第二章 カワイイ俺のカワイイ初対面

第4話カワイイ俺のカワイイ初対面①

 水色のポロシャツとジーンズを脱ぎ捨て、代わりに手提げから取り出した柔らかな衣服を順に身につける。

 靴下はくるぶしまでを覆う綿ではなく、指先から踵までを覆う浅いレースのモノに。殆ど汚れのないスニーカーも、細いベルトが付いたパンプスへと交換した。

 顔よりも一回り大きな鏡を覗き込みながら、あくまで"ナチュラルに見える化粧"をしっかりと施す。

 肩まで伸びた髪を適当に束ねていたヘアゴムを取り去り、結びグセにミストスプレーをふりかけてから櫛を通して、馴染ませる。

 最後に鏡を持ち上げ色んな角度から確認し、納得出来れば完了だ。


(うん、完璧)


 斜めがけのボディバッグから、フリルがついたベージュの鞄に必要最低限のモノを移す。残りは鞄ごと、元々着用していた衣類も纏めて手提げに詰め込んだ。

 耳を澄まし、外の物音を探る。大丈夫。鍵を外して、そっと様子を伺った。無人だ。

 いける。そう判断を下した俺は荷物を掴み、一気に個室から飛び出した。

 そこまでは完璧だった。誤算だったのは、入り口付近で男子学生とすれ違ってしまった事だ。その男はぎょっとしたように立ち止まると、数歩戻って表示を再確認している。


 スミマセン、お兄さん。

 そこは間違いなく、男子トイレです。


 俺は胸中で頭を下げながら、足早にその場を去った。

 講義終わりに大学構内の男子トイレで着替えるのが日課だが、こういう『うっかり』の日もあるのだ。


 慣れた電車に揺られ辿り着いた平日の秋葉原は、流石に人も疎らで非常に歩きやすい。

 時折感じる視線は慣れたもの。意識外に受け流しつついつもの道を行き、辿り着いた階段上の扉を開ける。


「おはようございまーす」

「わーいユウちゃん先輩だー」

「っ、あいら、重いから」


 既にホールに立ってる時成が、俺の出勤時を狙って抱きついてくるのはよくある事で、それを捉えた店内が沸き立つのも同じだ。

 時成はひとしきりギュウギュウと身体を寄せると、腕を解いて俺の肩口から顔を引いた。半歩下がり、上から下、下から上へと探るように視線を往復させてから、


「なんかちょっと、いつもと違いますねー。気合が入ってるっていうかー」

「……」


(なんでコイツはわかるんだか)


 目ざとい時成の頭をポンポンと軽く叩き、それらしく正解であることを示す。

 それから周囲に聞こえないよう声を潜め、


「まだ入りまで時間あるだろ。行ってくる」

「どこにですかー?」


 コテリと小首を傾げた時成に、俺は人差し指を唇前に立て口角を釣り上げた。


「"カイ"さんと、初対面だ」


***


 "カイ"さんが勤務しているのは、『Good Knight』という男装エスコートの店だった。

 『よい夢を』と『騎士』を意図する英字をもじった店名は、失礼ながら"いかにも"らしい。

 店のHPで『ギャルソン一覧』を表示すると、十数名ほどのスタッフがそれぞれの個性を出したスーツ姿で甘く微笑んでいた。

 『騎士』をコンセプトに持つのならばと王子のような制服を想像していたが、なるほど確かに、いくら秋葉原といえども街を歩くには目立ちすぎる。


 微かな安堵を覚えながら『カイ』の人物写真をクリックすると、拡大された写真とプロフィールの下に、『スケジュール欄』のボタンが表示された。開くと、目盛のような横長の時間軸に、出勤時間が棒状で示されている。

 これが縦に七つ並び、一週間分。どうやらここで空き時間を選択し、予約を行うシステムらしい。


 ざっとスクロールしてみると、確かに人気というだけあって予約済みが多い。が、何の思し召しか、ちょうどこの俺の勤務一時間前が、ぽっかりと空いていたのだ。

 沸き立つ興奮を覚えながら、即決で予約を入れた。今になって思い返せば、大の男が鼻息荒く"男装様"の予約をとっている姿は、中々気持ちの悪い絵面だった事だろう。

 こういう時、一人暮らしで良かったと心底思ってならない。


「えっと……このビルか?」


 立ち止まり、送られてきたメールに添付されていた地図を再度確認する。やはり、この年月を漂わせる雑居ビルで間違いないようだ。店舗は一階のようだが、扉前へと向かうには、階段を数歩登らないといけない。

 事前に確認してきた『入店の流れ』によると、店舗で料金を支払った後に簡単な説明を受け、それからやっとご指名のスタッフと対面し、"エスコート"の開始となるという。


 思っていたよりも地味な外観に少々面食らいつつ、階段を上がる。踊り場の左右に扉があるが、登って直ぐが目的の店舗だ。見ればノブに、白地の艶やかなプレートがかかってる。流れるような書体の、『Good Knight』の印字。

