
諦める、という選択肢なんて、存在しない。
目的の達成までは、あの手この手と試してみるしかないのだ。
それに。あの『仮面の向こう側』が見えた瞬間が、まだ脳裏にチラついている。
「……とりあえず、バイトが終わったら予約だな」
腕時計を確認すれば、まだ入りまで余裕がある。
脳内で次を画策しながら、俺はのんびりと歩を進めた。
完璧に造られた仮面の奥で、"彼女"は一体、何を感じていたのだろう。
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