 いくか。薄く息を吸い込んで、扉を開く。


「いらっしゃいませ」


 黒を貴重とした空間に響く、低く"作られた"声。

 部屋の奥中央に鎮座するカウンター上には、『welcome』と書かれた金色のプレート。天井から吊り下げられたシャンデリア型の電灯を受けて、オレンジ色に反射している。その横には、ノート型のパソコンが一台。


 そしてその後ろ。綺麗な笑顔を浮かべて立つその人は、目的の"カイ"さんではなかった。

 明るい茶髪に、茶色い目。おそらくカラコンだろうが、実に違和感なく馴染んでいる。

 その人は胸元に右手を添えると、ニコリと人の良い笑みを浮かべ、


「ご予約の確認をさせて頂いております」

「あ、えっと」


 こういう所は初めてだ。俺は手間取りながらもスマフォで予約完了画面を開き、その人へと提示する。

 覗き込んだその人は手元のマウスをいくつか操作し、小さく頷くと再び柔い瞳を向け、


「瀬戸様ですね。お待ちしておりました」


 胸元に添えられたネームプレートには『たく』の文字。

 淡い光源を映し、片耳だけに付けられたピアスが金色に光った。


(……ベテランさんか?)


 一見、ホストと間違えてしまいそうな外見に反し、どことなく落ち着いた雰囲気が漂う。

 俺より年上なのかもしれない。無意識に、張っていた肩が下がる。

 拓さんは口端を綺麗に上げたまま画面を確認し、薄い唇でゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「ご指名は"カイ"で、初回おためし四十分コースでお間違いありませんか?」

「はい」

「では、こちらで先に料金を頂戴致します」


 頷いて財布を取りだすと、流暢に動いていた拓さんの手がピタリと止まった。

 おや、と様子を伺うと、合わされた視線に困ったような苦笑が乗り、


「失礼ですが……男性でお間違いありませんか?」


(まぁ、そうだよな)


 遠慮がちな再確認。男性と女性では、料金形態が異なるのだ。

 『同業者』にもバレなかった自身の腕に心中でガッツポーズをしつつも、表では"ユウ"としての笑顔を浮かべて丁寧に言葉を選ぶ。


「紛らわしくてスミマセン。"僕"、男なんで問題ないです」

「大変失礼しました。余りにも可愛らしかったので、てっきりお嬢様かと」


 これなら思惑通り、"カイ"さんにも強く印象付くだろう。

 邪な『計画』は腹の中にきっちり隠して、謝罪するように頭を下げた拓さんに「気にしないで下さい」と純粋無垢な笑顔で返す。


「そう言って貰えて嬉しいです」

「お気遣いありがとうございます。コールネームはきちんとカイに伝わっておりますので、ご安心ください」


 予約の際、呼んで貰いたい名前を『コールネーム』として入力する欄があった。

 本名ではなく偽名でも許容されているそこに、俺は"ユウ"と記入している。

 処理を再開した拓さんによって滞り無く会計が済むと、この店のシステムと注意事項をいくつか説明された。


 時間の計測はこの店を出た瞬間からが開始となり、終了十分前になるとギャルソン宛に連絡がいくらしい。

 延長の申し出はその場でも可能だが、本日のスケジュール状況からすると難しいだろうとのこと。

 そして、エスコート先での支払いは、全て客持ちであるということ。


 さらに重要点が二つ。

 個人的な連絡先の受け渡しは禁止である。

 男性のお客様は、決してギャルソンに触れてはならない。

 拓さんは「見かけがどんなに愛らしくてもダメですよ」と、悪戯に笑んで付け加えた。


「何か質問等ございますか?」

「いえ、大丈夫です」


 首を振る俺に拓さんは軽く頷き、「少々お待ちください」と背を向けた。進んだ先、カウンター左手側の奥には、カーテンの仕切りがある。

 拓さんはそこを覗き込み、


「カイ」


 とうとう、この時がやってきた。

 緊張から早まる鼓動を叱咤して胸を張り、顎を引いて小さく拳を握った。

 "カイ"さんとの初対面。第一印象が、重要だ。


「お待たせ致しました」


 コツリ、と黒地の床を軽く鳴らして現れた一人のギャルソン。

 一覧に載っていた写真と同じく短い黒髪の毛先は軽く散らされ、俺よりも頭一つ高い位置にある口角が綺麗な弧を描く。


「初めまして。本日エスコートをさせて頂きます、カイと申します」


 片手を胸元に当て恭しく下げられた頭に、つい、つられて俺も頭を下げた。


「あ、よろしくお願いしますっ」


(って、見合いじゃないんだから!)


 思わずのツッコミは、当然胸中で。それでも、明らかな動揺が伝わってしまったのだろう。カイさんは片手を口元に寄せて、笑みを隠しているようだ。

 カッコ悪い、と気落ちしないでもないが、コレはコレで結果オーライなのかもしれない。

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